裏切り者(1)

 朝を迎え、市場で昨晩のうちに買っておいたパンを食し、アルネたちはついに帝国脱出の作戦を決行する。


 ジュビアの証言もでたらめばかりでは無かったようで、近くの停車場でおそるおそる交渉に踏み切れば、御者は案外すぐに馬車を用意してくれた。

 閑静な住宅街を走っている最中は、何度か兵士たちが瓦礫を片しているのを見かける機会があった。連中も度重なる事件に疲弊していたのか、馬車へ何気なく目を向けることはあっても、わざわざ近付いてきて中を覗いてくるような兵士はひとりもいなかった。

 そのまま住宅街を抜けると、もはや兵士と出くわすことさえなく、あっという間に郊外のさらに奥へと進みゆき、人も建物もない大自然へと車輪で乗り込んでいく。


 だが、山のふもとに来てからが問題だった。


「悪いが、馬ではこれ以上先へ進めねえ。荷台はこのまま使って構わないから、あとの道中はお客様がたで頑張りな。最近多いんだよ、こんな獣道を好き好んで使いたがる、おたくらみたいな旅人がさ」


 そう言って御者が、アルネの承諾も聞かないうちに馬と荷台の連結部分を外してしまう。

 馬に直接またがり鞭打った御者が、そのまま平然と置き去りにしていく背中を、三人とも唖然として見つめるほかなく──


「て……手慣れていたわね」

「ええまったく。ひょっとして魔女を相手したのも、あのおじさんだったりして」

「どどどどうするんだ今から!? まさか……自分たちでこのデカブツを引いて行けと!?」

「そのまさかでしょうね。心配しなくても、荷台を引くのはあたしとグレンダ様でやりますから。せめて公子様はご自分の足で歩いてくださいね」

「うっへえ」


 アルネが楽器ケースを背負い、グレンダとセイディでただの荷車と化したデカブツを運んでいく。

 ここから先の道程を自分たちの足で進まなければならない無常な現実と、それも高山をひたすら登っていかなければならないという自然の非情さに打ちひしがれている暇さえ、今は惜しかった。



 ──必ず辿り着かなければ。

 ずっと探し求めていた大地まではもう目と鼻の先。

 北方からやっとの思いで歩いてきた。この亡命の果てでなにが待っていようとも、この三人で新しい幸せを掴むためなら、私は最後まで立ち向かえる。前を向いて戦える。

 私たちはきっと、最後まで乗り越えられる──



 グレンダが荷車を引く視線よりも、少しだけ前を早く進んでいたアルネがぴたと立ち止まった。

 崖のように険しい勾配を越えていった先に見えたのは、細長い橋と、その遥か下に広がった真っ青な景色。


(川……いえ、違う! 海だわ)


 ついに大陸の端へ到達したのか、とグレンダが一瞬だけ感極まった。


(あの海を超えた先に、もしかすれば……本当に、あの場所が……)


 しかし喜んでいる時間はない。あくまでも喜びを得られるのは、実際に悲願の地へ降り立った瞬間のみだ。

 あんな細い橋、人はともかく荷車も通れるのかしらと、グレンダがまだ遠い位置から目分量で測っていた時である。


「……まずい……!」


 アルネが急に体の方向を変え、荷車へ戻ってくるなり後ろを押していたセイディの隣りに立つ。


「公子様?」

「急ごうふたりとも。少し、いやかなり急ごう。すごく嫌な予感がする」


 セイディが背筋をぴんと伸ばす。誰よりも気配に鋭いアルネの嫌な予感とは、ほぼ確実に当たる占いみたいなものだ。

 ──ザン、ザン。

 次第にグレンダの耳にも入ってくる、自分たちとはまるで揃わない足音。

 自分たちとは揃わずとも、新たに聞こえてきたそれはやけに足並みが揃っていて、次第に予感から確信へと姿を変えていく不吉の音だ。


(通りすがり? たまたま? それともまさか……私たちが捕捉されている!?)


 やはり魔女など信用できた女ではない、とグレンダは舌打ちする。

 騙されてしまったのだろうか。だが背後から寄って来るということは、自分たちの進路を先回りされたわけではない。


「グレンダ、それでも僕らは進むしかない」


 アルネもさまざまな憶測を頭の中に巡らせていたようで、


「なにより僕にも見える……感じるんだ。あの海になにか……まったく感じたこともないような大きななにかを」

「えっ。本当ですか!」

「要は追いつかれなければ良いんだろ。『海を翔ける鳥ペンギンナイト』だって撒けたんだ、僕たちが今更負けるものか」


 力強い励ましを受けると、グレンダも崩れかけた心を強く持ち直す。

 セイディもおかしそうに吹き出して、


で掛けたんですか? 洒落が言えるなんてよゆーですね」

「えっ。……た、たまたまだよ!」


 荷台を押し、最初の板へ車輪をかけた。

 もはやこの場にいる誰ひとりとして、危ない橋を渡る覚悟を揺らがす者はいない。


 ギシギシと嫌な音を立てながら揺れる吊り橋を、足を滑らせないよう慎重に、しかし急いで渡っていく。

 橋の半分くらいに差し掛かったあたりで、セイディはなにげなく空を仰いだ。なぜ前ではなく上を見たくなったのか、自分でもよく分からない。

 フリューエ・セイディの参謀の勘が働いた、としか言えないだろう。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



(────赤い鳥)


 いつだかに絵本で読んだことがある。

 青い鳥は見つけた子どもに幸せを運んでくるらしい。

 ならば、もしその鳥が赤ければ彼らの未来にいったいなにをもたらすのだろう。


「うえぇっ!?」


 セイディは反射的にアルネの背中を強く押した。

 ふいを突かれたアルネは荷台の空いている隙間へ頭から突っ込み、ガッタンと大きな音で転がり落ちる。


 すかさず飛び退くセイディとその荷車の間を縫うように、赤い鳥は真っ逆さまに降下し──橋の板へ着地した。

 刹那、鳥は板をも巻き込み爆ぜたのである。

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