アクセルの騎士道(1)

「半島西方にある、いまだおおやけにはされていない孤島──通称『翡翠の王国』に漂着しました」


 アクセルは襟を正し、改めて背筋を伸ばす。

 イェールハルドは一度だけまばたきしたが、無言で報告の続きを促した。


「雨が一切降らない青空と目に見えない壁で覆われた、ノウドとは異なる海に大地を置いたような島でした。そこはノウドよりも温暖な気候である一方で、根付いている動植物はノウドにも馴染みがあるものが大半」


 調べたのはアクセルではなく『夢遊病ドラム』の学生たちだ。

 特に、医学薬学に通じているタルヴォは、秘地ひちで有頂天となりながらもしきりに不思議がっていた。

 おとぎの国──、と。


「そしてかの島では、先刻ノウドに反旗を翻し半島を出て行った、アルネ第八公子とその騎士グレンダも身を潜めておりました。拘束する準備を特段船に積んでいませんでしたので、ノウドまで連行するようなことは今回はいたしませんでしたが」


 小さく呼吸して酸素を入れ替える。


「事情聴取したところ、グレンダ……彼女は、その孤島の出自だとか」


 時計の針が進む音がやたらうるさい。


「加えて、かの島には『雨の魔女』そして『焔の革命児ラーモ・デ・ジャマス』が崇拝し、じきに魔法魔術を駆使して蘇らさんとしている、セルマと呼ばれる神が封じられています」


 アクセルがいかに突拍子もない話を聞かせようと、イェールハルドはうんともすんとも言わなかった。

 報告を最後まで受けきるつもりなのだと、この時点でおおむね察しは付いている。


「あれが蘇れば、二十年前に起きた大災害『死の雨シーレライン』と極めて近しい被害がノウド内外にもたらされるのではないかと、アルネ公子は見込んでいるようでした。よって、グレンダや協力者とともに、魔女らの目論見を阻止するべく、エスニアを中心に裏で手を回しているのだとも」


 ゆえにアクセルも淡々と、自分が主張すべきことのみを端的に伝えた。


「罪人たる彼らの証言すべてに、信憑性が保障されているはずもありません。しかして、孤島とその周りで起きているすべての事柄は、ノウドの今後の進退に大きく関わってくること請け合いです。我々ノウド騎士団が、仔細を調べ、次第によっては各国とじかに干渉することも必要となってくるでしょう」


 交渉か、武力行使か。

 いかなる手段を講じるべきか、それを決めるのはアクセルではない。


「いかがなさいますか、団長」


 判断を仰がれると、イェールハルドは重々しい口を開く。

 アクセルの報告を聞いたために険しい顔つきとなったわけではない。彼はアクセルが会議室に来た時から、終始表情を崩さなかった。

 おとぎ話の健在を聞かされようとも、公国の危機を知らされようとも、だ。


「報告は以上か」

「はい」

「では以上の報告を、そのまま公爵に伝える。私から、あるいはお前から」

「……公爵に伝えて、その後はどうなさるのですか」

「それを決めるのは我々ではない」


 アクセルは確信する。同時に、心が凍りついた──いや、静かに燃え盛った。

 公爵がどう判断するか、なんてのはもはや関係ない。

 今の返事だけで、アクセルがイェールハルドに求めていた答えは得られたようなものだ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「団長。ここからは、事実報告ではなく個人的な見解です」


 アクセルは感情を押し殺す──いや、紡ぎ出される言葉に感情はもうなかった。


「あなたに言わせれば、騎士には一切不要だという私見というやつです。話しても構わないでしょうか」

「無論だ」


 イェールハルドも悪びれる素振りを見せない。

 彼はいつだって、自分にとって正しい騎士の姿であり続けているのだ。


「確かに不要とは言ったが、それも私の個人的見解であって、お前や他の者に強要する意図はない」


 ──ああ、そうですか。

 ならば、僕も遠慮することはない。


「以上のことを現地にて実際に見聞きし、情報共有した友人が申していたのです」


 丸眼鏡を何度も掛け直しながら。

 帰りの船で、他の純粋無垢な仲間たちには聞かれまいと人目を忍び、いつになく気まずそうに、言いにくそうに、かの聡明な友人はアクセルへ耳打ちしてきたのだ。

 いち国民として、自分でもとんでもない発想だとは重々承知しているのですが──なんて断りを至極丁寧に入れて。


「孤島の所在、災厄をもたらす神あるいは魔物、魔女や革命軍といった賊の目的。これらの現状を我らが尊大なるあるじ様──ヘリッグ公爵は、本当にまったくご存じでいらっしゃらないのでしょうか?」


 イェールハルドは眉ひとつ動かさない。


「幾度もエスニアから侵略行為を受け、密偵の存在も明らかとなっている昨今にも関わらず、どうも公爵の動きは悠長過ぎます。密偵を徹底して洗い出すためにも、ノウドで唯一の魔法使いたるタバサ様の件にせよ、即時公表することで賊の牽制を図り、国民に危機感を持たせることだって可能なはず。しかし公爵はそれをなさらない」


 背中で腕を組み、微動だにしない。


「もし、エスニアが真に大災害を起こすための大魔術を組み立てている最中であったなら、そして魔術の発動装置となりうるのが、かの島であったとしたら、その懸念をも世間には広く知らしめるべきでしょう。──イェールハルド団長。公爵は、先の報告を伝えれば、そのような判断をなさると思いますか?」


 唇をわずかに揺らすことさえなかった。

 沈黙を貫くイェールハルドへ、アクセルは問い続ける。


「ノウド騎士団は常に、公国の秩序を保ち、守るために骨身を削り、必要とあらば剣を振るってきました。我々は公爵の配下であると同時に、民の平穏な暮らしを最前線に立ち保証するという責務もあるからです」


 一人の騎士として、問い続ける。


「時に、自分はあなたのご意見を伺いたく。来たる戦乱において、あるじという個の秩序、国民という集合した秩序。いずれかしか守れないという選択に迫られた時、我々は果たしてどちらを優先するべきなのでしょうか」


 イェールハルドは答えない。

 めったなことを言うなとアクセルを咎める気配さえ見せなかった。


「あなたは、なおも公爵のめいこそ騎士のにん、そのすべてと見做すのですか? 己が国家の平穏を脅かしているはずの、魔女やエスニアの動きに関心を一向に持たない──あるいは、もとより賊を止めない理由をお持ちの公爵に」


 黙秘──いや。

 答えるまでもない、ということか。


と考えている、なにか別の事情をお持ちの彼に、最後まで忠誠をお誓いになると?」


 認めざるを得ない。アクセルが目前で対峙している、イェールハルド・ギルは確かに優れた騎士であった。

 彼は言葉で補うまでもなく、その背中ですべてをアクセルへ告げている。

 この男の心は、虚勢を張るでも義務感でこなすでもない。


 真の意味で、己があるじに心身を捧げていたのだ。


「半島に棲まうすべての生命いのち意思こころを、天秤にかけたとしても?」

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