終章 ある夏のアフタヌーンティー

ある夏のアフタヌーンティー(1)

 アールグレイの香りがそよ風に運ばれてくる。

 強い日差しを眩しく思いつつ、庭から空を仰いだカイラが、机上に広げているのは紅茶を淹れたポットと焼き菓子だ。

 今や、彼女の他にボムゥル屋敷の住人はいない。だが、今日の茶会ちゃかいはいつもより少しだけ浮き足立っていた。数日前に藤の花ヒースし止めと共に送られてきた手紙で、珍しく自分ひとりのみの催しにはならないと見込んでいたからだ。


 小さな馬車が足音穏やかに屋敷へ近付いてくる。

 ヒヒィンと鳴いた馬が止まるなり、黒光りした革靴で門前に降り立ったのは老年の男だった。高身でスーツを整然と着こなし、夏場にはいささか暑かろうオペラハットも、彼が被ればとても様になっている。


「いらっしゃい」


 頭のお団子シニョンを揺らし、カイラは弾む声で客人を出迎えた。

 門をくぐる手前で小石につまずきそうになり、体勢を崩しかけた腰を素早く腕で受け止められると、壮年の淑女らしからぬ己の慌ただしさに頬を赤らめる。


「あなたとお会いするのは冬の公開訓練ぶりですね、ハルワルドさん」


 ハルワルド自身は一挙手一投足になんの乱れも無駄もない。

 特段カイラの危なっかしさに目くじらを立てる素振りもなく、背筋をしゃんと正した佇まいで帽子を脱ぐ。


「ご無沙汰しております、フリューエ・カイラ」

「まさか『雛鳥の寝床エッグストック』の機関長様から直々に、こんな北方までお越しいただけるとは思いませんでしたわ」


 カイラは庭へ招き入れるような仕草で、


「ご足労をお掛けしたお詫びと言ってはなんですが、紅茶を用意してありますの。お口に合えば良いのですけれど」

「ぜひご厚意に甘えるとしましょう」


 小さく会釈した老騎士に甘えていたのはむしろカイラのほうだろう。

 辺境のだだっ広い屋敷を長らく使い余していた彼女にとって、誰かと同じ食卓を囲むのはひどく久しぶりの営みであったからだ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 ひとしきり昼下がりの茶会ちゃかいを楽しんでから、ハルワルドはカップを片手に、


「カイラ様。そろそろ私どもの用件に移らせていただいても?」


 そう前置けばカイラは無言で頷く。

 ハルワルドは手提げの鞄から茶封筒を取り出しながら、騎士学校の代表として辺境へ訪れた、その本題に切り込む。


「アルネ・ボムゥル第七公子が公爵の召集を棄却した上で、弊機関が輩出した忠心深き騎士を、自身もろとも国外へ連れ出したとの疑いがかかっている件はすでにご存知でしょう」

「ええ」

「公爵はもとより、祖国と民の信頼を裏切るような此度の行いは、当然アルネ公子がご自身で背負うべき罪にございます。ですが、彼がかのような行為をはたらくに至ったまでの責任は、彼の保護者に相当するあなた様にも負っていただかなければなりません」


 重々しい言葉とは裏腹に、ハルワルドの表情はさほど険しいものではない。

 終始穏やかだったカイラの顔色を見れば、わざわざこのような言及はするまでもないのだろうと容易に察せたからだ。


「その点について、なにかご弁明は?」

「いいえ」


 カイラの返答も早い。


「子どもの不始末は親の不始末とよく言いますからね」

「……良きお心構えです」


 むしろ返答を聞いたハルワルドのほうこそ、次の言葉を発するまでにやや喉を詰まらせた。

 彼にとっても、今回の事件は決して他人事にあらず。アルネと共にグレンダが、自身の手が及ばないところまで逃げおおせてしまった事実は、機関長として彼女の師範として、重く受け止めざるを得なかったのである。


「此度の件について、あなた様に下される処遇が決まりました」


 差し出された茶封筒を受け取り、中身を確認する間ばかりはさすがのカイラも緊張を隠せなかった。

 カイラがその目で文面を読み取っていくのに合わせ、ハルワルドも自らの口で内容を明かす。


「本日をもってボムゥル家が持つ領地およびすべての財を、クロンブラッドが没収することと相成りました」

「……思っていたよりは軽い処罰ですわね」

「先刻あなたがクロンブラッドへ送った、エスニア共和国に関する告発書は、国内で乱発している襲撃事件を迅速に対処するに極めて有力な情報でありました。ゆえに公爵も、あなたには酌量の余地があると判断なさったのでしょう」


 セイディに感謝しなければ、とカイラは声に出さずひとりごちる。

 通達書から目を離し、しばらくぼうっとしてから、ふと思い立ったことをハルワルドにたずねてみた。



「この屋敷も取り上げられてしまうなら、私は明日からどこで暮らせば良いのかしら」

「それについては私の一存ではお答えできません」


 ハルワルドは粛々と。


「一時はクロンブラッドの預かりとなりますが、まもなくボムゥル領は、隣地にありますイース領の管轄に加わることが決まっておりますので」

「……え」

「領地や領民と同様、あなた様の今後の処遇はすべてオイスタイン侯爵のご判断となります」


 そう聞かされた時のカイラの心境たるや、いったい誰であれば計り知れただろうか。

 カイラは再び呆けてから、安堵したのか困っているのか、微笑みがてら長い長い息を吐いた。──襟を正し、それとなく身だしなみを整えながら。


(……牢に入れられるより大変かも)

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