第12話 小夏

 奏斗が職員室で先生に捕まっている頃、小夏はもう誰もいなくなった教室で一人、たそがれていた。窓際の一番後ろの席で、机に突っ伏している。


 「……はぁ~」


 いつもなら終礼が終わるとすぐに教室を出るのだが、今日はそうもいかなかった。入学式からずっと学校に来ていなかったせいで、配られていなかった資料を先生にもらって回らなければいけなかったのだ。おかげで、帰りの電車の時間が合わなくなっている。


 ―あと、三十分以上ある……


 本数の少ない田舎の電車に絶望しながら、窓の外に目を向けると、校庭にトレーニング中の陸上部員たちの姿が見えた。


 ちょうど休憩に入ったのか、四人の部員たちが水分補給をしながら楽しそうに談笑している。それはいわゆる青春の一ページと称するのにふさわしいほど、まぶしい光景だった。


「……友達、か」


 ぽつりとつぶやいてから、小夏は少し目を伏せる。そして、もう一度机に突っ伏した。温かな夕日の光がちょうど雲の影に隠れると、後ろから声がした。


「小夏、やっと学校に来るようになったね」


 その聞き覚えのある声に小夏は目を見開くと、驚いたような顔で振り返った。


「……舞」


 ふんわりとした淡い桜色の髪を後ろで束ねた少女。かわいらしい顔立ちと柔らかなオーラを兼ね備えたその人物は、噂の副委員長、矢坂舞だった。彼女は、小夏を見て照れくさそうに微笑んだ。


「こうやって話すの、すっごく久しぶりだね」


「……そう、だな」


「元気にしてた? ずっと同じ学校なのにこんなこと言うのも変な感じだけど」


「……まあ」


 嬉しそうに頬を桃色に染めている舞に対し、小夏は少し引きつった表情をしている。ちぐはぐな二人を包む空気は異様なものだった。


「そっか。元気ならよかった」


 安心したように舞がそっと微笑む。その姿に、小夏の強張った表情は一瞬やわらいだように見えた。小さな期待が滲むような瞳が舞に向けられる。しかし、その瞳は一瞬にして希望を失うこととなった。


「じゃあ、謝って?」


「え……?」


 舞は、意味は分かるよね?と言わんばかり表情をしている。浮かべていたはずの笑顔は消え、先ほどまでの穏やかなオーラは感じられなくなっていた。そんな彼女を前にした小夏の瞳にはだんだんと陰りが差していく。


 舞は茫然としている小夏に歩みよると、彼女の艶めく金髪を一束持ち上げた。


「髪切って、ピアス開けて、過去はもう忘れちゃったって感じ?」


「……」


 抵抗もせず固まってしまった小夏を見て、舞はため息をつく。つまんだ髪をさらさらと手離していくと、舞はつぶやいた。


「そんなことさせないよ。忘れたなんて言わせないから」


 その言葉に、小夏がはっとして目を見開くと、舞はもう一度笑みを浮かべた。その笑顔は先ほどのような優しいものではなく、憎しみの対象をあざ笑うかのように不快なものである。


「だから、やり直すチャンスをあげる。小夏だって本当は戻りたいんでしょ?」


「……何勝手なこと言ってるんだよ。私はもう新たな関係を築いて……」


「秋月達のこと? そんなの気にする必要ないじゃん。どうせ上辺だけの付き合いなんでしょ。小夏、本当そういうのやめた方がいいよ?」


 『上辺だけの付き合い』。間違ってはいない言葉に小夏が思わず口をつぐむ。


「ねえ、小夏。私、小夏のせいで結構傷ついたんだよ? それでも、小夏は何も思わないの?」


「……それは」


 小夏の声が尻すぼみになる。その声は少し震えているようにも感じられた。


「ちょっとでも申し訳なく思ってるなら、私の頼みくらい聞いて?」


「……頼み?」


「今度の合宿、同じ班になろうよ」


「え」


「大丈夫。秋月達には私からちゃんと説明しておくから」


 小夏は口を開いて何かを言おうとしたが、すぐに口を閉ざしてしまった。その口元からは言いたい言葉を口に出来ないといったような無力な想いがにじみ出る。


「……」


 ―あぁ、結局またこうやって元に戻るのか


 ―やっぱ学校、来なきゃよかったな


 小夏が下唇をきゅっと噛み締めると、教室の後ろの扉が開く音がした。


「日向」


 聞き覚えのある低い声に振り向く。そこに立っていたのは、慧だった。何かの書類を手に抱えている。


「……秋月?」


「早く帰るぞ。あいつらも待ってるからな」


「……え?」


 『あいつら』が誰を差すのかは小夏にも予想できる。きっと、奏斗とふゆのことだ。しかし、一緒に帰る約束なんてしていないし、したこともない。むしろ、そんなことは一人を好む彼らが嫌がりそうなことである。小夏はとても困惑していたが、その瞳には光が戻っていた。


 慧は帰り支度を終えてリュックを担ぐと、困惑している小夏の手を取った。隣にいる舞のことなど気にする様子もない。


「秋月くん、まだ残ってたんだ?」


 いつのまにか、舞はいつもの人気者オーラを纏い直している。笑顔で慧に問いかけると、慧の淡白な答えが返ってくる。


「ああ。休んだ奴の代わりに委員会に出ていたからな」


「そっか、それはお疲れ様です」


「じゃあ、日向。行くぞ」


「う、うん」


 慧が小夏の手を引いていく。慧の骨ばった手が、小夏の華奢な手首をつかんでいた。強引な連れ出し方ではあるが、力の加減がされているのか、小夏はちっとも痛みをおぼえなかった。


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