第14話 謎めいた銀髪少女

「春永。よかった、まだいたな」


 素通りしていったふゆの背中を見送った後、廊下に置いておいたリュックを背負うと、才川先生が慌てた様子で職員室から出てきた。


「帰るついでに、教室に明日の朝自習プリント持っていってくれないか。教卓に置いておいて欲しい」


「『帰るついで』ってなんですか。俺、教室は寄らないです」


 職員室があるのは二階だが、奏斗たち一年の教室は四階にある。わざわざ遠回りする必要があった。帰る準備を持って職員室に来ていた奏斗にとっては、最悪の頼まれごとである。「先生が行けばいいじゃないですか」と抵抗してみたものの、「年寄りに階段を上らせるのか?ひどいなあ」と意味の分からない答えが返ってきたので、奏斗はそれ以上の抵抗をあきらめた。


―先生、バリバリに鍛えてるでしょ


 不服な想いを抱えたまま、階段を上る。一年の教室が並んだ廊下を歩いていくと、奏斗のクラスである一年A組の前に、二人の人物が立っていた。


「あれは、秋月と真白?」


 教室の後ろ扉の前に、慧とふゆの姿があった。教室の扉は前も後ろも閉まっており、二人はなぜか教室の中のターゲットをうかがうスパイのように扉に張り付いている。


「……なにして、……⁉」


 意味の分からない光景に、思わず奏斗が話しかけようとすると、慧が焦った顔で奏斗の口をふさいだ。話したらいけないと諭すように首を振って、教室の中の声に耳を傾けるよう、ジェスチャーしている。奏斗が頷いて実行すると、慧は覆っていた手を離してくれた。


 教室から聞こえてきたのは、二人の女子生徒の声。一方の声はひどく攻撃的で、もう一方の声は弱く震えているようだった。どちらも聞き覚えがあるような気がするが、人を覚えるのが苦手な奏斗にとって具体的にそれが誰なのか識別することは難しかった。


〔……謝って?〕


 ―謝罪を求めてる? 何だか不穏なことだけは分かるな……


 バレないように、恐る恐る教室の中を覗いてみると、そこにあったのは知っている顔だった。教室の隅にいたのは、副会長である矢坂舞と、怯えた顔で彼女を見上げている小夏。


 ―どうなってんだ。というか、副会長ってあんな殺伐としたオーラ出してたっけ?


 いつもふわふわして笑顔を振りまいているような姿からは想像もつかない舞の姿に、奏斗は身を縮めた。すると、その隣で慧が小さくつぶやいた。


「……あれが、矢坂舞の本性だ」


 慧は奏斗とふゆが持っていたプリントとファイルを取ると、スマホに打った文字を見せてきた。


【二人は昇降口横のスペースに行って待っていてくれないか。これからの俺たちのあり方について重要な話をしたい。】


 流れからして話というのはきっと小夏に絡んだことだろう。今日は他に用事もなかったので、奏斗は慧に向かって頷いた。それに続いてふゆも小さく頷く。立ち上がって、昇降口に向かう足を進めると、後ろで扉が開く音がした。


 *


「傷つきました?」


「え?」


 昇降口横のスペースにあったベンチに腰を下ろすと、隣に座ったふゆが話しかけてきた。どうやら一緒に待つらしい。


「さっき、職員室の前で会った時です。面倒なので素通りしてしまいましたが、何だか春永君が寂しい子犬のような表情をしていた気がしたので」


「……残念だけど、それはきっと見間違いだよ。俺は感情が顔出にくいらしいから、きっとあの時も無表情だったはず」


「ということは、顔には出していなかったものの、やはり寂しかったのですね」


 完全に遊ばれている。ふゆはいつも通りの無表情で頷いているが、奏斗は何となくそんな気がした。


「…………」


 一風変わった会話をした後は、特に話すこともなかった。ふゆは四人でいるときも基本的には受け身な立場であり、対する奏斗も女子が楽しめるような話題のストックを持ち合わせていないため、しばらくは沈黙な時間が流れていた。


 ―でも、俺たちは別に無理に話をする必要もないし、別にいっか


 契約友人である二人には気遣いというものが必要ない。普通なら気を遣って話をまわすのかもしれないが、そんな心配も無用だった。奏斗が安心してぼーっとしていると、ふゆが口を開いた。


「気まずいですね」


「正直!」


 唐突な気まずい発言に奏斗が思わず隣に視線を向ける。しかし、ふゆの表情はいつも通り無表情のままであった。無表情のまま、淡い空色の瞳がじっとこちらを見つめている。近くで見ると、より一層彼女が美少女であることを思い知らされ、奏斗は何だか緊張してきてしまった。


「お、俺たち契約関係なんだし、あんまり気をまわさなくていいんだよ?」


「はい。それは承知の上です。でも、さすがにまだ出会って長くない男性と二人きりというのは気まずいので、口に出してみました」


「……なるほど」


 確かに気遣い無用の関係であるということは、素直な発言も気兼ねなくできるということなのかもしれない。


 ―真白も気まずいとか思ったりするんだなあ


 彼女はただ自分の心情を述べただけで、別に自分から話を持ち掛けるつもりはないらしい。奏斗も特に気にしないでいようと思っていたが、ちょうどいい話題が見つかったので、話を持ち掛けてみることにした。


「そういえば、なんで真白は俺たちと契約を結んでくれたんだ?」


 小夏は皆で説得する機会があったものの、ふゆは慧の説明だけで契約を飲んでくれていた。奏斗がふゆと初めて話した時にはもう了承済みだったのである。


「自分で提案したのに、そんなことを聞くんですか?」


「それはそうなんだけど……。でも、一人でいるのが好きな奴ってたぶん、他人と関わるのは面倒だと思うから。何で真白がオッケーしてくれたのか単に気になったんだよ」


 別に執拗に答えを求めるつもりはなかった。ただ、先ほどのふゆと同じように、ふと自分に浮かんだ想いを口にしたにすぎない。とはいえ、この問いに意味がないわけではなかった。


 もし、ふゆがこの関係に入ることを嫌々受け入れたのであれば、現在の関係は些細なことで崩れてしまうだろう。それを阻止するためにも、奏斗にとって現状の彼女の回答を得ることは意味のあることであった。


 そうは言っても、先ほど気まずいと言ったふゆのことである。気まずい相手にそうやすやすと胸の内を明かしたりはしないだろう。奏斗がそう思っていた矢先、ふゆはぽつりとつぶやいた。


「面白いと思っただけですよ」


「面白い……?」


 意外な回答をした彼女に、奏斗は思わず目を向ける。


「そもそも、私が群れることを嫌うのは、それが単に依存しあっている関係に過ぎないと思うからなんです。誰かに頼ればなんとかなる。群れれば自然とそんな考え方になる。それが誰かの重荷になっているかもしれないなんて微塵も思わない。だから嫌なんです」


 ふゆの口調に波はない。いつものように淡々とした話し方。ただ、発される言葉一つ一つに怒りのようなものが感じられるような気がして、奏斗は思わず息をのんだ。


「だからこそ、誰の手も借りず、一人で"完全"を目指す『ぼっち』という存在が力を合わせる。そうして出来上がる関係は、面倒なしがらみがない上に、現状以上の利益を生むものになり得る。それが単に興味深かったんですよ」


「……確かに。誰も他者に依存しようとせず、最低限、自分のことは自分で行う。それでいてお互いが培ってきた能力のみを合わせるわけだから、自分の欠点を四人分の力で補える。俺も結構魅力的な関係だと思ってるよ」


 奏斗の初期構想的には、ここまでの物になるとは思っていなかった。単に、一人の時間を快適に過ごすための目隠しが欲しかっただけ。それが、慧の参入によって、結果的により明確なものになった気がする。


 ―とにかく、真白が嫌々受け入れたわけじゃないんなら、彼女による関係存続の危機もしばらくはなさそうだな


 奏斗が安堵していると、隣からかすかなつぶやきが聞こえてくる。


「……私は結局、矛盾しているのかもしれませんけど」 

 

 どこか遠くを見つめたままのふゆ。少し開いた玄関口から吹き込んだ優しい風が、綺麗な銀髪をさらっていった。差し込む夕日に照らされる髪が瞬きながらそよいでいる。


 無表情であるはずの彼女の横顔が、このときばかりはどうしてか、呆れたような、それでいて悲嘆的なものに思えた。


「まし……」


「来ましたよ」


 思わず呼んだ名前は遮られ、奏斗の視線は物憂げな銀髪少女から、二人の男女に移される。


 待たせたな、と静かに言った慧の後ろに小夏の姿がある。先ほどの弱々しかった表情は戻っており、その瞳には決意の色が浮かんでいた。

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