第13話 慧と小夏

 夕日が照らす廊下を歩きながら、小夏は自分の手を引いている彼を見上げた。自分よりも大きな背中を見つめながら、小夏は様々な想いと格闘している。


 ―助けてくれたのか? これは、『ありがとう』って言うべきなのか?


 ―でも、私たちの関係的にそういうのはなしなのかもしれないし……


 ―あ~もう!じゃあ、何で助けたんだよ!


 小夏と慧は契約関係。お互いに過度な干渉はしないという関係のはず。それなのに、どうして彼が自分を助けてくれたのか、小夏には慧の行動の意図が読めなかった。


 すると、ソワソワしている小夏の様子を感じ取ったのか、慧が前を向いたまま話しかけてきた。


「『ありがとう』と言ってくれてもいいんだぞ?」


 ―あ、自分で言いやがったこいつ


 相変わらず謙虚さのかけらもない慧に、小夏はすぐに冷静になった。


「……残念だな。一瞬で言う気が失せた」


「そうか。まあ、これは俺の憂さ晴らしだからな。別に気にする必要はない」


 よく分からない答えに小夏が首をかしげる。すると、慧は立ち止まって小夏の方に振り返った。


 深い藍色の瞳が、小夏をしっかりと捉える。つやのある黒髪がどこからか吹き込んだ風になびいて、ほんの少し空気が変わった気がした。


「お前、まだアイツには『NO』が言えないのか」


 慧の言葉に、小夏は何かを思い出したような顔をして、困ったように苦笑いを浮かべた。


「生憎、私は何も変わってない」


「俺たちの誘いは勢いよく断ってきたのにか?」


「あれも結局、真白にまるめこまれただろ」


 奏斗たちが小夏を契約仲間に入れようとした際、小夏は必死に反対していたが、結局は急に激変したふゆの様子に飲まれて、仲間に入ることを決めてしまったのである。怒りに満ちたふゆの表情を思い出し、小夏は少しぞっとしてしまう。


「そうだな。でも、嫌な誘いではなかっただろう? 情が絡まず面倒ごとが起きない気楽な関係に入ることは」


「否定はしない」


 最初はあんなに反発していた契約関係。それも何だか当たり前になりつつある。いびつな関係ではあるが、お互いが変に気遣いあうこともないため、小夏は居心地のよささえも感じられていた。


「なぁ、日向。お前はまた昔みたいに戻りたいか?」


「 そんなの嫌に決まってるだろ!」


 小夏が慌てたように声を上げる。その瞳は恐れと憎悪が滲んでいるようだった。それを見て、慧は納得したような顔をしている。


「そうか。じゃあ、やっぱり対策を練らないといけないな?」

 

「対策?」


「ああ。矢坂対策だ。このまま何もしなければ、お前は無理矢理にでもアイツの班に入れられるだろうからな」


「聞いてたのか」


「まあな。それに、矢坂と日向の関係からして、あり得る事態だろう」


「……じゃあ、何で舞に主導権握らせたんだ」


 班決めを行うための学級会。そのしきり役を、慧は舞に譲ってしまっていた。舞が主導権を握っているため、慧、奏斗、小夏、ふゆの四人で班を組む要望は無視される可能性は高い。

 それが分かっていて舞に主導権を握らせらた慧の心中が、小夏には分からなかった。


「障害になりうる芽は、早いうちに刈り取っておく必要があるからだ」


 慧の瞳は真剣だった。その瞳に魅せられて、小夏の疑心暗鬼な心は少しずつ解けていく。


「お前を班に入れた時点で、妨害が入ることくらい容易に想像がついていた。ならば、早いうちに面倒ごとはつぶしておかないといけない。だから、わざとアイツを焚きつけたんだ」


「……でも、わざわざ焚きつけたりしなければ、舞は私を気にしなかったかもしれないだろ」


「いや、お前が保健室に登校していることをあいつは早い段階から知っていた。わざわざ教師に尋ねて回っていたほど、今もアイツはお前を気にしている」


 慧の言葉に、小夏は複雑そうに下を向く。


「とはいえ、教室に来ない知り合いの心配をしているという線もゼロではない。だからこそ、アイツがお前と関われる機会を得た時、どういう動きをするかを見ようとしたんだ」


 その結果が、先ほどの光景。舞はかつてのことを責め立てて、小夏を強引に自分の側に引き戻そうとしている。


「昔と何ら変わっていないことが証明された今、俺はひとまずアイツが俺たちの関係の『邪魔者』だと判断する。お前はどうだ?」


 慧が鋭い視線を向けてくる。小夏は深くため息をついた。そうして、小さく「それが妥当だろうな」とつぶやいた。


「対策の案はあるのか?」


「それを今から決めるんだ。あいつらの意見も聞いてな」


「ノープランなのか……」


 ―やっぱり、こいつはよくわからない


「それでだ。対策を練るには、お前と矢坂との関係をあいつらにも共有する必要があると思う」


 慧の言葉に、小夏は少し顔を歪ませた。それもそのはずである。彼女たちの間にはある複雑な事情が絡んでいた。


「お前にとってはトラウマみたいなもんだからな。普通ならこんなことは頼まない。でも、俺たちは契約関係だ。お互いの利益になることなら、なんでもする」


 慧の言いたいことも理解できる。四人の契約関係存続のためにも、舞の妨害はなくさなければいけない。そのために、小夏と舞のいざこざをはっきりさせておいて、対策を練る方がいいのだ。


「もちろん、無理にとは言わない。お前には断る権利がある。お互いに利益があってこそ、要求は成り立つからな。俺はアイツみたいに、お前を苦しませる気はない」


「秋月……」


「まあ、俺としては吐き出してしまう方が楽だとは思うけどな」


 そう言って、慧はかすかにほほ笑んだ。小夏は少しの間俯いて黙り込む。考えを巡らせると、彼女は再び顔を上げた。その表情には、覚悟が刻まれているように感じられる。


「わかった。話すよ。それで、今度こそ舞の言う通りにはさせない」


「そうか。じゃあ、頼む」


 慧が歩みを止める。そうして、目線を向けた先には、見覚えのある顔が並んでいた。昇降口近くにある休憩スペースのベンチに、奏斗とふゆの姿がある。彼らは、小夏を見つけるとすぐに立ち上がった。

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