第二部 蒼天の聖騎士と純愛公女の冒険譚〜生まれ変わっても妹になる

ある邸宅のモーニングティー

 ──すべての女性には、美しくなれる『魔法』が宿るらしい。

 ならばわたしは、剣と戦場に生きる『お兄様あなた』にその力を捧げましょう。

 あなたが望む美しさこそが、わたしの幸せなのですから。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 ノウド公国首都クロンブラッド。

 かんかんと照り輝く太陽の下、少女は今日も鼻歌をうたっている。

 庭のテーブルにいそいそと食器を並べていれば、玄関のドアが開き、ティーポット両手に少女へ歩み寄っていく壮年の女性。


「本日もお早いご支度ですね、メロディア様」

「おはようミュリエル。……まっ!」


 振り返りがてら少女は、女性が抱えたティーポットに目を丸くした。

 ポットの注ぎ口ではほんのりと湯気が上がっており、流れていく空気の中にオレンジの香りを見つける。


「どうしてお前が先に支度してしまうの!」

「侍女ですので」


 ミュリエルと呼ばれた壮年の女性は、簡素な給仕メイド服に身を包み、細くわずかにシワのある指先でつつとティーポットの表面をなぞった。

 すでに用意されていたピカピカのカップへ、音静かに紅茶を注いでいく。白い器と日光がいっそうオレンジ色を透き通らせる。


「あなたはわたくしに仕事をするなとお申しになりますか?」

「何よぉ今更! わたしがなんのために早起きしているか知っているくせに」


 少女は赤子みたいに頬を膨らませ、つかつかと岩の道をヒールで踏み鳴らしながらテーブルへ近寄った。

 歩くたびにドレスの裾がふわと膨らみ、少女の後頭部では大きな桃色のリボンがゆらめく。


 庭で咲くいかなる花よりも鮮やかな装い。

 太陽よりも眩しいブロンドの髪。

 なにより、青空よりも澄んだ少女の両眼が、ミュリエルの頬を図らずも緩ませた。


「……わたくしも存じ上げておりますよ」


 優しい微笑みを浮かべたミュリエルが、


「メロディア様がここ数日のところ、アクセル様の帰りを今か今かと待ち侘びて屋敷中をさまよう、へリッグ第三邸宅の幽霊さんになっておりましたことは」


 と肩をすくめ茶化し気味に語りかければ、少女はかっと顔全体を火照らせる。


「な……っ」

「恐れながら申し上げますが、ただ廊下をさまようだけに留まらず、このミュリエルに黙って台所の食器や調理器具を私室へ持ち出すのはお止めください。ただでさえ慣れておいででない包丁でお怪我でもなさったら、わたくしはもとより、アクセル様もさぞかし青い顔をなされるでしょう」

「ゆ、指は切ってないわよ!」

「……指は?」


 たまらず声を荒げた少女が、あっと両手で口を覆う。

 真夏にも関わらず長袖を着込んでいる少女の、ちらりと見えた腕にはうっすらとあざが残っていた。

 それを決して見逃さなかったミュリエルは、少女の身を案じるというよりかは半ば呆れたように息を吐く。


「どうりで茶葉の小袋が足りないと思っておりました。湯入れの練習をコソコソと……あげく、きっちり火傷なさったと」

「き、きっちりって何よぉ……」

「後ほどちゃんと傷をお見せくださいね。せっかくのお綺麗な肌に痕でも残ってしまっては、素敵な嫁入りが叶わなくなってしまいますよ」


 少女は物腰柔らかなミュリエルの説教に、しゅんとその場で俯いた。ごめんなさい、と小声で呟く。


「次に練習する折にはわたくしも呼んでくださいね。メロディア様がご立派な淑女になれますよう、誠心誠意ご指導いたします」

「そう、ね。よろしくお願いするわ。……でも」


 メロディアは俯いたまま口を尖らせる。

 心底反省したような色から、何かを憂いているのか、あるいは不服に感じているような色へと表情を変えて、


「その心配は要らないわ」

「はい?」

「お嫁になんて行かないもの」


 その言葉を聞いたミュリエルは、笑みこそ崩さなかったものの、少し困ったように眉を下ろす。


「遅かれ早かれ、いつかはこの屋敷を離れる時が訪れるものですよ」


 少女は答えなかった。

 しかし、憂愁の目に映した少女の心の声が、ミュリエルには見て取れるようであったのだ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



(だとしても……けれど、それは絶対に今じゃないわ)


 その時である。

 二人は遠方から、夏風とともに馬の唸りを耳にする。メロディアの顔はぱっと明るんだ。


「お兄様だわっ!」

「転ばないでくださいね」


 慌ただしく庭を出ていったメロディアの背中へ、ミュリエルは困り顔のまま注意を投げかける。


(本当にまだまだ子どもですよ、メロディア様は)


 ミュリエルは知っている。

 己が幼少の頃より仕えてきたヘリッグ家、その公女がひとり。

 ノウド公国第八公女メロディア・ヘリッグは昔も今も、ずっと変わらずただ一人の紳士に執心し続けているのだ。


 次第に近づいてくる車輪の音。

 門前で足を止めた馬体でも隠せないほどの大きな箱の中から、ふわりと着地する金髪の青年。

 腰に剣を携え騎士服を纏ったその男に、少女はまもなく飛びついた。


「お帰りなさいっ、アクセルお兄様!!」



 青空の下、抱擁する兄妹を眺めたミュリエルは思う。

 ああ──このお二人は太陽よりも美しい。

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