第23話 姉の不満
ルドヴィカが1歳になる頃、アントニアの産後の不調は治ったが気鬱を病んでいるという新たな『診断』が下りた。侍医も流石にほぼ部屋に監禁状態では気の毒だと思ったのだろう。気晴らしの散歩が必要という理由で幽閉条件が少し緩み、庭になら外出が許されるようになった。それに加えて閨の義務が引き続き免除されたことと、ルドヴィカの成長がアントニアの救いだった。
ルドヴィカが乳離れすると乳母は解雇され、辺境伯家の侍女が付けられたが、乳母のように慈愛に満ちた対応はなく、ルドヴィカが甘えられるのはアントニアだけになった。対外的にはルドヴィカだけが正式な辺境伯令嬢と扱われ、その対応の差は姉フランチスカの嫉妬を煽った。アルブレヒトはフランチスカを哀れに思ってますます甘やかして欲しがる物は何でも与え、我儘と傲慢な性格に拍車がかかった。
ジルケはルドヴィカ出産後、男の子を産もうと頑張っていたが、再び妊娠することなく、34歳となり、アルブレヒトは38歳、アントニア26歳、フランチスカ10歳、ルドヴィカ4歳となった。
ジルケはアルブレヒトの結婚を命令したフリードリヒが退位してもう何年も経つので、離婚を願い出てもいいのではないかと何度もアルブレヒトに願った。だが、アルブレヒトは慎重だった。まだ結婚契約書の離婚条件10年に満たない上、名目上はアントニアとの間にルドヴィカを設けているので、本来なら離婚は認められない。アルブレヒトは前国王フリードリヒが息子ヴィルヘルム4世の補佐に付いているうちはまだ離婚を願い出ない方がいいと判断していた。
アルブレヒトが中々離婚しない上に、待望の男の子を授かれず、フランチスカの我儘もどんどん酷くなってジルケは追い詰められていった。特にルドヴィカも自分の娘なのに憎そうな目つきで『おばさん』と呼ばれ、アントニアを母と慕う姿が目に入ると、尚更嫉妬と苛々が募った。しかも実の姉妹と知らせていないから仕方がないとはいえ、フランチスカが実娘ルドヴィカをいじめている。それを咎めたくても真実を黙っていなくてはならず、歯がゆくて仕方なかった。
ジルケはある日、フランチスカがまたルドヴィカをいじめている場面に鉢合わせ、とうとう我慢がならず、フランチスカを無理矢理その場から引っ張って来た。
「お母様、痛い! どうしてそんなに引っ張るの?! あの子は泥棒猫の子なんでしょ?! いじめたっていいじゃないの!」
「……そうじゃない! そうじゃないのよ! あの子も私が産んだの! 貴女の実の妹なのよ!」
「嘘!」
「嘘じゃない、本当よ。アルが前の王様の命令であの女と結婚しなきゃいけなくなった時に、あの女と子供を作らなきゃいけない条件がつけられたの。でもアルは私を愛してるから、私との間に子供を作ってあの女の子供ということにしたのよ。だからルドヴィカをかわいがってちょうだい」
「嫌よ! 私があの子の実の姉なら、私だって辺境伯令嬢でしょう?! どうして私だけ妾の子供、元娼婦の子供って馬鹿にされなきゃいけないの?!」
「……その言葉は二度と使わないで! 誰がそんな事教えたの?!」
ジルケは頭に血が上り、思わずフランチスカの頬を平手打ちしたが、フランチスカの『痛い』という叫び声で我に返った。
「ご、ごめんね、痛かったでしょう? でもね、あの言葉を聞くと、悲しくなるの。だからもう使わないでね」
「うん……お母様、私の方こそごめんなさい……でも……私も辺境伯令嬢になれる?」
「もうちょっとしたらアルはあの女と離婚して私と結婚できるの。そうしたら貴女も辺境伯令嬢よ。だからもう少し辛抱して」
「もうちょっとっていつまで待てばいいの?」
ジルケも『もうちょっと』が本当にちょっとの期間なのか分からない。それどころか、年単位で時間がかかるかもしれないと危惧していた。でもそんな事を言ったらフランチスカは我慢できないだろう。だからジルケは娘を誤魔化すしかなかった。
「フランチスカ、我儘言わないでちょうだい」
「私も同じ母親から生まれた姉妹なんだから正式な辺境伯令嬢にしてってお父様にお願いするわ!」
「駄目よ! ルドヴィカが貴女の実の妹って事は秘密なの。誰にも言っちゃいけないってアルに言われてたのよ。秘密をばらしたってアルに知られたら、結婚が延びるかもしれないわ。そうなったら貴女も辺境伯令嬢にすぐになれないのよ。だから黙っててちょうだい」
フランチスカは口では黙っていると母に言ったが、どうして同じ母から生まれた自分が辺境伯令嬢じゃないのか、内心かなり不満だった。母はああ言ったけれども、娘の自分に弱い父なら、この事を問い詰めたぐらいで辺境伯令嬢になるのが遅くなるのはあり得ないと信じていた。だから母の姿が見えなくなると、すぐに父の執務室に突進した。
「フランチスカ、仕事中は来ちゃ駄目だと言っただろう?」
「お父様! それよりも重要なことを聞きたいの!」
フランチスカが執務室にいるペーターをちらりと見やると、アルブレヒトはペーターに退室するように伝えた。
「お父様、ルドヴィカがあの女の子供じゃなくて、お母様の子供だって本当なの?」
「……誰から聞いた?」
「先に私の質問に答えて! 本当なの?」
激昂し始めたらフランチスカは誰にも止められない。ペーターが執務室の前で見張っていてもあまりに大声だとたまたま廊下を通った使用人に聞こえてしまうかもしれない。アルブレヒトは仕方なく娘に真実を伝えた。
「嘘?! じゃあ、どうして私は辺境伯令嬢じゃないの?!」
「それはお前も知ってるだろう? ルドヴィカは建前上、俺と正妻アントニアの娘だ。お前は俺とジルケの娘、そしてジルケは俺の妻ではない。仕方ないんだ」
「嫌よ! 私も辺境伯令嬢にしてよ!」
「もうちょっとしたら私はジルケと結婚できる。だから今は堪えてくれ」
「もうちょっとっていつまでなの?! お母様は10年も待ったのに、お父様は別の女と結婚してそれからまた何年も経ったわ! 私、そんなに待てない!」
「声が大きいぞ! こんな事がばれたら、我が家は罰を受けるんだ。大人しく秘密にしていてくれ」
「お父様とお母様が悪いのよ! ルドヴィカだって妾の子供なのにどうして私だけが馬鹿にされなきゃいけないの?!」
「口が過ぎるぞ」
「元娼婦の子供だって言われるのよ! そんなの沢山!」
アルブレヒトはかっときてフランチスカの頬を打った。フランチスカは何でも我儘を聞いてくれていた両親によりによって同じ日に初めて平手打ちされてショックを受け、号泣しながら執務室を飛び出していった。
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