裏切り者(3)

 すかさず進んだ道を引き返し、いつ追撃が起きてもおかしくない吊り橋の上から一旦退いたセイディは、橋を支えている大きな岩の影に身を潜める。


(まさか、あいつ。こんな南方まで追ってきた? ……いやいや)


 アルネたちとセイディの仲を橋ごと切り裂いた、赤い鳥。

 あの鳥の滑空を一眼見た瞬間、背筋が凍りつく感覚に陥った。


(あの鳥は偶然? たまたま同じ魔術を使える奴が混ざってるだけ?)


 答えが出るのにさほど時間は掛からない。

 ザッ!! と近付いていた足音が一斉に止んだ。帝国の街並みと同じような行列が、しかし先日よりはやや少人数で、橋の前にてセイディの視認はできていない背中を捉える。



「──ちぇっ。逃げられたか」


 変声期を完全に迎えきっていない少年の声だった。

 セイディが岩陰で聞いたのは、上へ掲げた手のひらでボウボウと燃やした鳥の炎と、少年の、それも人違いを起こしようがないほど馴染みがあり過ぎる少年の声。


「やっと見つけたと思ったのにさあ。もう一回くらいは直接グレンダさんとお話ししたかったなあ」

「……」

「ま、あのふたりは放っておいて良いか。ジュビアに道を教わったんなら、今さら迷子になることもないだろ……ああ、お前は現在進行形で絶賛迷走中だったっけ? 道は道でも、人生っつう名前の迷路?」

「血迷ったのはあんたでしょう?」


 セイディは仕方なく返事した。どうせ黙っていたところで自分の居場所は彼にも、彼の取り巻きらしき連中にも割れている。


「あんたも意外と可愛いところあるじゃない。わざわざ大好きな騎士様追っかけてくるなんて」

「勘違うなよセイディ。俺が追っかけていたのは最初からお前だ」


 顔を直接伺うことはできないが、彼はきっと笑っていない。ふざけてもいない。


「確かにグレンダさんのあの緑色は誰だって捨て置けない。俺たちの革命に最後の火を灯す、大事な大事な花の種だ。けど、その種がきちんと綺麗な花を咲かせるよう育てるのが、俺たち水撒きの仕事だろ?」


 彼はいたって真剣だ。心の底からセイディを心配しているし、誰よりも真面目に『焔の革命児ラーモ・デ・ジャマス』としての務めを果たそうとしている。

 その仕事の結果が、アルネ一行の分断と、へと結びついたわけだけれども。



「帰ってこいセイディ。でなきゃ、お前はいよいよ正真正銘の裏切り者だ」

「あたしを裏切ったのはあんたでしょう?」


 セイディは低く唸る。


「よくもやってくれたわね。あんたのせいで、公子様もグレンダ様も『海を翔ける鳥ペンギンナイト』と危うく剣を交えるところだったのよ」

「お前がなんの断りもなく街を出ていくからだろ? いつもいつも『先生マエストロ』の指示と違う行動ばっか取りやがって」


 しかし年下といえど、少女よりも彼のほうが多少は声色が低い。いっそう睨みを利かせれば、炎を全身に纏ったみたいに魔術師独特のおぞましい貫禄が出てしまう。


「難攻不落と言われていた帝国でさえ、『先生マエストロ』と俺たちに掛かればイチコロだ。ノウド公国だって、今頃はとっくにエスニアの養分だったはず……おかしいなあ? 誰かさんがカイラ伯母さんかどっかの騎士団に、水の撒き方を種明かしでもしちまったのかなあ?」

「思春期真っ盛りな言い回しするんじゃないわよ」


 セイディは肩掛け鞄に詰め込んでおいた、手榴弾と煙幕弾を静かに取り出す。

 やはり帝国の闇市で武器をいろいろ仕入れておいて良かった。本気で彼を相手取るためには、銃の一本や二本では不足にも程がある。

 なんたってここは炎上がる戦場いくさば──のどかな田舎の稽古とは、まるで勝手が違うのだから。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 セイディの潜む方角から、煙の匂いでも嗅ぎつけたのだろうか。


「はははっ!」


 初めて笑顔を見せた少年が、指先に留めていた鳥をばっと空へ解き放つ。


「ボムゥルの稽古とは立場が逆だな? 優等生気取り。今日は俺が、お前のなってない祖国への忠誠を是正ぜせいしてやるよ」

「難しい単語を無理に使わなくたって良いのよ、クソ餓鬼」


 空に放たれたのは赤い鳥だけではない。

 セイディは高く煙幕弾を投げ、自ら開戦の狼煙を上げる。


「お子様は今日も生意気ね。おいたが過ぎる落ちこぼれには、淑女に向けるべき誠意と先輩に向けるべき敬意ってやつを嫌というほど叩き込んであげるわ──覚悟しなさい、ヨニーの減らず口!」

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