第9話 うわべだけの結婚生活

 アントニアは、妻として愛されなくてもせめて辺境伯夫人としての役割だけは果たそうと思い、恐る恐るアルブレヒトに尋ねた。


「旦那様、私も辺境伯夫人として……」

「俺を旦那様と呼ぶな」

「ではなんとお呼びすればいいのでしょうか?」

「閣下だ」

「では閣下。私も辺境伯夫人としてできることをしたいと思います。領内の孤児院を慰問したり、視察に同行したりしてもよろしいでしょうか?」

「お前が辺境伯夫人?」


 アルブレヒトは眉間に皺を寄せて思いきり嫌そうな顔をした。


「でも閣下、私が対外的には辺境伯夫人だとご自身でおっしゃったではないですか」


 自分の発言の矛盾を指摘されてアルブレヒトはますます機嫌が悪くなった。


「うるさい! それは陛下に対してという意味だ。領民に対してじゃない。領民にはジルケが一緒に顔を出しているから余計なことをするな。お前は何もしなくてもいい」


 アルブレヒトがアントニアに怒鳴っている間、ペーターは主人の後ろで彼女を気の毒そうに見ていたが、立場上、表立ってこの場を収められない自分が情けなくてたまらなくなった。一旦怒り出した主人を宥めると余計に状況が悪化することを、ペーターは知っている。彼も伊達に長くアルブレヒトに仕えているわけではない。


 ペーターは、後でアルブレヒトの機嫌がよい時にある提案をした。


「旦那様、領地の境界近くにあるグレンツェ修道院付属の孤児院をご存知でしょうか?」

「うーん、そんな所あったかな?」

「ええ、最近寄付も少なくなって困窮しているようで、孤児の引き取りも減らしているようです」

「そうか。でも俺とジルケはそんな遠い場所に慰問は行かないぞ。いくらか寄付を出しておけ」

「そういう所には、奥様をお使いになったらいかがでしょうか?」

「あいつを『奥様』と呼ぶな」

「では、アントニア様とお呼びします。彼女を慰問に派遣したらいかがでしょうか?」

「あれを使いに出すのは反対だ。領民にあいつの顔を辺境伯夫人として知らせたくない」

「アントニア様は辺境伯夫人としてではなく、旦那様のご親戚の女性として慰問していただけばいいでしょう。あそこは遠い所ですから、辺境伯家の事情までは届きません。旦那様ご自身が慰問されなくても、ご親戚の方が代理で慰問されれば、辺境伯家の名声も上がります」

「だが、あそこは日帰りでは帰って来れないぞ。あいつが外にいる時間が長いと、領民にアントニアの顔を覚えられるだろう?あいつが公式な辺境伯夫人と知られる危険はないか?」


 アントニアの顔を一般の領民に知られたくないアルブレヒトはペーターの提案を渋った。


「それなら私がお供してアントニア様がそのような事をおっしゃらないように監視いたします。護衛も御者も私ができます」

「うーん……お前が行くなら護衛も他にはいらないし、あいつに余計な人員を割かなくてもいいか」


 アルブレヒトは何かいい事を思いついたようでニヤリとした。


「侍女は勿体ないから付けないぞ。お前とあの女は夫婦っていう設定で慰問に行け」

「えっ、旦那様?! 私は何もいたしませんが、アントニア様と2人だけで泊りがけの慰問は外聞が悪いのではございませんか?」

「あいつは陛下の前以外は俺の妻じゃないから『外聞』なんてないさ。あの鶏ガラを愛撫してお前もその気になってただろう? 褒美に楽しませてやるよ。次の閨でちょっとは濡れてもらわないとこっちも痛いからな。ああ、言っとくが、托卵は駄目だから抱くなよ。愛撫だけだ」


 意地悪そうにニヤニヤする主人をペーターはぶん殴りたくなったが、流石に主人を殴る訳にいかず、すんでの所で我慢した。それにアントニアと2人きりで泊りがけで出掛けられる機会をふいにしたくなかったのもあった。

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