第4話

 北の魔の森。

 わたしたちの引っ越し先はそこだった。そこにちょっと大きめで部屋の分かれた小屋を建ててもらい、そこに住むことになった。


 快適さは、正直西の森の邸宅に敵わない。

 毎朝少し離れた小川にまで水汲みにいくせいで、ここ一ヶ月の間に腕が太くなってきてしまったほどだ。


 力仕事は自分がやるぞ、と口癖のように言ってくれるのはラムラだったが、水汲みはわたしがやった方が、そのまま飲み水として浄化できるから効率が良い。

 わたしは効率の良いことが好きだ。


 魔法の勉強も進んでいる。

 ラムラが言うには、やはりわたしはスジが良いらしい。ちょっとした魔法ならもう普通に使えるようになってきた。

 早く自分のこの能力『人の心の声が聞こえてしまう』という現象を研究できるレベルの術者になりたいものだった。


 森の浄化も順調。今回はただ住むだけではなく浄化の奇跡をしっかり使っているので、魔物はどんどん減ってきている。

 昼間なら普通にわたし一人でも出歩けるくらいだ。


 そして今日は、小屋の増築をしているマリエルを森に残して、わたしとラムラの二人で街の市場へと買い出しに出ているのであった。



「なかなかに絶景ですわね!」

「そうか? 俺にとっては普段の大市にすぎないが」

「こんなにたくさんの出店が開かれている市場なんか見たことありません。見渡す限りの人じゃないですか」



 石畳で飾られた広場と大通り沿いに、無数の店場が立っている。

 昼飯どきを遠く過ぎた時間なのに、食事を出す出店もまだまだ盛況。

 フルーツや焼けた肉、香辛料などの雑多な匂いが鼻を刺激する。


 人ごみの中を歩きながら、わたしは心躍らせていた。

 聖女として管理されていたデリナイムの暮らしでは考えられない解放感だった。

 わたしはフルーツをうずたかく積んだ出店の前で足を止める。



「置いてある果実も見慣れぬものばかり」



 国を一つ渡るだけで、こんなにも新しいものを目にすることができる。

 様々な彩りのフルーツを眺めていると、店番の子供が黄色い果実を一つ、笑いながらこちらに投げてよこした。



「え?」



 物欲しそうな顔でもしていたのだろうか。そう思うと少し恥ずかしい。

 これはお幾ら? と問うも、店番の子供は答えない。良いから食べなよ、と促してくる。

 だけど、さて。これは、どうやって食べればよいのだろう?



「なんだ、クジムを食べるのは初めてか?」



 ラムラはその果物、クジムを店頭から摘まむと店番の子供に銅貨を軽く投げた。店番の子供が受け止めると、その子に笑いかける。



「ナイスキャッチだ」



 こうやって食べるのさ、とラムラは袖でクジムの表面を拭き、そのままかぶりつく。

 すると、いきなり眉を潜めてしかめっ面。口をすぼめて目を瞑った。

 あはははは、と店番の子供がラムラを指差して「ハズレを引いたね!」と笑った。


 男は、苦笑いを浮かべて「こいつッ!」と店番の子にクジムを投げ渡す。

 受け取った店番の子供も、クジムに歯を立てた。

 やはりその子もしかめっ面だ。

 男も店番の子供を指差して笑い、二人は仲が良さそうに笑いあった。


 そしてわたしの顔を見やる。



「たまにハズレで酸っぱい物が混ざってるのだけど、基本的には甘酸っぱい果実さ。気にせずかぶりついてごらん?」



 わたしは彼らに倣い、果実の皮に歯を立てた。



「――ッッッ!?」



 すっぱい、とても酸っぱい!

 わたしはよほど酷い顔をしていたに違いない、二人が破顔した。



「あはは! まさか二つ続けてハズレを引くなんてね!」



 二人に釣られてわたしも笑ってしまう。

 今さらながら、人の目を気にせず笑える自由が楽しい。

 窮屈だった宮廷暮らしと違い、ここでの生活はやはり自由だ。

 ――と和んでいたのだが。



「!?」



 わたしは眉をひそめる。

 この人ごみの中、幾つかの心の声が強く聞こえてきたのだ。



(あれが、ラムラ王子)

(女連れの今なら油断しているに違いない)



 それは明確な悪意だった。わたしに、というよりもラムラに大きく向けられた悪意だ。

 わたしは少し緊張しながらラムラの顔を見た。



「どうした?」

「……悪い奴らがラムラ、貴方を狙って囲んできてるわ」

「ほう、気づかなかったな。なぜわかった?」



 聞かれて一瞬言葉に詰まってしまう。

 まさか悪漢たちの心が聞こえてきてしまったとは言えない。



「まあいい。俺は一時期冒険者をやっていた頃があってな、盗賊ギルド辺りとやや因縁があるんだ。きっとそいつらだろう」

「王子の身でなんでそんなことを……」

「レムリも聖女だった身で酔狂にも隠遁を決め込んでいたではないか。変わり種というものはどこにでも居る」

「自分で言ってしまいますか」

「今は立派に国の仕事を果たしているつもりだ。そう責められるものでもあるまいよ」



 悪びれもせずに言い放つラムラに呆れながら、わたしは肩をすくめた。

 その途端、また悪意ある心の声が聞こえてくる。



(気づかれたか!?)



 わたしはラムラの袖を引っ張った。



「どうやらこちらが気づいたことを悟られたようです」

「わかった。走れるか?」

「無論」

「坊主、これは迷惑代だ。よろしく頼む」



 そう言ってラムラは金貨を一枚、店番の子供に投げ渡す。



「レムリ、走るぞ!」

「はい!」



 手を取られ、ラムラに引っ張られる形でわたしは走り出した。背後で「あっ!」という声が聞こえる。



「逃がすな!」



 振り返ってみると数人の男が駆けだして、わたしたちを追ってくるのが見えた。

 大通りの人たちを突き飛ばしながら男たちが迫ってくる。


 男たちが走ってくるところに、うずたかく積み上がったフルーツの山を崩して倒す店番の子供。なだれになった果実が男たちに襲い掛かる。

 男たちはフルーツに足を取られ、大通りに転がった。

 店番の子供がこちらをみて、小さく手を振っている。わたしも小さく手を振った。



「何人か抜けてきているが、それでも半数は出遅れたか?」

「そうですね、だいぶ脱落してます」

「このまま走って逃げ切れれば一番なのだが」



 だが、わたしの足が遅いので、悪漢たちがすぐそこまでと迫った。

 近づかれるたび、ラムラが右手を振る。

 手が七色に輝き、魔法の力で悪漢の足を取る。躓いたように転ぶ悪漢、すぐ後ろを走っていた者たちを巻き込んで地面の上を転がっていった。



「やったか!?」



 と笑顔をひらめかせるラムラ。

 しかしわたしの能力は、新たな心の声を拾っていたので。



(先回りしろ、この道の先だ!)

(角で待ち伏せしてやれ!)



 ――思わず声を上げてしまった。



「この先の角で待ち伏せしています! こちらへ!」

「なんだと?」



 わたしからラムラの手を引いて、路地へと入り込んだ。また心の声が聞こえる。



(畜生、脇道に入りやがった!)

(こっちじゃダメだ、あっちに!)



 わたしは心の声が聞こえるまま、悪漢たちの待ち伏せの一歩先を読んで逃走ルートを決めていった。ラムラはわたしに手を引かれるまま、ついてくる。



「……」



 無言でついてくるラムラのことを少し忘れかけながら、わたしは追い掛けっこの先読みに注力した。

 たまに追いつかれそうになると、ラムラが魔法で散らしてくれる。


 しかし追ってくる悪漢の数は減らない。

 減ったはずの人員はどこから補填されているのか、最初よりも人数は増えている。


 一人づつしか入れないような路地を、右へ左へ。

 細かく曲がるので、わたしの中の方向感覚はメチャクチャだ。いま自分がどこにいるのか、まったくわからない。


 ずっと緩やかに坂道を上っている。

 階段も上る。

 どうやらわたしたちは、街の高台へと昇っているようだった。

 悪漢たちを避けながら、高いところへ。



「おいレムリ、この先は確か……」



 ラムラが警鐘を鳴らすも、遅かった。

 突然、わたしたちの前には道がなくなった。

 街の高台の端、柵の外には小さくなった街並みが広がっている。ここから落ちたらひとたまりもないだろう。

 つまりわたしたちは、行き止まりに掴まってしまったのだ。


 怪我ですむとも思えない高さ。

 肌寒い風がわたしの頬を撫で、髪を揺らしていた。



「や、やっと……追い詰めたぞ……」



 追いついてきた悪漢の一人が言い放つ。

 その男の号令で、わたしたちは半円状に包囲された。背後は空中、逃げ場はない。



「毎度毎度、しつこい奴らだなおまえたち。今の俺は冒険者ラムラ・コニスンではなく、王子のラムラ・コニスン・ミージアなんだぞ? もうちょっと後先考えたらどうだ」

「ラムラ! てめえが王子だろうがこっちの知ったこっちゃねぇ。舐められたままで終われる世界じゃあねえんだよ!」

「やれやれだ」



 ラムラは諦めたように首を左右に振ると、悪漢の人数を数え始めた。



「いち、にい、三人……、たくさん。困るな、思ってたより多い」

「どうだ、今回は人数を揃えてきた。多少の犠牲が出てもこの数ならおまえの魔法をかいくぐれる。大人しく掴まってくれるなら、横のご婦人の安全を約束してやるが?」

「わかっているぞ? 俺が身を差し出したところで、レムリのことも捕まえるのがおまえたちのやり方だ」

「わはは! その通りだ、よく理解してるじゃねーか!」



 わたしの手を、ラムラがギュッと強く握ってきた。



「レムリ、俺を信じて貰えるか?」

「突然、なにを?」



 わたしは困惑した。

 この一ヶ月で、わたしはラムラのことを信じるに足る人物だと理解している。

 それでも急に問われると、なにを考えてのことだろうと勘ぐってしまう。

 心が読めないので、困惑してしまう。



「大丈夫。マリエル嬢も、今日はおまえのことを俺に預けた、託した。マリエル嬢が信じた俺を信じろ」



 背の高い彼の横顔をみやると優しげに微笑んでいた。

 わたしは心を決めた。



「信じますラムラ、わたしは貴方を信じることができます」

「ならば上等、では行くとしよう!」

「あっ!?」



 ラムラは、高台のレンガ柵に足を掛けた。

 そのままわたしを引っ張って、空中へと飛び出す。



「きゃああぁぁあーっ!」

「大丈夫、信じて」



 ――落ちる!

 と思った。



「落ちない」



 と声が聞こえた。



 ――でも!

 と声を上げた。



「ほら、目を開けろ」



 その声はとても優しくて。


 ――あ。

 ゆっくりと目を開けたわたしは、思わず声を失った。

 歩いている……? 空中を、歩いている?


 わたしは落ちていなかった。

 高台から空中へと足を踏み出したわたしは、ラムラに手を引かれるされる形で、空中を歩いていたのだ。



「いいか? 右足、左足。そう、ゆっくりとでいい、踏みしめるように歩くんだ」



 羽根が風に揺られるように。

 シャボンの玉が空に舞っていくように。


 背後では、悪漢たちが口を大きく開けて、茫然と立ち尽くしている。



「わたし……空中を歩いているのですか?」

「そうだ、レムリ」

「これは魔法の力なのですか?」

「いや、信じる力だ。レムリが信じてくれたから成功した、だから俺たちはここに居る」



 信じた、この方を。

 心の声が一切聞こえないこの方を、わたしは信じることができた。


 思えばこの一か月間、心穏やかに過ごしてきた。

 心の声が聞こえない相手が近くにいるというのは、安らぎだった。

 とても楽しい日々だった。


 マリエル以外は信じられないと、ずっと思っていた。

 だけど、心の声が聞こえないラムラに出会って、人に興味を持つことを知った。

 興味は敬意に、敬意は親しみに。



「すごい……。こんなの、初めて」



 心が高鳴る。

 ふわり、踏み出す足が軽い。楽しい気持ちが洪水のように溢れてくる。

 わたしは今、空を歩いているのだ。

 足元に広がる小さな街並み。豆粒のような人の姿。さっきまで走り回っていた大市の全景が、軽く見渡せた。

 ああ。これが本物の魔法。



「良い……景色ですね」

「そうだな。今はひととき、この自由を楽しむとしよう」



 ――自由。自由。

 今、この瞬間、わたしは確かに自由だった。

 楽しい。楽しい。楽しい。


 横を見ると、ラムラも笑っている。

 この笑顔の奥で、この方はなにを考えているのだろう。

 わたしと同じ気持ちだといいな、と思った。この瞬間を楽しんでくれてるといいな、と思った。わたしは聞いた。



「ラムラ王子、今、どのようなお気持ちですか?」

「ん? そうだな、気持ちがいい。楽しいな、こういう午後も」



 よかった、とわたしは胸を撫でおろす。

 今、わたしたちは気持ちを同じくしている。その事実が、心地よい。

 わたしはこの人に興味がある。心が跳ねる。わたしはこの人のことが――。



「え?」



 自分で自分に自問した。

 わたしはこの人のことが……? なんだろう、言葉にできない感情が突然に沸き起こって、わたしはラムラから目を逸らした。


 そして突然不安になった。

 この人は、わたしのことをどう思っているのだろう。

 そこを想像しようとすると、胸が苦しい。自分がどうしたいのかすら、わからなくなってしまった。


 あんなに疎んでいた、他人の心の声。

 それが聞こえなくて怖いと思うときがくるなんて。



「どうした? 浮かない顔をしてるな」

「そんなことは……」



 ありません、と言えない自分がいた。

 ラムラがわたしの手を、ギュッと強く握った。



「なにを憂いているのか知らんが、おまえには笑顔の方が似合う」



 不思議と、彼の言葉はわたしの心を心地よく包み込んでくれる。

 わたしはもう一度、彼の顔を見やった。


 やはり心の声は聞こえてこない。

 だけど、わたしのことを心配してくれていることはわかった。

 気を遣ってくれていることはわかった。


 もちろんわたしの憶測だ。

 果たしてこの憶測は合っているのだろうか。

 このときわたしは、「知りたい」と心から思い――気がついた。


 わたしはこの人に、恋をしている。

 心が跳ねるこの気持ち。

 これが恋というものなのだと。


 わたしはラムラに笑顔を向け、両手を伸ばした。



「でしたら、ちゃんとエスコートして頂けまして?」

「……喜んで。レディ・レムリ」



 ラムラは一礼すると、わたしの両手を柔らかく握ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る