第11話 作り物

 その日の放課後、奏斗は係の仕事で集めた課題ノートを職員室に運んでいた。夕日が差し込む廊下を歩いていると、遠くから吹奏楽の音や、ランニング中の運動部のかけ声が聞こえてくる。


「……失礼します。才川先生に用があって来ました」


 職員室に入ると、奏斗はある男性教師のもとへ向かった。白髪に少し色黒の肌。年齢は五十代後半といったところだろうか。ラフな格好で親しみやすさを感じさせつつ、顔は割と強面である。才川真一。彼は奏斗の担任である。


「これ、今日の課題です」


 奏斗は数学係。担任である才川先生が数学を担当しているので、課題ノートの提出先も彼であった。


「春永。そういえば最近、友達が増えたな」


 意外と重たかったノート達を机に置くと、先生が話しかけてきた。心地よい低さの声。いわゆるイケボと言う類なのかもしれない。そういえば、入学初日に女子たちが「うちらの担任、イケオジじゃない?」と興奮気味に話していた気もする。


 そんな才川先生に突然友達話を振られ、奏斗は戸惑い気味に答えた。


「……まあ」


 わざわざ「いや。あいつらは友達じゃありません」なんて否定するはずもない。何となく肯定しておくと、彼は話を続けてきた。


「実はちょっと心配だったんだ。春永はいつも一人で本読んでるからな」


「別にいいじゃないですか。一人で本読んでたって」


 先生の発言に『ぼっち哀れみ思想』が見え隠れしたのが気に食わず、思わずつっかかる。

 

 不服そうな声を聞いて、先生はすまんすまんと言わんばかりに、困ったような笑みを向けた。


「そうだな。本を読むのはいいことだし、俺も好きだ。でも、せっかく学校に来てるんだ。友達と過ごす休み時間ってのも悪くはないだろう」


「……はあ」


 ―教師って何でこうもぼっち撲滅に努めようとするんだろう


 いかにも納得がいっていなそうな口調の奏斗に、先生はははっ、と静かに笑った。


「俺だって根本は友達至上主義ではないさ。学生時代は一人でいることが多かった。一人の方が楽だという考えには深く同意するよ」


「意外です。案外先生も教師らしからぬことを言うんですね」


「春永には、教師が全員、友達至上主義に見えているのか?」


「まあそうですね。皆、友達を作れ。友達は大切だ。って言ってくるし。さっきの先生みたいに一人でいることを心配してくるし」


 幼い頃から教えこまれ、刻まれてきた、友達はいて然るべきという考え方。その教えの結果、ぼっちを哀れむ視線が生まれるような気がしてならない。


「先生たちは、ただ沢山友達を作ることを勧めているわけじゃないさ。合わない人間と一緒にいても苦しくなるだけだからな」


「……じゃあ、何で友達、友達言うんですか」


 奏斗が拗ねたような口調で問うと、先生は少し考える素振りを見せた。


「そうだな……」


 彼の中には明確な答えがあるが、それをどう伝えるか考えているといった様子だ。


 ―どうせ、友達のいない人間は社会に出たとき、人付き合いに困るからとか説教じみた返しをするんだろうな


 奏斗は何度も聞いたような返しを想定し、うんざりしていたが、返ってきたのは別の答えだった。


「可能性を狭めて欲しくないんだよ。自分が心から大切にしたいと思える人間に出会う可能性を」


 先生の表情は凄く穏やかに見える。優しさに満ちた目をしていた。


「一人の殻に閉じ籠るのは簡単だ。でも、そうしていると、自分に害をなす人間だけじゃなく、手を差しのべてくれくれる人間にも気づけなくなってしまうからな」


 ―先生はそんな風に大切に思える人間に出会ったのかな


 ―でも……


「……そう簡単には割りきれませんよ」


 奏斗は俯いて小さく呟いた。長い前髪が完全に表情を隠してしまっている。才川先生はそんな奏斗を見て、パンッと手を合わせた。


「堅苦しい話はこれでおしまいだ。今のは全部俺の持論だから、他の先生に話すなよ?」


「はい。でも、何人かには聞かれてると思いますよ」


 そう言って、視線を隣にいた国語のおばあちゃん先生に移すと、彼女はにっこり微笑んだ。その笑顔はまるで息子の成長を微笑ましく見守っている母ような暖かいもので、向けられた先生はというと、少し恥ずかしそうにしていた。


「……じゃあ、俺はこれで失礼します」


 気づけば職員室に長居しすぎていた。帰ろうとして奏斗が背を向けると、先生に呼び止められる。


「春永」


 振り返ると、先生は穏やかな表情で言った。


「あの三人が、春永にとって大切な奴らになるといいな?」


 奏斗は少し目を見開いたが、何も言わず小さく会釈して、その場を後にした。



 廊下に出ると、見覚えのある銀髪少女と目が合う。彼女は図書委員会と書かれたファイルといくつかの資料らしきものを手にしていた。


「……真白」

 

 思わず名を口にするが、ふゆは何事もなかったかのように、通りすぎていく。透き通るようにうつくしい髪がなびいて、味気なく奏斗の前をよぎっていった。


―だよな


 今は放課後。周りに人はあまりおらず、あの不快な視線も浴びることはない。つまり、友達らしくする必要はないのだ。


 遠ざかっていくふゆの背中を見ながら、奏斗は確信した。


―ごめん、先生。俺たちはやっぱりあなたが期待するような関係にはならないよ


―俺たちの関係は所詮、作り物なんだから



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