裏切り者(5)

「鬼ごっこは終わりか?」


 配達屋ヨニーの耳は早くて鋭い。

 煙が完全に消えてしまうと、セイディの姿はどこにも居なかった。それでもヨニーはのんびりした足取りで、しかし確実に仲間たちと一本の針葉樹を取り囲み逃げ場をなくす。

 鋭敏な聴覚が、鳥に纏わせた炎の風向きが、標的の居所をいとも容易く嗅ぎ当ててしまうのだ。


「十六にもなって木登りは楽しいか? いくら粘ったって、俺たちの魔力が尽きるよりお前の手持ちの弾が尽きる方が早いだろ」


 葉がさほど生い茂っているわけでも無いが、入り組んだ枝で死角を縫うように身を潜めているのか、地面から木を見上げようとワンピースの裾さえひらめかない。

 ヨニーは近くにいた子から拳銃を受け取り、木枝を躊躇いなく撃ち抜いた。どうせ命中はしない。だが枝を折っていけば、いずれ居所を炙り出せると思ったのだ。

 そして三発ほど撃った時。


「うぐっ!」


焔の革命児ラーモ・デ・ジャマス』の一人が呻き声を上げて倒れる。そのまま動かなくなってしまったが、流血をしていないことから撃たれたのは実弾ではなく麻酔弾だろう。


「ふん。悪あがきだな──っ!」


 もう一度銃口を空に向けたヨニーの、体がぐらりと大きく揺れる。

 足場が崩れた、いや、足を払われたのだ。


(なぜそこに居る!?)


 セイディが自分の背後へ回っていたことに振り返りがてら仰天する。

 確かに麻酔銃はあの木の上から飛んできたはずだ。なぜ降りている? いつからそこに──


「小賢しいっ!」


 ヨニーは倒れ込みながらも銃口を向け直す。しかし咄嗟の行動がセイディに読めていないはずもなく、


「案外楽しいわよ。素直なお子様」


 引き金を引くよりも早く、拳銃ごとかかとで蹴落とされる。

 じんじんと痛む手首に顔を歪めさせながらも、ヨニーは空を迂回していた鳥をセイディに仕向けた。

 鳥はセイディの鼻先で爆ぜるも、威力はさっきまでとは明らかに落ちていた。どころか、上から水でもかけられたみたいにジュゥと消滅してしまう。


「っあ……」


 細長い針が、ヨニーの肩に音もなく突き刺さった。

 セイディの片手に握られていたのは、それを発射するための小型のスイッチ。


「もっと敬いなさい。たったの二年でもあたしのが先輩よ」


 セイディはもとより、あの高い木の上から発砲していたわけじゃなかった。

 木枝に素早く登り麻酔針を仕込んだ発射装置を紐で括り付け、煙幕が効いている内にさっさと地面へ降りたのだ。

 一度狭まってしまったヨニーの視界は、煙が無くなろうとも再び広がることは無い。


「良い子ねヨニー、随分狙った通りに動いてくれる駒ですこと」

「く、そ……」

「大人しくそのままおねんねしてなさい、悪いようにはしないから。次にお目覚めの頃には、きっとすべてが終わっているわ」


 その場に膝から崩れ込もうとしたヨニーの体を両腕で支える。

 背丈はセイディとさほど変わらずとも、成長期を終えていない少年の体はひどく軽かった。


(……本当、素直過ぎる奴)


 確かにセイディの方が、ヨニーよりも落ちぶれた少し悪い子だったかもしれない。

 素直で真面目でひたむきな性分だからこそ、ヨニーは自分の境遇を微塵も疑わずに最後までずる賢い大人たちの道具と成り下がってしまったのだ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 ヨニーを抱えたまま、セイディはダッと駆け出した。


「逃すな!」


 残っていた子どもの号令で、一斉に炎が放たれる。

 セイディは彼らに見向きもしないで橋を進む。あの先は途切れていて、向こう岸に渡れないことなど誰もが周知していた。

 しかしセイディは足を止めない。ヨニーが落としてしまった最後の板を強く踏み込んで、飛ぶ。


 どんなに勇気を出したところで、突然鳥みたいに空を舞えるはずもない。

 少年少女は落ちていく。谷底へヒュウと落ちていく。

 花の髪飾りが最後に日の光を浴び、闇でかすかにきらめいて。


(大丈夫、頭から落ちさえしなきゃ死にやしない。底にあるのは水だわ。きっと海まで繋がってる)


 アルネと約束したのだ、必ず追いつくと。

 カイラと約束したのだ。アルネとグレンダの旅路に、それから。


(手間かけさせやがって……)


 すやすやと呑気に眠りこけた、少年の頬にそうと触れる。

 ついぞ、この身に炎が宿ることは無かったが、それが自分に与えられた最後の使命を放棄する理由にはならなかった。


「しょうがない奴ね。あんたもちゃんと、お二人の元まで連れてくから」


 セイディはため息を吐いた。

 茜色の瞳に憂いを持たせ、困難ばかりでままならない道中と、給仕らしからぬ手際の悪さに自嘲する。


 ──しょうがないわよね、ええ本当に。

 祖国を出ようがなにを信じ裏切ろうが、どこへ逃げおおせようとも、こればっかりは最後まで捨て置けなかった。


「弟の面倒を見るのはお姉ちゃんの仕事、かあ……」


 少年少女は落ちていった。

 谷底が橋の上から見えることはなく、闇に吸い込まれた彼らの姿も気配の音も、地上に残されたほむらの使者たちはもう二度と捕捉できなかった。

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