第16話 小夏の過去②
頼みを断ろうとすれば、引き合いに出されるのは「私たち友達だよね?」という言葉。
小夏の思考はいつしか何も考えないことにシフトしていった。
きっと舞には悪気がない。自分の不都合を解消するために、周りの人間を使う。そこに申し訳なさを感じない。そういう人なんだと、小夏は自分に言い聞かせた。
しかし、そうやって自分を誤魔化し続けることはできなかった。
「最近、あいつうざくね?」
「あいつってだれ?」
「日向だよ。矢坂ちゃんの代わりにって色々しゃしゃり出てるやつ」
「あー、噂で聞いた。日向が矢坂ちゃん脅して、無理やり恩売ってるんだろ?」
「…………」
放課後。もう日が沈みかけた薄暗い玄関口で耳にした小言に、小夏はため息をついた。この手の悪口はもうすでに何度か耳にしているため、ダメージは少ない。とはいえ、聞いていて気持ちのよいものではないのだが。
舞はまだ、教室で取り巻きの女子たちとの会話に花を咲かせているのだろう。
「……帰りたい」
戸が開いた玄関口は、冷たい風が吹き込んでくる。すっかり冷たくなってしまった指先をコートのポケットで暖め、赤くなった鼻先をマフラーに潜らせる。はぁーと息を吐くと、ほんの少し暖かくなった気がした。
「えー、ほんとに?」
遠くから聞き慣れた声が聞こえる。駆け寄ってくる人影に目を向けると、桜色の髪を揺らす少女の周りにはたくさんの取り巻きがいた。
「舞ちゃんってほんと優しいよね。日向さんと一緒にいてあげるなんて」
取り巻きの一人が発した言葉を聞いて、小夏は思わず下駄箱の影に隠れる。どうやら、舞もその周りも小夏が近くにいることに気づいていないらしかった。
「日向さんって性格に難ありって感じなんでしょ? 実際、舞が優しくしてくれるからって調子のってやりたい放題じゃん。この間ふった男子も、日向さんがその男子を好きだったから邪魔したって話でしょ?」
―何言って……
見当違いも甚だしい。小夏は思わず沸き上がる怒りを握った拳に封じ込めた。
小夏は舞に頼まれて、告白を断りにいったのだ。そのせいで心ない言葉をかけられ、憎しみの目を向けられた。それなのに、この言われようはさすがに我慢ならない。
小夏が舞の代わりを務めることを、周囲はよく思わないらしかった。そういうわけで、これまでも、先ほどの男子同様、舞の肩をもつような片寄った見解の噂を耳にしてきた。だが、それが、事実を知っている舞の近くでも存在することに、小夏は一段とやるせなさを感じてしまう。
舞が上手く弁解してくれることを祈りながら目を伏せる。しかし、耳に入ってきたのは絶望を引き起こす言葉だった。
「仕方ないよ。あの子、私がいないとひとりぼっちになっちゃうでしょう? そんなのかわいそうだもん。だから多少のわがままも聞いてあげなきゃ」
「…………」
なにそれ。最悪。舞がかわいそう。
自分を非難する言葉が飛び交うなか、小夏の意識はだんだんと遠くなっていった。目の前も聞こえてくる音もぼんやりとしはじめる。
それはまさに、たった一つあった希望の光を失う瞬間であり、今まで押し殺していたものが、一気に爆発した瞬間だった。
心の底から湧き上がるのは、怒りなのか悲しみなのか。よくわからないもやもやとした気持ちが心を曇らせる。そのもやを切り裂いたのは、聞き慣れた声だった。
「あれ……? 小夏、いたんだ。もう帰ったのかと思った」
どこか焦った表情の取り巻きを後ろにひかえ、舞が声を掛けてきた。彼女もまた、まわりと同じように焦ったらしいが、それを見せまいと必死で取り繕っている様子。
「……舞が待っててって言ったんでしょ」
口からこぼれた言葉は想像以上に冷たかった。普通なら、こんなつもりではなかったなどと、内心で焦ったりするのだろうが、今の小夏にそんな余裕はなかった。ただ、ぼんやりと目の前の舞に目を向ける。
そんな小夏の様子に、何か悟ったような表情をみせた舞は、周りの女子に目配せをする。すると、彼女たちはぞろぞろとその場を後にした。
「そーいえば、そうだったね。……でも、ごめん! この後、みんなで遥花の家行こってことになったんだ。ほんとごめん!先帰ってて」
「…………」
ここ最近はいつもそうだった。長い時間ひたすら待たされた挙げ句、結局は「ごめん。先に帰ってて」。それの繰り返し。
「ねぇ、怒ってるの? もしかしてさっきの聞こえてた?」
「…………」
「あれは仕方なかったんだよ。だって、この間告白された相手、わりと人気の男子だったから。私がわざと断ったって言ったら、変に追求されるでしょう? 噂に乗っかるしかなかったの」
「……………」
自分は舞にとって便利な駒でしかない。そう思えてならなかった。
「でも、小夏は許してくれるでしょう? だって私たち友達だもん!」
合わせた両手の先をあごにつけ、あざとく小首をかしげる。私には何の非もないでしょう?といったような表情。見飽き顔がゆがんでいく。
―また、これか。
『友達』という言葉は、人に何かを押し付けるときの免罪符でしかない。そんな認識が、いつの間にか小夏の心に刻まれていた。見ないように、気づかないように蓋をしていた気持ちが溢れてくる。
こんな関係のどこが友達なのか。忠誠心を欠いた主従関係の間違いではないか。もういっそ、切り離してくれれば楽なのに。「あんたが嫌いだ」と。そう言ってくれればいいのに。
自ら関係の終わりを切り出せない臆病な自分が嫌になる。もしも今、自分が「もう友達をやめたい」と言い出したなら、彼女はどんな顔をするだろう。悲しみに顔をゆがませてくれるのだろうか。それとも、便利な道具を失うことに落胆するのだろうか。
少なくとも、彼女にとって自分は友達というラベルを貼られたただの道具でしかないのだろうと思う。それなのに、なぜか涙をこぼす舞の姿がよぎるたび、小夏の口は固く閉ざされてしまうのだった。
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