第40話 失われた時間
ゴットフリートはアントニアの待つ部屋に戻ると、もう躊躇せずに話し出した。
「アントニア、私の情けない話を聞いてもらえますか?」
「『情けない』?」
「はい、私が弟に頼り切りで情けない11年間を送ったことです」
ゴットフリートは、アントニアに自分を美化する嘘を言うつもりはなかった。虚構の上に関係が成り立っても、アントニアがノスティツ家の実情を知っている以上、嘘がばれるのは時間の問題だし、いつ嘘がばれるかハラハラする毎日を送るだけだ。ゴットフリートは、そんな空しいことをしたくない。
ゴットフリートは、つらつらとこの11年間の事を告白した。11年前、ゴットフリートが父の借金と領地売却の責任を取って家を継いだ時、学費を負担できずに学校を中退、騎士の夢を諦めなければならなくなった。その上、アントニアの両親から申し入れられた婚約破棄を受け入れなくてはならなくなり、立ち直れずにずっと家に閉じこもっていた。その間、弟ラルフが借金癖のおさまらない両親の対応や家計のやりくりをしてくれた。
ラルフはタウンハウスの広大な敷地一括売却で莫大な借金を返そうとゴットフリートに提案したが、肝心の当主のゴットフリートが事なかれ主義で強硬に反対する両親の肩を持ってしまった。
残ったタウンハウスを維持するため、王都に家を持たない下級貴族に有り余っている部屋を社交シーズン中に貸し出したが、それに関わる細々とした仕事はラルフが王宮勤めの傍ら全てやってくれた。しかもラルフは自分の給料も家計に入れて借金を早く返せるように頑張ってくれた。
「私はこんなに情けない人間だったんです……でも今は弟の幸せを壊さないように貧しくてもなるべく自分達だけでやっていけるように努力しています。分不相応なタウンハウスはもう売却して借金を返済したので、残りの借金は後少しだけです。今は、ラルフの伝手で王宮の官吏として働いていて、王都郊外の小さな家に両親と3人で住んでいます。使用人は通いの家政婦と侍女の2人だけです。馬や馬車を維持する使用人を雇えないので、うちに馬車はありません。庭は前の所有者の時のままになってますが、時々自分で雑草を抜いたり、枝を切ったりしてるだけです。でも狭い庭なので、なんとかなってます」
ゴットフリートは一気にしゃべり終わると、不安そうにアントニアの反応を待った。
「ご立派じゃありませんか」
「そ、そうでしょうか……」
「ええ、立派ですよ」
ゴットフリートは、アントニアの好意的な返事に顔を輝かせたが、すぐに表情を曇らせた。
「ありがとうございます……でも、お分かりいただけると思いますが、下級官吏の給料ではぎりぎりで貴族らしい生活には程遠くて……できる範囲でなんとかしていますが、公爵令嬢だった母や生まれながら侯爵家の跡取りだった父の希望とはかけ離れていて、両親は不満を溜め込んでいます」
「でもご自分の力で家のことをやって、ご両親のために苦心しているんですよね? すごいことですよ」
「それを10年間、ラルフは1人でやっていたんです……なのに、私は今も両親の対応でラルフに協力してもらってるし、侍女は公爵家の負担で派遣してもらっています。本当はうちには侍女なんて雇う甲斐性はないって母上にも言っているんですが、納得してくれなくて……」
ゴットフリートは、家の実情をどんどん話すうちに暗くなっていった。自分のおかれた状況を考えたら、アントニアにプロポーズなどできるわけがない。
「だから、こんな状況で貴女とどうこうなろうって思うのはおこがましい……それは承知してるんです……」
「私はゴットフリートの努力を尊いと思いますわ」
ゴットフリートがまだアントニアを好きなようだとラルフに手紙で知らされた時、アントニアは嬉しかったのと同時に信じられなかった。婚約していたのは10年以上前のことなのだ。もうとっくに別の女性と結婚しているとばかり思っていた。
だけど実際に会って話してみると、アントニアはゴットフリートの好意を感じ取れた。でも彼は決定的な言葉まで踏み込まない。まるで奥歯に物が挟まっているような言い様でアントニアはもやもやした。でも、かと言って長年の淑女教育ゆえに女性から想いを告げるのは恥ずかしくてみっともないという固定観念が抜けず、アントニアも自分からは好意をはっきりと口にできない。
その時、またノックの音が部屋に響いた。扉の隙間からラルフがひょっこり顔を出し、ゴットフリートとアントニアに束の間の邂逅の終わりを告げた。
「話し中、悪いけど、もう限界みたいだ。受付のシスターが迎えに来た」
「そっか……ありがとう、ラルフ」
寂しそうに答えた兄をラルフは手招きして耳元で囁いた。
「まだちゃんと告白できなかったんでしょう? 1、2分時間稼ぐから告白してきなよ。じゃないと後悔するよ」
「あっ、えっ?!」
弟に背中を押され、ゴットフリートはもう一度アントニアに向き合った。
「残念ながら、時間がなくなったみたいです。でも帰る前にまだ貴女に伝えたいことがあります」
「はい……」
ゴットフリートの真剣な目つきにアントニアは圧倒されそうになった。
「11年間情けない姿をさらし続けてきましたが、今は貴女に恥ずかしくない人間になろうと努力しています。貴女を……す、好きでいてもいいですか?」
アントニアを見つめるゴットフリートの目は涙で潤み、顔はおろか、首まで真っ赤になっていた。
「あ、ありがとうございます……嬉しいです……」
アントニアの胸は嬉しさでいっぱいになった。その一方でこの愛を受け入れていいのか、そもそも受け入れるべきなのか、分からなかった。だってゴットフリートは、恋人になろうとも、結婚しようとも言わなかったのだ。
アントニアはずっと考え込んだまま、ゴットフリート達と礼拝堂を出て門まで歩いて行った。
「……トニア?」
ゴットフリート達はいつの間にか門にたどり着き、どうやら何度かアントニアを呼んだようだった。アントニアは、はっと気が付き、慌ててゴットフリート達と言葉を交わして別れを惜しんだ。彼らが馬車に乗り込んで馬車が走りだすと、アントニアは他の修道女見習いに声をかけられるまでその場に佇んで馬車の走り去った方向をじっと見送った。
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