戦いの果て(2)

 ミュリエルの数歩後ろで控えていたメロディアは、周囲の目をチラチラと気にしつつ自らは言葉を発そうとしない。

 公女らしく気丈な振る舞いを心がけているつもりなんだろうが、頬は強ばり、両眉はわずかに下がっていて、アクセルと同様、どんな顔をしてその場に居たら良いのかわからないでいるようだった。


 アクセルもメロディアも、オーラヴ──ミュリエルの弟とは、面識こそ幾度かあれど、それも幼少の話であって何年も直接話す機会はなく、正直どんな人柄だったかの印象も薄れていたくらいだ。

 でも。自分たちはそうだったとしても。

 弟の訃報をつい数日前に聞かされ、この葬式で誰よりも当事者であったミュリエル。

 喪に服しているその佇まいが、参列者の誰よりも堂々としており、表情もずっと落ち着き払っていることに、むしろ自分たちの感情がぐちゃぐちゃとなり整頓つかなくなってしまっていた。


(いや。──演技だろ。こればっかりは、ミュリエル渾身の演技だ)


 アクセルは唇を噛む。


「ミュリエル。──すまない」


 ようやく振り絞った声が、自分でも驚くほどに枯れていた。

 しかしミュリエルは眉をぴくりとも動かさず、


「此度もお務めご苦労様でした」


 アクセルが屋敷へ帰ってくるたび同じように繰り返してきた台詞を、


「アクセル様がご無事であったなら、わたくしはそれでじゅうぶんにございます」


 寸分違わず言ってのける。

 涙一滴こぼすどころか、かすかに微笑みを浮かべたようにさえ見えたミュリエルは、そのままメロディアを連れて式場へ入っていく。



 ……追えない。

 職務中に持ち場を離れるわけにはいかなかったし、そうでなくとも今のアクセルには、これ以上彼女へどんな言葉をかけるべきか、騎士として彼女にどう振る舞うべきであったか、正しき行いをまるで見出せなかった。


 しばらくすれば会場内から、葬式が始まったらしき音が聞こえてくる。

 重々しい雰囲気を外で感じながら、アクセルはただその場に突っ立っていることしかできなかったのだ。



 葬式が終わり、亡骸が次々と墓場まで運ばれていくのをアクセルも遠目で眺める。

 作戦が『海を翔ける鳥ペンギンナイト』と『枝分かれの道ノウンゴール』との合同であったように、クロンブラッドへは『枝分かれの道ノウンゴール』の騎士たちも多く集まっていた。土葬まで済んだら、あとは彼らがヴェール領へ帰っていくのを見送るだけだ。

 今日は、それ以外の業務はもうない。アクセルに限らず、『海を翔ける鳥ペンギンナイト』の皆が仲間の死を悼むためのじゅうぶんな時間を必要としていた。


 アクセルが参列者を馬車まで案内するべく歩みを進めていると、同じ持ち場を担当していた先輩騎士に話しかけられる。


「あっちのベンチにスヴェン・ヴェール様が座っていらっしゃる。……連れてきてくれないか」


 なんでよりにもよって僕が──とすかさず断りたい衝動に駆られた。かくいう先輩騎士も、自ら呼んでくるのが心底嫌で、後輩へ仕事を押し付けたのだろう。

 アクセルは重い足取りで、丸まった背中が遠くでも見えるベンチへ極力のろく向かった。


 ベンチではスヴェンが静かに泣いていた。

 できるかぎり人目を避け、ひっそりと、しかし丸メガネを外し脇へ追いやり、何度も何度も布で目元をぬぐっていた。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「スヴェン様」


 かろうじて彼の視界の隅に入りそうな位置で立ち止まり、


「……そろそろ出発のお時間です」


 声をかければ、わざわざ視認せずともやってきたのがアクセルだとわかったらしい。

 スヴェンは少しの間鼻をすすったまま返事をしないでいたが、


。……どうか後学のために教えてください」


 おもむろに奇怪なことを口走る。


「作戦が始まる直前……ランプの扱いについて、僕が……素人のくせして、ない頭絞って……あれが、間違っていたのでしょうか」


 それだけでアクセルは、彼が単純に騎士の死を憐れんでいるだけじゃなかったと悟る。

 ぴしと背筋を伸ばし左胸へ手を当て、


「あのご提言は決して間違ってなどいません。この藤の花ヒースに誓って」


 強めの言葉尻で答えた。


「むしろ、真夜中の森という我々にとっても不慣れな環境下においては、スヴェン様のお話はたいへん有効であったと……心より、感謝しています」

「でも、逆に奇襲を受けてしまったのでしょう」


 報告書は当然スヴェンの手元にも届いていただろう。

 特にオーラヴは、小屋の爆発にもっとも近い位置で巻き込まれた前衛部隊の担当であった。騎士団でもとりわけスヴェンと親しかったらしい彼が、自分のせいで命を落としてしまったと人知れず責任を感じてしまっているのだ。

 アクセルは慎重に言葉を選びつつ、


「あくまで自分の見解ですが、今回はスヴェン様のご提言や炎の扱いうんぬん以前に、大きな課題が残った作戦行動だった……と、思います。ひとえに騎士団全体の力が及ばなかった結果……いえ……」


 おおむね心境がままの反省を告げる。


「革命軍……あるいは『雨の魔女』の力量が、こちらの想定や準備を上回った結果だったとしか」


 言っておきながら、自分でも無常さが増していく一方だ。

 総合的に見れば成功だった今回の作戦。理性では誰もがわかっている──犠牲なくして勝利するという発想そのものが、夢物語なのだと。

 なにより指揮官だったイェールハルドは、生存者に対しては労いの言葉をかけたものの、以降は口を閉ざしていて、実のところ此度の結果を彼はどう捉えているのやら。計算通りか、それとも……。



「そう……ですよね。ええ、わかってるんです、本当は」


 スヴェンもうつむきがちに、


「騎士ですらない僕なんかじゃ、立場的にも、皆さんへ尽くせる手なんか初めから持ち合わせちゃいなかったって……」

「……いえ、そんなことは」

「兄上も、騎士団が森を出てきてからは日夜問わず、精一杯怪我人の手当てや治療に尽力してくれました。けれど……それでも、僕らは皆さんを……オーラヴ氏のことも、助けてあげられなかった」


 涙声で。


「その戦いにわずかでも関わったなら、皆が等しく当事者だと僕は考えています」

「……! あ……」


 アクセルは息を呑む。

 騎士でないのだからあなたの責任ではない──なんて、浅ましい励ましを今にもしようとしていた自分こそ、あまりにも軽率だったと思い知らされる。


 スヴェン・ヴェール──外面こそ頼りなく弱々しいものの。

 たとえ繰り上がりの次期領主だったとしても、自分なりに容易には揺らがぬ信念を持ち、騎士団と密に関わりながら正しさを追い求め行動する、とても思慮深い紳士であったと。

 アクセルはここでようやく、彼の人となりを定めた。メロディアの「悪い人じゃない」という、あいまいながらも核心をついた見極めは正しかったのだ。


「申し訳ありません、アクセル氏」


 ふらふらと立ち上がったスヴェンが、ひとりでに馬車へ向かっていく。


「僕はもう、彼のお姉様にも……メロディア公女にも、合わせる顔がありませんね」

「……っ、スヴェン様!」


 呼び止めようとした。

 だが、次の言葉が待てども待てども自分の脳内へ降りてこない。結局、スヴェンは馬車に乗り込んでしまう。

 去っていくスヴェンや『枝分かれの道ノウンゴール』の騎士たちを、見送るばかりか見過ごすことしかできない自分に苛立ち、


(愚か者。騎士道を幾度もぐらつかせているのは僕のほうだろうが!)


 空いたベンチの背もたれを、八つ当たるようにぶん殴る。



 アクセルこそ、自分の手では直接オーラヴや他の騎士たちを守れないと、とっくに理解していたはずなのに。

 いくら作戦全体が上手くいったからって、それで身近な人間が──同じ小隊の仲間や、家族も同然だったミュリエルの弟が、犠牲となってしまったのなら。

 彼らだって、アクセルにとっても優先して守るべき、大事な人だったのではないのか。公国の法とか秩序とか、あるじと同等、もしかしたらそれ以上に。



 ──大事な人を守れずして、なにが『騎士』なんだ?



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 すべての業務が終わり、『海を翔ける鳥ペンギンナイト』も早い解散となる。

 アクセルは本部や寮へは戻らず、港の方面へアテもなくさまよい、海がよく見える堤防で立ち止まるとしばらくたそがれた。


「……様。お兄様。……アクセルお兄様?」


 何度か背後で呼ばれ、ようやく気付いて振り返る。

 黒いワンピースを着た愛しい妹が、柔らかな微笑みを浮かべてアクセルをじぃと見据えていた。近くにミュリエルや他の騎士の姿はない。

 どうやらメロディアは単身でアクセルの後を追いかけてきたようだった。

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