第24話 忘れ形見の誕生

ラルフはゾフィーの妊娠期間中、なるべく遠出を避けるようにしていた。でも運の悪いことにゾフィーが臨月になって、領地へ視察に行く予定の公爵が肺炎寸前かというほどの風邪にかかり、ラルフが急遽代理で行かなくてはならなくなった。それに結婚した後にゾフィーは懐妊した設定だったから、公にはゾフィーはまだ臨月ではなく、ラルフは領地視察を延期したり、断ったりすることができなかった。


「ゾフィー、義父上が病で領地へ行けなくなったから、私が行かなくてはならなくなった。もうすぐ予定日だというのに本当に申し訳ない」

「心配なさらないでください。お義母様も私の侍女マイカもいますし、産婆もついています」


ゾフィーは本音ではラルフにそばにいてもらいたかったが、未来の公爵夫人としてそれではいけないと自分を奮い立たせた。


「あーあ、嫌だなぁ・・・俺はゾフィーが心配だよ」

「心配しないでいってらっしゃいませ。ここに旦那様も奥様もいらっしゃいますし、陣痛が始まればすぐに産婆も来ます。だから若旦那様がいらっしゃらなくても大丈夫です。私もいますし。」

「俺がいるのといないのじゃ、ゾフィーの精神的な支えが違うんだよ。お前じゃ支えになれるわけないし、なってほしくない」

「はいはい、お熱いことですね。若旦那様の想いは領地からでも届きますからご安心ください」


ラルフは公爵家に来てまだ1年になっていないが、同年代の執事のコンスタンティンとは軽口を叩けるほど打ち解けていた。


翌朝、ゾフィーは重いお腹を抱えながら、寂しい気持ちを押し隠して領地へ出立するラルフを見送った。


「いってらっしゃいませ。どうか無事に帰ってきてくださいね」


そう言ってゾフィーは背伸びしてラルフの頬にキスした。するとラルフの顔は耳まで真っ赤になってしまった。それを見た公爵夫人や使用人達は、たった1週間の旅なのにまるで今生の別れのようだと2人を微笑ましく思い、温かく見守った。


ラルフが出発してからは、寂しさのせいなのか、はたまた陣痛の予兆なのか、ゾフィーはお腹の張りを時々感じるようになった。3日目にはとうとう短い間隔で痛みを感じるようになり、周囲はいよいよ出産だと俄然、騒がしくなった。


酷い風邪が妊婦にうつらないように寝室にほぼ閉じ込められた公爵アルベルトは、孫誕生はまだか、まだかとベッドの中からしょっちゅう尋ねていた。アンゲリカ夫人に初産だったらこのぐらいかかっても当たり前と言われて、ルドルフの時もそうだったかどうかアルベルトは思い出そうとした。だが、当時家のことにあまり関心がなかったせいか、アルベルトは何も思い出せなかった。赤ん坊が生まれても風邪が治るまで会えないと言われ、アルベルトはあまりにがっかりして回復が遅くなりそうだった。


ゾフィーが産室に入ってから10時間以上経っても、出産はまだ終わらなかった。痛みがどんどんひどくなり、あまりの激痛にゾフィーは全身がバラバラになりそうだった。でも限界が来る前に赤ん坊の頭が産道からようやく見えてきた。


「ゾフィー様、赤ちゃんの頭が見えてきましたよ。もうちょっとですからね、頑張って!」


それからまもなくして赤ん坊の大きな泣き声が廊下まで響き渡った。


「ゾフィー様、かわいい男の子ですよ」

「あぁ、かわいい・・・」


ゾフィーは、自分の産んだ子供の顔を見せられて天にも昇るような気持ちだったが、疲れと痛みで限界だった彼女はその後すぐに意識を手放してしまった。


そこにドタバタと大急ぎでラルフが視察を切り上げて帰ってきた。


「生まれたって?!ゾフィーと赤ん坊は元気か?」

「ラルフ様、静かにしてください。赤ちゃんが泣いてしまいます。それにゾフィー様は疲れて寝ておられるのですよ」

「すまん・・・」


ゾフィーは、汗と涙で髪を顔に張り付かせたまま泥のように眠っていた。


ラルフは赤ん坊の顔を見てから、ゾフィーのベッドの脇に来て彼女の額にそっとキスをした。


「ゾフィー、ありがとう。頑張ったね」


その時、夢の中でまどろんでいたゾフィーは、誰かが彼女にありがとうと言って額にキスしたような気がした。


(ルディ兄様がこの子に会うために来てくれたの?自分の子供が無事に生まれて喜んでくれた?-いいえ、違うわ、この子はルディ兄様が死にたいと思うまで追い詰めてしまった存在だもの・・・でもこのかわいい子をそんな呪われた存在にしちゃいけない!)


ゾフィーが夢の中で葛藤していた時、ラルフもまた葛藤していた。生まれた子供は男の子だから、約束に従えば、ゾフィーが望む限り白い結婚を続けてもいいことになる。でもラルフは身も心もゾフィーと本当の夫婦になりたくなっていた。でも、そんなラルフの望みをゾフィーが知れば、仮に白い結婚の継続を望んでいても、優しい彼女のことだから本心を隠してラルフの望みをかなえようとしてしまうに違いなかった。

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