第20話 本音

 アントニアは貞操教育に雁字搦めに囚われているが、ペーターがもう少し押せば気持ちが届きそうに思えた。


「お互い、好きな気持ちがあれば、触れ合いたくなるのは当たり前です。破廉恥なことではございません。旦那様がお許しになる範囲内なら、不貞でもありません」

「……閣下がお認めになっていて好き合っているなら、そうなのかもしれないわね……だけど……貴方を男性として慕っているとは…ごめんなさい、正直言って言えないわ……」


 一縷の希望を砕く言葉にペーターの表情は抜け落ちた。それを見てアントニアは慌てて付け加えた。


「あ、あの、でも貴方は四面楚歌の私を支えてくれてとても親切で素敵な人だわ。そういう意味では貴方の事を好きなのは確かよ!」

「私を好いて下さるのですね」


 ペーターは途端にパッと表情を明るくした。それを見てアントニアは誤解を招いたかもしれないと焦った。


「ええ、で、でもそれは、さっきも言ったように男性としてじゃなくて、その、人として、好きなのよ」

「そ、そうですか……そうですよね……すみません」


 ペーターは、一転してまたシュンとなった。


 アントニアは本心では不貞ではないかと恐れているのに、孤独が怖くてペーターを拒絶できず、彼を一喜一憂させている。アントニアは自己欺瞞が情けなくて恥ずかしくなった。


「本当は……貴方の主人の妻として貴方の想いを拒絶しなくちゃいけないって分かってるの。でも貴方まで私を見放したら、私はあのおんぼろな離れで後9年近く、孤独に耐えなきゃいけない。もしかしたら9年後も離婚が認められなくて死ぬまで独りかもしれない。それが怖くて仕方ないの……弱くて自己中心的で……ごめんなさい」


 俯いてそう告白したアントニアは、顔を上げてペーターの表情を見る勇気がなかった。


「謝らないで下さい。拒絶されるより頼っていただける方がずっといいですよ。私は貴女のお役に立てれば嬉しいんです。そりゃ、貴女に男性として愛してもらえたら、天にも昇るような気持ちですけど……そこまで求めません。どんどん頼っていただいて、いずれ私を愛して下さらないかと希望を持ってるんです。だから私の方がずっとずるいんですよ」


 ペーターは、シュンとした表情から一転していたずらっ子のように微笑んだ。


「ああ、でもどんどん頼ってもらって愛して下さればって言うのは、本音と言えば本音ですけど……愛してもらえても、もらえなくても、貴女のお役に立てることが第一です。気にしないでどんどん頼って下さい」

「でも……それじゃ、貴方の好意を利用しているだけよね。自分が嫌になるわ」

「そんなことはありません。私も貴女の頼りたい気持ちを利用しているんです。ほら、お互い様でしょう? だから泣かないで下さい」


 そう言ってペーターはにっこり笑ってアントニアの頬の涙を指で拭った。


「お美しいお顔が台無しですよ。心配はいりません。私が全て良いようにして差し上げます……ああ、もう行かなくてはならないのが本当に残念です。また来ますね」


 ペーターは心残りだったが、本邸に戻らなくてはならない時間が来た。彼はアントニアをふわりと抱きしめて額と頬にキスをして部屋を辞した。


 慰問旅行がなくなり、アントニアに触れることができなくなって以来、触れた彼女の身体と唇は柔らかく、甘美だった。ペーターは本邸に戻ってもその感覚が脳裏から離れなかった。だからアントニアがあの後、両親に頼まれて彼から離れることを決意したなど、予想もしなかった。


 ペーターの両親がペーターから離れてくれとアントニアに頼んで以来、アントニアはペーターと別荘で会うのを止めた。彼が玄関先で両親と言い争った末に追い返されるのが聞こえて胸が痛んだが、心を鬼にして自室に閉じこもった。それが何度か繰り返されるうちにペーターが別荘にやって来ることもなくなった。


 ペーターが持ってきてくれるお土産の本がなくなったのはアントニアにとって残念ではあった。でもしばらくするとペーターの両親がアントニアに欲しい本を聞いてくれ、1週間に1度別荘まで配送されるように手配してくれた。


 ペーターが別荘にやって来なくなったのと同じ頃、辺境伯家の本邸に新しい侍女ヨハンナが入ってきた。彼女は痩せていて髪や瞳の色がアントニアと同じ栗色で、何となくアントニアを彷彿とさせた。ヨハンナはアルブレヒト専属侍女となり、ペーターと顔を合わせることも多く、2人はいった。

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