女騎士グレンダ(2)

 朝の湿っぽい地面へ叩きつけられてもなお、エリックは絶対にアクセルの胸ぐらを掴んで離そうとしない。

 宣言通りとことんアクセルの行く手を阻む気概だ。


「アクセル……お前は知らないだろ。グレンダの奴、今、騎士学校じゃあ見ないような顔で笑いやがるぜ」


 歯を食いしばっているのか、笑っているのか。

 エリックのほうこそ騎士学校では決して見せてこなかった、あまりの獰猛さに内心ではアクセルも驚いていた。


「相変わらず粗暴だし怒ればおっかないし、剣を振ってる間は猛獣みたいな面するけどな。時には女らしい、脆くて打たれ弱い側面も見せてくれたりしてさ。思ったよか可愛いところあるぜ、あいつ」


 まず思い起こされたのは真夜中の森で繰り広げた攻防。

 そして噴水前でアルネに抱きすくめられた際の、グレンダが見せた初心うぶな反応はどれもがエリックには新鮮だった。

 騎士学校ではもちろん、アクセルになど決して見せはしなかったであろうグレンダという女の顔を、自分だけが知っているという優越感に浸れるのは存外悪くない。


左右縛りツインテールでスカートなんか履いた暁には、そりゃあもう見違えるぜ。三日会わざれば刮目して見よって、ありゃあ、なにも男に限った話じゃねえって」

「世迷言をほざくなエリック」


 やはりグレンダの左右縛りツインテールやらスカート姿など想像できないアクセルが唸る。

 アクセルの脳内では、街中で美青年にちやほやされる姿よりも、稽古場で猛者たち相手に大暴れする姿のほうがずっとしっくり来るのだろう。


「グレンダは僕らと同じように剣を振っている時が一番美しいんだ!」

「誰もお前の趣味なんぞ聞いちゃいねえ!!」


 腹を勢いよく蹴り上げる。

 上下を逆転させることに成功したエリックが固い拳でアクセルを殴りつけようとするも、腕ごと抱え込まれ追撃を喰い止められて。


「アルネ公子に絆されたってのは概ね同意だが……別にそれで良いじゃねえか。やっと公爵や教官たちに刷り込まれた理念じゃなく、自分の肌に合う生き様を見つけたってだけの話だろ」

「なんだと……!」


 エリックが見下ろしそう言ってやれば、アクセルはいっそう掴む腕の力を強めた。


「俺には今のあいつが、騎士としても女としても、これまでで一番輝いているように見えたがね」

「誰もきみの好みなんか聞いちゃいない!!」


 再びアクセルに胴体をひっくり返される。

 いや、返されるどころか勢いで後方へ飛ばされてしまい、エリックが尻を付いた隙にアクセルは落ちていた自分の剣を拾った。

 エリックもすかさず大剣へ手を伸ばすも、アクセルが喉元を狙う動作のほうがわずかに早い。


「っち!!」


 体をのけぞらせたエリックの頬を剣先が掠めていく。

 つつぅ、ぽたりと赤色が地面へ滴り落ちた。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「……どうして僕の邪魔をする」


 血走った目とエリックの血が付いた剣を向けたまま。


「ずっと三人で学んできた。騎士道とはなんたるか、この心臓に深く刻み込んできたはずだろう!?」


雛鳥の寝床エッグストック』へ身を置くなり、誰もが教官たちから最初に叩き込まれた理念だ。


 公国ならびに己が主君へ無償の愛をもって尽くすこと。

 そこが戦場いくさばであろうとも常に騎士の矜持を忘れぬこと。

 なによりも、主君への忠誠と心身を守ること。


「今でも貫いてるじゃねえか」


 改めてアクセルから詰め寄られたエリックは、ひどく静かに。


「俺もお前も、グレンダも、皆が立派に騎士やってらあ」

「今のグレンダは僕の知る騎士じゃない!」


 叫びからひしひしとアクセルの悲痛が伝わってくる。

 続けざまに語られたのは、彼が長らく貫いてきたのであろう騎士道の模範となっていた存在への憧憬。


「グレンダは僕の……大事な人なんだ」


 それは思慕でこそあれど恋にはあらず。

 しかし皮肉にも、アルネと同じ血と顔を持った男が、その碧眼に映していたのも同じ女性だったというわけか。


「僕の騎士道は彼女を見て育まれたと言っても過言じゃない。五年前のあの日、彼女がハルワルド教官に連れられてこなかったら、僕はとうに騎士など辞めていたかもしれない」


 ぽつん、ぽつんと。

 空から涙が降ってくる。

 昨日から陰っていた空は、いつ雨が降ってもおかしくない色をしていたのだ。


「いかなる戦場いくさばでも、決してひとりで臨まなければならないものじゃない。同じ学び舎で過ごした仲間、──そう教えてくれたのは他でもない彼女の剣だったのに」


 グレンダ本人がこの場にいないがゆえに聞けた嘆きだ。

 果たしてアクセルは、彼女の剣からなにを感じ取っていたのか。


「なぜ彼女はボムゥル領に呼ばれた。なぜよりにもよって、アルネ・ボムゥルなんかに連れていかれたんだ!」

「お前、アルネ公子と知り合いだったのか?」


 エリックは初めて意外そうな反応をする。アルネからは会ったこともない遠縁だと聞いていたからだ。

 再び合わさった両者の剣が、血で、雨で濡れていく。


「彼女から配属先を聞かされた時は最悪な気分だったさ。あの男は昔から生粋のろくでなしだ。へリッグ家の風上にも置けない半端者、未熟者、ならず者。騎士の矜持に触れる資格さえ持たない!」


 一対一の戦いとは、長引けば長引くほど地力がものを言う。

 アクセルが繰り出す怒涛の剣撃で、エリックは次第に防戦一方となっていく。


「それでもグレンダであればきっと大丈夫だと、誰よりも気高い彼女が絆されるはずがないと僕は信じていたから笑顔で送り出したんだ!」


 先にくらった頭突きで意識が朦朧としているかと思いきや、案外アクセルは石頭なのか平気そうで、むしろ地面へ叩きつけられた衝撃により、エリックが先に体力を尽かせつつあった。


「なんて魔性だ、アルネ・ボムゥル。魔女やら魔術師やら、そこいらの賊よか遥かにたちが悪い! やっぱりどんな手を講じてでも、彼女は僕がクロンブラッドへ引き留めておくべきだった!!」

「だぁから、そりゃあお前の都合だろうが……そこまでグレンダに入れ込んでいたなら、もうちっとあいつの未来を考えてやれ」

「考えているから言っているんだ!」


 足をふらつかせてもなお、エリックは馬車が駆けていった道から退こうとしない。

 苛立ちを隠さないアクセルの言葉尻はますます強まっていくばかりだ。



 しかし過ぎる時間というものは誰にでも平等に、あるいは誰かにとっては残酷なひとつの結果を生み出すのである。

 アクセルが憤る背後から、複数の新たな蹄の音が聞こえてきた。


 ──雨が地面を濡らしていく。

 罪人たちを乗せた馬車に追いつくよりも早く、修羅場に追いついてきたのは『海を翔ける鳥ペンギンナイト』だった。

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