第3話
数日が経った。
せめて食事の調達を手伝わせてくれ、と言うラムラ王子は昨日から湖で釣りをしている。だが、どうやら釣りは不得手なようで、なかなか釣果が上がらない。
わたしは少しアドバイスをすることにした。
「ラムラ王子、あの辺りに魚がたくさんいると思いますわ」
集中しても魚の心の声というものは聞こえたりしないが、多くいるポイントのようなものは不思議とわかるわたしだ。これは動物にも当てはまることで、興奮した動物などが近くにいるとすぐわかる。
「おお、掛かったぞ! 大物だ!」
「ダメです王子。そんないきなり竿を上げては……」
プツン、と糸が切れる。
大きな魚を無理に釣り上げようとするとこうなってしまうのだ。
「あああ!?」
「ラムラ王子は釣りが苦手でらっしゃるようですね」
「こ、これは釣り竿が悪いのだ! そうに違いない」
「うちのマリエル謹製の竿です。そんなわけはありません。いつもマリエルはその竿で大きな魚を釣り上げておりますよ」
「くっ、見てろ、俺だって必ず……!」
なんだかとっても悔しそう。
その仕草が子供のようで、思わずわたしは笑ってしまった。
ラムラ王子は他にも、薪を集めてくると言ったり、邸内の掃除をしようと提案してくれた。だが、その辺はマリエルが全て完璧にこなしてくれているので王子に出番はなかった。
手持ち無沙汰そうで落ち着かない様子の王子だったが、それならば、と提案してきたのが釣りによる食料調達だ。
どうやら釣りは下手なのに、よく頑張っている。
この方は挫けないのだなぁ、とわたしは感心した。
「掛かった! また掛かったぞレディ・レムリ!」
「今度は落ち着いてくださいまし」
「わかっている! おまえもそこで見ていろよ!?」
あら? わたしをおまえ呼ばわり。
興奮しているのか、ラムラ王子はまるで子供のように熱中している。
それが微笑ましくてわたしは身を乗り出して応援してしまった。
「頑張ってくださいラムラ王子。今です、ほら、竿を上げて」
「い、今かっ!?」
「そうです、今ですよ。焦らないで」
そして釣れた。
だが釣れたのは、手のひらの収まってしまうくらいの小さな魚だった。
「……食べるには、まだちょっと可哀想な大きさだ」
「そうですね王子」
やはりまた、王子がしょげ返る。
心の声が聞こえなくても、王子の心の動きはわかりやすかった。
面白い。
☆☆☆
その後、わたしが湖のほとりで写本をしながら魔法の練習をしていると、暗い顔をしたラムラ王子が釣り竿を抱えてやってきた。
「どうでした釣果は?」
「それを聞くな」
苦笑する王子。わたしも苦笑した。
「最後になにか、礼が出来ればよいと思って釣りを試みたのだが、慣れないことはするものじゃないな」
「最後?」
「ああ、この後、ここを発つ。世話になった」
「そう……ですか」
なんだろう、突然わたしの中に空っ風が吹いたような。
わたしはその心を悟らせないため、そっぽを向いて魔法の練習を続けた。
なんで悟らせたくなかったのか、自分でもわからない。
とにかくわたしは、平静を装った。
しばらく無言のまま、魔法の練習をしていると、ラムラ王子が興味深げに聞いてくる。
「それは魔法の練習か?」
「え? あっ、はい! ……ですが全く上達の気配がなくて」
「どれ、見せてみろ」
魔法の書を手に取ると、パラパラと目を通し始めるラムラ王子。
「なるほど。これには肝心なことが書いてないな」
「肝心なこと?」
「魔法を学ぶには、まず心得が大事だ」
「ラムラ王子は、魔法を?」
「多少な」
学校の教授のような口調で、ラムラ王子は言う。
「魔法を習得していく過程は、友情の深まり方にも似ているんだ。始まりは興味から」
「興味……、興味はあると思うのですが……」
「その興味を、親しみと敬意に育てなくてはならない。そこに至る過程で魔法は自らの中で自分の一部となり、知識はチカラとなっていく」
彼が言うには、魔法とは知識を身体の内に刻み込み、回路とも呼べるチカラの筋道を作ることで使用できるようになるという。
学ぶことそのものが、術法らしい。
ちゃんとした学び方を知らないと、いくら魔法が綴られている書物を読んだところで魔法は使えない。学び方こそが秘奥とのことだった。
「そんな大切なものを、わたしに簡単に教えてしまってよろしいのですか?」
「簡単に教えてるわけじゃない。俺は人を見る目には少々自信があってな、教えるべき人はちゃんと選んでいるつもりさ」
「それは……えっと、あの。恐縮です」
ラムラ王子が真顔で真顔で見つめてくるので、思わずわたしは目を逸らしてしまう。
「それに、知ったところで素養がある人は少ないのさ。魔法使いが少ないのはそのせいだ」
「そうなんですか?」
「試しでおまえの中に簡易回路を作ってみた、魔法が使えるか試してみろ」
わたしは今習った手順の通りに魔法の呪文を唱えてみる。
すると手のひらの上に火が灯った。
「おお凄い! そうだ、おまえのように、心構えを教えたところで一発目から魔法を成立させてしまう奴はそうおらん」
「そうなんですか?」
「そうなのさ! あ……おい、だめだとめろ! 火を炎まで変化させたら危ないぞ!」
「きゃあぁぁあっ!?」
話しながらやっていたら、手のひらの火が大きな炎にまで育ってしまった。
轟々と渦を巻き、炎が立ち上がる。
意図した変化ではないので戻し方がわからない。
「火が! 火が! どうしましょうラムラ王子!」
「慌てるな。魔法の声を聞け」
困っていると、ラムラ王子がわたしの肩に手を添えた。
大きく渦巻いていた炎が小さくなっていき、小さな火に戻り、やがて消える。
ふう、とラムラ王子は苦笑しながら大きく息を吐いた。
「おまえは潜在的魔法力が高い分、コントロールが難しいのかもしれないな」
「た、助かりました。ありがとうございます」
「ああ、よかった。だがスジはとてもいいぞ」
あんなにうまくいかなかった魔法なのに、ラムラ王子の教えがあった途端に成功してしまった。
「今のは俺が回路を作ってみた結果だが、おまえなら自分でそこまでたどり着けるだろうよ」
ラムラ王子は笑った。
「これで少しは世話になった礼ができたか? 頑張れ」
ラムラ王子の心の声は、やっぱり聞こえない。
逆にラムラ王子がなにを考えているのか気になっている自分に気がついた。
ああそうか、さっきラムラ王子がここを発つと聞いて意地を張ってしまった理由を、わたしは理解した。
わたしは、もう少しこの方と一緒に居たかったのだ。
「もしよかったら、わたしにもっと魔法を教えて頂けませんか?」
思わず口をついて出た言葉に自分でも驚いた。
わたしはマリエルさえ居れば十分と思っていたはずだ。
人の心の声を聞いてしまう呪い、そう呪いとも言える力を持ってしまった故にわたしは他人と居ることが苦痛だった。
それなのに、ちょっと相手の心の声が聞こえない相手と出会っただけで、逆に興味を持ってしまうなんて。
はしたないと思いながらも欲求が止まらない。
わたしはラムラ王子と、もっと話をしてみたかった。だが。
「そうしてやりたいとは思うのだがな……、俺は帰らないといけないんだ」
ラムラ王子が残念そうに言う。
早く戻って、次の浄化対策を考えなければならない、とのことだった。
そうだ。わたしはラムラ王子が依頼してきた『森の浄化』の仕事を断ったのだった。
「じゃあな、俺は帰りの支度をしてくる」
「あ……っ」
背を向けて家の中に去っていくラムラ王子。
わたしは思わず手を伸ばそうとして、伸ばせなかった。
今さら、一緒に行きたいだなんて――。
「大丈夫ですレムリ様!」
バン! と家の扉を開け、中からマリエルが飛び出してきた。
「こんなこともあろうかと思い、準備はできております!」
「えっ!?」
「引っ越しセットーっ!」
大きな背負い袋を担いだマリエル。両手にも大きな袋を提げている。
「マリエル、それはどういう――」
マリエルに問おうとした途端、マリエルの心の声が飛び込んできた。
(レムリ様がんばれ! レムリ様がんばれ! レムリ様がんばれ! レムリ様がん……)
マリエルに応援されている。そうだ、ここはわたしの頑張りどころだ。
「ラムラ王子」
わたしは声を上げた。ラムラ王子がこちらを見る。
「なんだ?」
「わたしも同行させてください。浄化のお手伝いをします」
「どうした突然に?」
ニッコリと笑みを浮かべ、わたしは王子と目を合わせた。
「なので、わたしと一緒に森の中に住んでください」
ラムラ王子はビックリした顔。
「俺が、おまえと? 一緒に?」
「はい。浄化を待つ間、一緒に森に滞在して魔法を教えてください。それが、わたしの交換条件です」
これならば、お互いどちらも幸せのはずだ。
王子は森の浄化ができるし、わたしは魔法も教えて貰えて好奇心も満たせる。
――好奇心。
魔法を教えてもらいたい、それは本当だ。
だけど、わたしを突き動かしたのは、王子と一緒にいたい気持ちだった。
なぜわたしは王子と一緒に居たいのだろう。わたしは今、わたしにも興味があった。
「やれやれ、おまえは突拍子もない提案をさらっとしてくれる。だが確かに互いに得な案でもある」
王子は苦笑した。
「……さっきの小さい魚、おまえはしっかり癒しの魔法を掛けてから湖に帰してやってたな。それはなぜだ?」
「え?」
ラムラ王子が釣り上げた魚のことだ。
まだ食べるには小さいから、と放流しようとしたラムラ王子を止めて、わたしは魚を癒してから湖に逃した。
特に意識したことではない。
針の傷が元になって死んだら可哀想だと思っただけだ。
「あのとき俺は思った。おまえはなんと慈愛に満ちた奴なのだろう、と」
「えっと、その……つまり?」
言わんとすることがわからなくて、わたしは困惑した。
心の声が聞こえないということは、こんな困惑をわたしにもたらしてくれるのだ。
不思議だ、困惑することがこんなにも嬉しいなんて。
「つまり、おまえさんは聖女に相応しい人柄の持ち主なんだレディ・レムリ。おまえならば父王も同居を認めて下さるだろう」
王子はわたしの目をみた。
「是非とも俺にエスコートの名誉を賜りたく存じます、レディ・レムリ」
「エスコートの申し出、謹んでお受け致しますわラムラ・コニスン・ミージア王子」
こうして、わたしたちは次の森へと引っ越すことになった。
いわば攻めの引っ越し。
マリエルを見やると、背中と両手に荷物を持ったまま、恭しく一礼をしていた。
三人で暮らす新しい生活が始まろうとしているのだった。
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