第9話 遭遇

 三階の廊下にある大きな掲示板の前には、なぜか人混みが出来ていた。騒がしい集団を前に、奏斗は思わず後ずさりしそうになる。


 一時間目終わりの休み時間。二階にある職員室に用があって、奏斗は少し教室を抜けていた。そして、その帰りに遭遇したのがこの人混み。ここを抜けなければ教室に戻れない。


 ―苦手だ、こういうの……


 すいません、すいません、と言って押し通ればいいのだろうが、それも何だか気が引ける。それ以前に、人混みにもまれること自体、奏斗が苦手としていることだった。

 休み時間が終われば自然と解散するだろうし、それを待った方がいいのか。それとも、一度引き返して別の階段から三階に上がるか。脳内で良案を探る。


 すると、とある男子がこちらに気づいて言った。


「おーい。人通るからちょっと道開けてくれー」


 よく見ればその人物は、先ほどふゆに教えてもらった男子―田川晴樹である。ガタイがよく、奏斗より頭一つ分くらい大きな彼は、奏斗が通れるようにわざわざ道を作ってくれた。


 ―良い人だな。……これはちょっとはずいけど


 晴樹のおかげで教室に帰る通路が確保できた。しかし、避けて道を作ってくれた人たちの視線がすべて奏斗に集中している。この中で、歩みゆくのは何となく気まずい。


 しかし、せっかく開けてもらった道。覚悟を決めて早足で抜けようとすると、人混みの真ん中で、呼び止められてしまった。


「あ、春永君じゃん! これ見た? めちゃすごいよ」


 下を向いていた顔を恐る恐るあげると、掲示板を指さす矢坂舞の姿があった。彼女もまた、先ほど教えてもらった人物である。桜色の髪がチャームポイントの彼女は、ふわふわとした笑顔をこちらに向けていた。


 彼女が指さしていたのは、掲示板に張られたテストの学年順位表。どうやら、皆これを見たいがために集まっていたらしい。


 ―さすが進学校。こういうの張り出すんだな


 張り出されていた順位表は上位二十名の名前。三位の場所に奏斗の名前があった。


 実はこう見えて奏斗は勉強が得意だったりする。学校はあまり好きではないが、授業はかなり熱心に聞いている方。読書好きが高じてか、特に文系科目を得意としていた。


 今回張り出されている順位は、学校に入ってすぐの実力テストの結果。初めの結果としてはまずまずだが、後はこれを維持できるかどうかだな、と奏斗は思った。


 隣で異常に褒めてくれる舞に、しどろもどろになりながら感謝を述べる。そこにいつの間にか、晴樹や他の生徒も加わって話しかけてくる。陽キャの距離感の近さに、奏斗は終始圧倒されていた。


「あと、すごいのはね。見て。この上位メンバー!」


 舞に言われて、もう一度順位表に目を移すと、そこに並んでいたのは最近見知った名前だった。


 一位 秋月慧

 二位 真白ふゆ

 三位 春永奏斗

 四位 日向小夏


 ―秋月が学年一位だろうとは思ってたけど、これは知らなかったな


「最近、一緒にいる三人がトップ3じゃん! 学年トップが揃ってるってめっちゃかっこいい」


「……え、ああ、そうかな。ありがと」


 何か見返りを求めているのかと思うくらいに褒められて、奏斗はやはりぎこちない返事をする。周りの生徒から何で仲良くなったの? きっかけは? と質問攻めにあってしまったが、それは何となくかわしてごまかしておく。


 もう帰らせてほしいと、奏斗が内心泣きそうになってると、舞の横にいた水上彩が真剣そうに尋ねる。


「そういえば、四位にいる日向ちゃん。さっき教室来てたよね。一緒に話してたけど、仲いいの? ずっと学校来てなかったから心配だったんだけど」


「……え」


 慧の示唆する人物候補に、初めて小夏の話題を出され、奏斗は一瞬戸惑ってしまった。


「あー、秋月に紹介してもらって、それから少し話すようになったんだ。真白とも気が合ったみたいで、もうすでに仲良しみたいだよ」


 そう口にして、奏斗はふゆと小夏の関係を振り返る。キレたふゆに圧倒される小夏。半分気を失った状態で、ふゆと握手を交わす小夏。


 ―仲良く……。うん。たぶん


 自身の発言を回顧して、奏斗はほんのり汗をかいてしまう。しかし、そんななか、どこか周りの空気がおかしいことに気づいた。


「そっか。ならよかった」


 彩がそうつぶやいた後、どことなく重い空気が流れたように感じる。彩をはじめ、舞も晴樹も同じ空気にさらされたような気がした。


 しかし、それも一瞬の出来事で、そのあとすぐに質問攻めが再開されそうになる。もう勘弁してくれと思ったが、もう少しで休み時間が終わるらしく、その後すぐに開放してもらえた。


 *


 教室に戻ると、まだ次の授業の先生は到着していなかった。ぎりぎりの時間だったので、少し安堵する。他の生徒も周りと話を続けているような雰囲気なので、奏斗は少し先ほどの状況を整理することにした。


 三人とも小夏を心配しているように思われた。ただ、一瞬感じた違和感は、小夏の過去を皆が知っているからこそのものであるようにも感じられる。


 ―ますます見当がつかない


 やはり今は本格的な犯人捜しはできないのだろう。警戒すべき人物を特定するための情報が圧倒的に足りない。小夏の過去に何があったのかが分かれば、少しは判断材料になるかもしれないが、それはきっと難しい。


 話題を出された時の小夏の表情を見れば、それが彼女にとってのトラウマであることは明言するまでもないこと。ましてやそんなプライベートに踏み込む権利は、契約関係である奏斗にはない。


 奏斗は少し考え方を変えた。


 ―別に小夏の人間関係を深く推測する必要はないな


 今、奏斗が注意するべき点は、契約関係を崩壊させようとする人物がでてくる可能性があること。それは小夏に絡む人物であるが、重要なのはそこではない。奏斗としては、契約関係が維持できればそれでいいのだ。四人の契約関係を脅かすものがいないか。特に小夏に言い寄ってくるものがいないかを注意すればいい。


 それまでは何を考えても意味はないのだ。


 奏斗たちは、契約関係。相手のプライベートに深く介入する義理はない。そのことを改めて念頭に置く。


「遅れてごめんなさい。今から授業始めまーす」


 ガラッと扉が開いて、遅れていた女性教師が教室に入ってくる。五分遅れでの授業開始だった。

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