第37話 優しい大型犬

 奏斗たちが戻る頃には、カレーは出来上がっていた。飯ごうのご飯も炊きあがっており、いよいよ残すは盛り付けのみ。他の班も完成間近のようで、調理場一帯に、食欲をそそるスパイシーな香りが漂っている。


 完成までの作業をほとんど任せてしまったこともあり、盛り付けや食器、飲み物の準備は、奏斗たちの班が主体となって行った。


「「「いただきまーす」」」」


 皆で一つのテーブルを囲み、温かな食事をとる。少し水気の多いカレーはご愛嬌。準備されていた福神漬けで味を足しながら頬張る。よくある微笑ましい合宿の風景だが、その裏には人知れず不穏な影が渦巻いていた。


「ねえ、慧。あれ、大丈夫だと思う……?」


「まあ、ふゆ頼みだよな」


 先ほど聞いたような耳打ちの会話。奏斗と慧がちらりと目をやった先には、横から感じる不穏なオーラにどぎまぎしている小夏の姿がある。


 小夏の隣にはふゆがいて、その横に舞の姿がある。どうやら今度は隣を死守できたようだが、笑顔で何かを訴えてくる舞とそれを真顔でスルーしているふゆの間には、なんとなく殺伐としたオーラが生まれているような気ががする。


 隣の違和感に気づいていないふりをして、小夏は反対側に座る彩と会話を交わしている。こちらは何となく穏やかな雰囲気なので、とりあえず様子を見ることにした。


「春永、おかわりしないの?」


「……!」


 晴樹に肩から腕を回される。どうやら、もう完食したらしい。慣れない距離の近さに奏斗が思わずびくつくと、横から慧がジト目を向けてきた。


「田川、そうがっつくな。奏斗が怯えるぞ」


「ごめんごめん。つい。春永もごめんな」


「……いや。俺は別に」


 慧に注意された晴樹は、どこかしゅんとしてしまう。しおれた大型犬のような、罪悪感をそそる表情に奏斗は少し胸が痛んだ。そうは言っても、慧の対応は間違ってはいない。少し当たりがきつすぎる気はするものの、相手は敵と近しい仲。男子組も女子組ほどではないが、一定の緊張感があるのだということを再確認する。


 しかし、そんな空気を微塵も気にしない人間が一人。


「まあ、いいじゃん。晴樹は奏斗と仲良くしたいんだよ。分かってくれって」


 康太が慧の肩に腕を回す。明るい茶髪&ピアスで陽気な彼は、冷たい慧の視線をまったく気にしていない。見ているこちらがヒヤヒヤしてしまう。


 奏斗が内心慌てていると、康太が急にこちらに顔を近づけ、小声でとんでもないことを尋ねてきた。


「それよりさ。ぶっちゃけ、どっちがどっちと付き合っとるん?」


「「……は?」」


「前から思ってたんよ。真白も日向も、結構美人じゃん? 二人仲いいし、どっちか付き合ってるんじゃないかってさ」


 さすがのリア充思考に、奏斗は思わずカルチャーショックを受けてしまう。男女のグループで仲良くしているということは、やはりそんな風にみられるらしい。


 ―そういえば、前にも似たようなことあった気が……


「実際、この間、委員長が真白さんと二人でデートしてたって噂も聞いてんだぞ? ……って何その顔」


 何やら楽しそうに慧をいじる康太。しかし、その相手の表情が死んでいるのを見て、ひどく戸惑ってしまった。


 康太が言っているのは、例の買い物の時の話だろう。一時的に慧とふゆが一緒にいたところを、クラスメイトにからかわれたという話だ。その時に遭遇した人間の中に康太は入っていないので、どうやらしっかり噂を広まっているらしい。


 元々、仲の良さを偽装して浸透させるための策だったので、ある種、作戦通り。だが、慧はかなり不満そうなので一応訂正しておいた。


「あの時は、俺と日向も入れた四人で合宿の買い物に行ってたんだ。別にデートとかじゃないよ」


 そう言うと、康太はつまらなそうな顔をしたものの、「じゃあ、今後に期待だな?」などと茶化してきた。もちろん、その際に慧の表情が完全に康太を敵と判断していたことに彼は、微塵も気づいていない。殺人鬼のような目をした慧に見ないふりをして、奏斗は、話題が別のところに行くよう、逆に質問してみることにした。


「俺たちより、永谷達の方こそどうなんだよ」


 すると、康太はよくぞ聞いてくれましたとばかりに、にやっと笑って、晴樹に目を向けた。奏斗も慧もその視線を追いかけると、晴樹はふいっと目を逸らしてしまう。


「……別に俺のことはいいよ」


 少し目を伏せた晴樹に、康太は「照れんなよぉ~」とダル絡みをしている。これ以上詰めても晴樹がかわいそうなので、奏斗は興味を失った風を装って、手元の薄いカレーを頬張った。薄いと思って食べると意外といけるな、などとつまらないことを考える。


「あっちの誰かと付き合ってるのか?」


「……慧⁉」


 先ほどいじられた腹いせだろうか。慧が話に切り込んでいく。慌てる奏斗を差し置いて、康太は嬉しそうに話してくれた。


「そうなの。コイツ、すげーんだよ。クラスのマドンナと付き合ってんの」


 言いながら、康太がちらりと視線をやる。その先にいたのは、桜色の髪をしたふんわりと笑う彼女。無論、現在奏斗たちが要注意人物としている少女だ。そういえば、以前二人で出かけている姿を見かけた気がする。


「へぇ。矢坂。そりゃあ大物だ」


 慧が若干棒読み気味に答える。気持ちのこもっていない返答に思わずジト目を向けると、彼は何かを訴えるような目でこちらを見た。


 ―注意しろ、ってことか


 舞の彼氏。ともなれば、晴樹は男子の仲で一番彼女に近い人物となる。つまりそれは、奏斗たちにとって第二の脅威になり得る存在だということになるのだろう。


 奏斗は何となく共感する風をよそって、頷いておく。


 ちらっと晴樹に目をやると、奏斗は何となく複雑な思いになった。

 彼が中学時代に舞を好いていたことは聞いている。しかし、陽キャ集団の中でも、一番気遣いが優しくて、何かと話しやすい晴樹。そんな彼がどうして舞を選んだのかが気になってしまう。


 彼女の本性を知らないからなのか、それとも知った上で彼女の見方でいるのか。どちらにせよ。敵寄りの見方をしなければならないことが、何だか少しだけ後ろめたいような気がした。

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