第2話

 エイハムという街から半日ほど歩くと、大きな森がある。

 わたしはその森の中に居を構えた。


 小さな湖のほとりに建てられた小さな邸宅だ。

 マリエルが手配してくれたこの邸宅は、心の声が聞こえてしまうわたしにとって理想的な場所にあった。

 誰も寄り付かない大きな森の中に建てられた邸宅。

 こんな掘り出し物を見つけてきてくれるマリエルには感謝しかない。


 わたしは時折りマリエルと共に街へと取引に出るとき以外は、この森の邸宅で心静かに過ごしていられた。


 マリエルが魚や動物を獲ってきてくれるし、木の実の類は豊富にあった。

 金銭に関しては、実家から持ち込んだ希少本の写本をして、細々とながら街に卸している。

 女二人で細々と暮らすには申し分ない環境だった。


 ――そして森で暮らし始めて半年ほどが経った。



「レムリ様、今日も魔法の勉強ですか?」

「ええマリエル。先日、エイハムの大市で見つけることができた新しい魔法書を書写しようと思ってるわ」

「ご立派です。ですが、進捗は芳しくないようですね」

「そうなの。魔法書を参考に練習しているつもりなのですけど、まったくうまく行かなくて……」



 自由を得たわたしは、これまでやりたかった魔法の勉強を始めていた。

 しかし本を読んで練習しても、まったく魔法が身につく兆候を得られない。

 そう眉を潜めていると、マリエルが微笑みながらわたしに頷く。



「レムリ様なら大丈夫ですよ、いずれ大成します」

「ありがとう。マリエルは今日は?」

「昨日イノシシの足跡を見つけました。近くに居ると思いますので、狩りをしてこようかと思います」

「では今晩は豪勢にいけますわね。楽しみにしてるわね、マリエル」



 マリエルが狩りに発ち、一人になったわたしは、いつも通りに魔法書を書写しながら合間に練習を試してみる。



「シグレット《火よ灯れ》!」



 これは初級と言われているらしい、火を生み出す魔法。

 成功すれば手のひらの上に火が浮かぶらしいのだが、これまで一度も成功したことがない。



「おかしいわねぇ、本の通りやってるつもりなのですけど」



 しばらく繰り返しては、魔法書の書写に戻る。

 写本は大事な財源。

 魔法を記した書はあまり取引されておらず、貴重だ。街の大市で掘り出し物として見つけては、書写をして書店に納入しているのだった。


 昼になったのだろうか、お腹が空いてきた。

 マリエルが用意しておいてくれた鳥ハムをパンに挟み、ベリーのソースを塗る。

 自分で淹れたハーブ茶を飲みながら、鳥ハムとベリーのパンを口にした。


 甘じょっぱさが舌を包み込む。美味しい。

 湖のほとりでわたしはゆったり。鳥の声が森の中に響いていた。


 ほっほー、ほっほー、と野鳩。

 チチチ、チチチ、と小鳥。

 たまに湖面で、パシャン、と魚が跳ねる。


 心休まる音に耳を傾けていると、傍の茂みがガサリ、不自然な音を立てた。

 この森には大きな動物や魔物が生息している。

 魔物除けの聖水にて結界を張ってはいるものの、力の強い魔物だと寄ってきてしまうこともあるだろう。

 わたしは警戒しながら、音のした方へを目を向けた。



「レムリ様!」



 茂みの中から出てきたのはマリエルだった。

 肩で男の人を支えている。見れば怪我人だ、太ももから出血している。傷は……深い!



「マリエル、その方をここに横たえて!」

「はい!」



 わたしの言葉に従うマリエル。



「申し訳ありませんレムリ様。私が射たイノシシが暴れてしまいまして、森の中にいたこの方に突進してしまい……」

「大丈夫、わたしにまかせて!」



 マリエルも、まさかこんな森中に人がいると思っていなかったのだろう。責めることはできない。


 わたしは男性の前にしゃがみ込むと、傷口に手をかざした。

 意識を集中する。

 追放されたとはいえ、わたしは元聖女。癒しの奇跡は行える。

 指の先が仄かに光り始めた。



「ぐ……ぐぐ……」

「大丈夫ですよ、いま癒しますから!」



 手のひらが熱くなる。目を細めた視界に、奇跡の光が溢れていく。

 まばゆいばかりの光。浄化の輝き。

 血が止まる。イノシシの牙にえぐられたであろう傷口が、破れたズボンの下で熱を持つ。傷口の肉が盛り上がり、塞がっていく。みるみるうちに傷が癒えていった。



「ん……あ……」



 男が薄く目を開けた。

 スッと細く入った眉の下には、翡翠のような美しい瞳。

 銀色に流れた髪は長く、地面に垂れていた。白かった顔に、次第、赤みが差していく。



「俺は……?」

「覚えておりますか? 暴走したイノシシに襲われたのです。申し訳ありません、うちのマリエルの不手際です」

「ああそうだ、突然なにかにぶつかられて……」



 男は軽く頭を振ると、自分の身体を見渡した。

 太ももについた血糊に気づいて手で触った。



「怪我が、治ってる?」



 びっくりした顔で傷口を確認すると、男は横たわったままわたしのことを見上げた。



「失礼だが、もしや貴女が西の森の聖女か?」

「えっ?」



 見つめられたわたしは思わず周囲を見た。

 マリエルと目が合う。



「最近の街の噂です。西の森に聖女が住み着き、魔物と瘴気を浄化した、と」

「初耳!」

「レムリ様の耳にはお入れしてませんでしたから」



 確かにわたしには聖女としての力があるけれど、この国にきてそれを公言した覚えはない。奇跡の行使だって、いまが初めてだ。久しぶりに使った『奇跡』の力。

 当然のことながら、森の魔物や瘴気を浄化した記憶などもない。



「別に、わたしはなにもしていませんが……」

「上位の力を持つ聖女は、身に纏う聖なるオーラだけで魔物を祓い、瘴気を消し去ると伝え聞きます。レムリ様ほどの方が半年も住み着いたこの森が浄化されたとしても、なんの不思議もありません」

「そうなの?」

「たとえばレムリ様が手に持つものとか、すぐに浄化されますよ?」

「……もしかして毎朝わたしに水汲みをさせてたのって」

「浄化されてないとここの水は飲めませんので」

「……もしかしてわたしに肉をペタペタ触らせてたのって」

「毒があるかもしれませんからね」

「……じゃあ、わたしの食べかけの物をマリエルが食べたりするのも」

「いえ、それは私の趣味です」



 マリエルはいつものマリエルだったが、とにかくそういうことだったのか。

 自分の力は自分ではわからないものだ。



「貴女が作った聖水も、魔除け効果が高いと有名だ。俺もここに来るとき使わせて貰った」



 たまにマリエルがわたしに作らせていたものだ。

 まさか売り物にしているとは気づかなかった。


 わたしが微妙な顔をしていると、男は姿勢を正して自分の胸に軽く右手を添えた。



「俺はミージア国第二王子、名をラムラ・コニスン・ミージアと言う。魔の森と呼ばれたこの森を浄化した聖女よ、貴女に頼みたいことがあって訪ねてきた」



☆☆☆



 ラムラ王子を邸内に招き入れ、わたしたちは応接間でくつろいだ。

 マリエルが淹れてくれたお茶を口にしながら、わたしはラムラ王子の話に耳を傾けている。



「つまり、ここ以外の森も浄化して欲しい、と?」

「そうだ」



 ラムラ王子が頷く。



「我が国ミージアには聖女が少ない。魔物に魅入られているという土地柄もあるのだろう、聖女としての能力が高い者は皆無なのだ。土地は荒れ、森は瘴気を放ち、湖は毒となる。そのような場所がたくさんあっても、なんの手も入れられないのが実情だ」



 記憶にある。ミージア国には確か聖女庁すらなかったはずだ。

 聖女の恩恵が薄い土地は悲惨だと聞く。

 祖国デリナイムも、わたしが生まれる前の時代頃は魔の瘴気に困らされていたらしい。



「もちろん報酬は弾む、貴女の言い値でも構わないくらいだ。力を貸してくれ、レディ・レムリ」

「と、おっしゃられましても……」



 わたしは平穏を得るためにこの地にやってきたのだ、人の心の声が聞こえてこないこの場所は悪くない。ここから離れて、また人の多い場所にいくのは気が進まない。


 どうやって断ろうかと悩んでいると、待たせ過ぎたせいだろう、いつしか王子は窓の外を眺めていた。



「なにか面白いものでも見えますか?」

「いや、珍しい庭だと思ってな……」

「デリナイム独特の造りですからね、まだ造庭の途中ですが」

「小石を敷き詰めた小道など初めて見た。いや、こういうのをなんと言えば良いのか」

「デリナイムでは『風流』と言います」

「フウリュー?」

「上品で風雅なさま、という意味の言葉です」



 わたしの祖国デリナイムとミージアでは、隣国同士だけあって言葉はほぼ同じだ。

 だが方言というか、微妙に通じない言葉はある。



「なるほど、言われてみれば気品がある。気持ちが落ち着くな」



 そういってラムラ王子は気持ちよさそうに目をつむった。



「ああ。ここは静かだし、とても居心地がいい」

「そうですね、本当に静かで……」



 ――あら?

 そのときわたしは気がついた。ラムラ王子からは、なぜか心の声が聞こえてこない。

 気のせいだろうかと、こちらから集中してみる。

 しかしそれでも、王子の心の声が聞こえることはなかった。



「どうした?」

「いえ、なんでもありません。申し訳ございません」



 思わず顔を見つめてしまっていた。恥ずかしい。

 なんだろう、こんな相手は始めてだ。


 それはそれとして、ラムラ王子の話を受けるのは気が進まない。

 わたしはその旨を伝えた。



「そうか、残念だ」



 ラムラ王子は少し困ったように笑い、残っているお茶に口をつける。

 粘ってこないことに、少しホッとしたわたしだった。

 ぶっきらぼうで強引そうな口調だけど、案外紳士的なのかしら。


 その後、ラムラ王子は街のことや国のことを色々と話してくれた。

 久しぶりに聞く浮世の話はそれなりに面白く、懐かしくも思えた。

 心の声が聞こえてこないからだろうか、ラムラ王子の話はすんなりと聞ける気がした。なんていうのだろう、心の声が聞こえない分、話の先が気になるのだ。


 気がつけば、窓の外が薄暗くなっていた。

 日が傾いてきたのだろう。王子の話が面白過ぎて、時間が経つのが早かった。



「おっと、長居になってしまったな。俺はそろそろおいとましよう」



 ソファから立ち上がろうとしたラムラ王子が、その場でよろけた。

 わたしは慌てて立ち上がり、肩を貸した。



「いけませんラムラ王子! 一応の治癒はしましたが流れた血は戻ってきません、しばらくは身体を休めませんと!」

「だが、そうそう迷惑を掛けるわけには……」

「もともとうちのマリエルのせいです。それに一人で夜の森は危険です、お泊りください」

「女性お二人と聞いて、怖がらせないよう供連れを置いてきたのが拙かったようだ。すまない」

「お気になさらずに。それに今晩は、先ほど仕留めたイノシシを調理しようと思っておりますの。もしよろしければお手伝い願えますと幸いですわ」

「そのくらいならお安い御用だ」



 腕を上げて力こぶをアピールしたラムラ王子が、「うっ」とうずくまる。



「ほらほら、ダメですよラムラ王子。治癒の奇跡でまだ身体が驚いているのです、痛みが完全に消えるまではもう少し掛かりますから」

「大丈夫だ、もうなんの問題も……ぐ」



 痛みを堪える顔で王子はもう一度ソファに座った。

 仕留めたイノシシを運びに行っていたマリエルの帰りを待ち、客間の支度をしてもらおう。

 ラムラ王子には体調が整うまでの間、しばらく滞在して貰うことになったのだった。

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