第15話 小夏の過去①

 小夏の口から告げられたのは、中学時代の悪夢だった。


 中学一年の頃、日向小夏と矢坂舞は同級生だった。愛らしいルックスと持ち前の人懐っこさで当時からクラスの中心にいた舞。そんな彼女とは対極に、小夏は教室の片隅に息を潜めて過ごす日々を送っていた。友達同士で笑い合う眩い集団を横目にする彼女の目にはほんの少しだけ羨望の感情が滲んでいるようにも見える。


 肩まで伸ばしたストレートな髪。長い前髪を横に流しているものの、左目は隠れていることがほとんど。特定の誰かと絡むということもなく、小夏はただ一人、自分の席で休み時間を過ごす。数独を解いて時間をつぶすことが日課になっていた。


 そんな日々がガラリと変化したのは席替えを経たある日のこと。


「ねえねえ、小夏ちゃん。だよね?」


「?」


 桜色の髪を揺らして、小夏の席の横にしゃがみこんだ彼女は、上目遣いで微笑んだ。


「私のこと分かる? 舞。矢坂舞! これからお隣、よろしくね」

 

 彼女のことは、クラスメイトに興味のない小夏でも知っている。というか、クラスの人気者のことは、嫌でも記憶に残ってしまうものだろう。


 小夏が頷くと、舞は嬉しそうに微笑んだ。


「それ、ナンプレだっけ? すごいね!」


「こんなの、誰でもできる……」


「そんなことないよ~。私、下手で全然できないもん。コツとかあるの?」


「……一緒にやる?」


「やる!!」


 小夏がヒントを出し、舞が悩みながらマスを埋めていく。寂しげだった一ページははあっという間に、たくさんの数字でにぎわっていった。


 たわいもない時間。時折受けとる褒め言葉は、過剰にも思えるほどで、なんだかくすぐったい心地がする。


 学校なんてただの勉強の場にすぎない。幼い頃から変わらないその認識が少しだけ変わり始めた瞬間だった。


 そこから二人の距離が縮まるのに、長い時間は要さなかった。


「こなつ~。もうつかれたよ~」


「おつかれ」


 帰り道。舞が甘えた声を出して、小夏に寄りかかってくる。こんな光景は日常的なものとなっていた。


 教室では人気者とその他大勢。舞は常にクラスの輪の中にいて、小夏は変わらず隅にいる。ただ、変わったことといえば、舞が話しかけてくれることで、小夏もたまにはクラスの中に入れるようになったこと。


 そして、舞が唯一、小夏には素をみせるようになったことだった。


「ねぇ、聞いてよ小夏~。今日なぜかもめちゃったんだよ?」


 聞けば、彼女の取り巻きの女子たちの一人が、舞を遊びに誘ったのだという。それが、他の女子たちの知らない場所で行われたらしく、抜け駆けだなんだともめてしまったらしい。


「人気者は大変だな」


「え~、他人事みたいに言わないでよ」


「他人事だもん」


 ひどーいと言い、口をむくらませる舞。二人は少し向き合った後、互いに吹き出した。

 

「はぁぁ~。やっぱり、小夏といる時が一番楽だなぁ」

 

 舞には男女の取り巻きが数人いる。それも彼女の人気ゆえなのだが、そのせいで悩みも多いようだった。

 女子特有の陰湿なもめごと。時には、告白の断り方を一緒に考えて欲しいといった恋愛がらみの相談もあった。

 

 人気者特有の悩み。そのすべてが、小夏には微塵も関係のないことだった。しかし、面倒見のいい小夏はそれらすべてに付き合ってやっていたらしい。

 

 それでも、小夏は嬉しかったのだという。取り巻きや他のクラスメイトたちには、いつも笑顔を振り撒いている彼女が、自分には弱音を聞かせてくれる。自分が舞にとって特別な存在になれたような気がした。


 だが、それは後に苦しみへと変わっていくこととなる。


 舞はどんどん小夏には依存していった。それも、互いが対等な関係ではなく、小夏を自分にとって都合のいい人形のように扱う形で。


 舞は自分の悩みを棚にあげ、小夏に無理難題を押し付けるようになった。


 宿題、日直、係の仕事。時には面倒な告白の返答を押し付けられ、舞の代わりに断りに行くこともあった。そういうときは大抵、逆上した相手にヤジを投げつけられる。


「なんでお前が来るんだよ。なんでお前に断られなきゃならねーんだ!」


「……」


 日直や係の仕事を代わった時は、大抵ペアの男子にため息をつかれる。代わりに日誌を出しにいけば、なぜ断らないのか、それでは舞のためにならないとなぜか小夏が怒られた。


 ―「断れないお前が悪い」


 冷たく言い放った教師の声が、ずっと脳内で反芻される。


「ねぇ、舞。さすがにもう私が代わりにやるのは……」


「小夏は私を責めるの?」


「…………」


 いい加減、良いように利用され続ける毎日にうんざりしていた。自分が現状に異議を唱えれば少しはましになるのではと思った小夏は、舞の返答を聞いて後悔することになった。


「告白の返事は私が行ったら、周りの女の子たちがついてくる。そしたらまわりに冷やかされて断りにくくなるでしょう? だから、小夏にお願いしてるの」


 何にも悪びれるそぶりのない舞は、スマホをいじりながら片手間で答える。その面倒くさそうな態度に、小夏は少し大きな声で問いかけた。


「いつも一緒にいる子達に頼んだりはしないの?」


「できないよ。小夏だから、頼んでるの。周りに冷やかされること気にしてるなんて、私が自意識過剰みたいに思われるじゃん。小夏はそんなこと思わないでしょ?」


 こんなこと頼めるの小夏だけだよーと言って、舞は小夏の方を見た。甘えた声で母親にねだる子供のようなまなざし。きっとこれまで彼女は、このやり方で周りを溶かし込んでいたのだろう。


「じゃあ、日誌出しに行くくらいは……」


「嫌だよ。あの先生、私のこと大好きなんだもん。日誌出しに来たことを良いことに、私にめっちゃ話しかけてくるし。なんか気持ち悪いんだもん」


「……じゃあ、係の仕事は……」


「先生と一緒。係の男子、下心ある感じがする。また好きになられて、告白されたら面倒だし。そしたら、小夏の仕事増えちゃうからね」


「…………でも」


 もっともらしい理由をつけて、こちらを丸め込もうとする舞。それに惑わされまいと、口を挟もうとすると彼女は態度を変えた。


「小夏は私のことかわいそうって思わないの? 全部、私のわがままだって言うの?」


「それは……」


「私たち、友達だよね?」


 低く、圧を帯びた声が耳を刺す。そうして、小夏はいつもの返事をするのだった。


「…………友達、だね」

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