ある夏のアフタヌーンティー(3)
「ハルワルドさん。……もしかして、この私を憎んでいらっしゃる?」
遠方からわざわざ足を運んできたハルワルドへ、つい探りを入れてしまう。
しかしハルワルドは表情を変えず、緩やかに首を横へ振った。
「まさか。アルネ公子に付き従うと、付いて行くと決心したのは彼女ですから」
「……そう」
「なにより私は……私には、あの娘を咎める権利など初めから持ち合わせていない。公国の、騎士の法に則れば確かに軽くない罪を犯しました。ですが実のところ、あの
抱える思いが強いほど、人は誰しも選択に迫られる時が来る。
その選択と引き換えに失うものがあると承知の上で。
カイラはアルネを、ハルワルドはグレンダを己の偏愛から解き放った。彼らが自分の道を正しく、望む形で歩いて行けるように。
ゆえに今は信じるしかないのだ。
愛する我が子の幸せを願って膝上から手放した彼らは、その選択がきっと正しかったのだと信じることでしか、己の心の安寧を保つことがままならない。
「あの子は無事に帰れたでしょうか。……今も、達者でいてくれているだろうか」
「もちろん」
両者ともにカップへ手を添えて。
「最後まであの子たちの輝かしい未来を信じ、願いましょう? なんたって、私たちが愛し育んできた命ですもの。きっと二人とも、誰より強くて気高くて優しくて……なにより、とっても美しい魔法を持っていますから」
紅茶の温もりと、己の中で残された最後の愛情に浸った。
大自然広がるボムゥル領にも、ふたりの心にも、雨はまだまだ、当分は降りそうにない。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
同刻、とある砂浜にて。
「……………………死んだ」
ずぶ濡れになったまま咳が止まない少年と、その傍らでやはり全身を濡らし息を切らした少女。
折れた大木にしがみ続けた
「死んだよ……体感百回は死んだよ。セイディ、お前のせいで……!」
「あんたがちっとも……起きてこないからでしょう……ヨニーの大馬鹿……!」
砂まみれになっても構わず仰向けに寝転がったセイディが、
「もうちょっと……早く起きて欲しかったわね寝坊助……あたしこそ二百回は死んだわよ……もう駄目と思ってからが案外長いのね、人って……坊やのせいで要らない知識が増えちゃったわ……」
「無茶言うな……お前こそ経験したことがあるか? 起きたら周りは海だけ……すぐそばで魚みたいな口して溺れかかったセイディ……なにが『助けて』だよ阿呆か、こっちの台詞なんだけど!?」
「それは良い経験になったわね。あんたもちょっとは男を上げたんじゃない?」
「ふざけんな。馬鹿は死ななきゃ治らないって、あれ実はお前のために存在している言葉だったんじゃないか!?」
怒り散らし、少しずつ元気を取り戻して行くヨニーを見上げ、ようやく安堵の表情を見せた。
あぁ生き永らえたのかと感慨に耽っているうちに、どこからか騒ぎを聞きつけたのか、森のほうから足音が駆け込んでくる。
そもそも自分たちがどこに流れ着いたかさえ把握していないふたりは、働かない頭を懸命に動かし、意識を気配のする方角へ集めた。
「──セイディ!」
やたら晴れやかな顔で、半袖短パンの格好をした銀髪碧眼。
その青年はあまりに見覚えがあり過ぎて、しかし見慣れない小汚さからセイディもヨニーもしばらく声が上げられず。
「やっっっっと来てくれた! おかえりなさい」
アルネは斧と白い布を持っていた。
どうやらさっきまで力仕事に勤しんでいたらしい。……かの屋敷ではあれほど自堕落を貪っていた男が。
「しかも、あぁやっぱりヨニーじゃないか。喧嘩しながらこっちまで寄ってきたの、聞こえてたよ。ふたりは相変わらず仲が良いんだなあ」
「……これのどこが仲良く見えるんです?」
疲弊した顔で、やっと絞り出せたセイディの返事を真面目に聞いていたのか否か。
「ちょうど良かった、さっそく仕事を頼まれてくれないか。まずはヨニーだな、貴重な貴重な
「……屋根?」
「ようやく最初の家が建てられそうなんだよ。この僕がほとんどひとりでやったんだぜ、ジュビアがなかなか手伝ってくれないから。どうだ、凄いだろ」
凄え!!
アルネという男をよく知っているだけに、本当はふたりとも腹の底からそう叫んであげたかった。
あいにくそんな体力も気力も無かったけれど、ひとりで、という表現が、セイディにはジュビアの島の滞在以上に気がかりだった。
「それが済んだら休憩だ。お給仕はよろしくセイディ。僕ひとりで
「こ……公子様!」
急激に不安を募らせたセイディが堪らず声を上擦らせる。さまざまな悪い未来が頭の中で駆け巡っていきながら、
「その……グレンダ様は?」
震える声でたずねると、アルネはふわりと微笑んだ。
その笑顔はとても柔らかく、それでいてほんのちょっぴり悪戯心も含ませた、どこか誇らしげにした口角の吊り上げかたで──
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「なぁセイディ。僕もちょっと本気を出せばこんなもんさ」
「はい?」
「今や、騎士様のほうがあるじの僕よかずっとお寝坊さんだ。そろそろ起こしに行こうと思っていたから──付いてくる?」
森奥では、カゴいっぱいに果実を詰めた魔女がくるくると歌い踊っていた。
ふっと着地しラフランスをひとつ頬張るジュビアの視線の先には、色とりどりな花園の中でハンモックに揺られ、王子様のキスを待っているかのように眠りこけている亜麻色の髪の乙女。
──魔法にかけられた美しき
〈翠眼の女騎士と偏愛公子の亡命譚〜生まれ変わったら風になる__了〉
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