翠眼の秘密と騎士団の追手(5)
追われ人を乗せた馬に、休息を取る暇などあるはずもない。
閑静な通りを駆けエリックが何度も鞭打つところを、セイディが背後から声掛けする。
「予定通り隣町まで向かうんですか? でも追っ手が来たってことは……」
「ああ、多分もう港まで回り込まれてるな」
振り返りもせず返事したエリックは、手綱を常に強く握っている。
「だから今回は特別だ。タバサ嬢が男爵に黙ってよそで遊ぶときに使う裏道を、お前らのために通ってやる」
「日頃からそんなしょうもない道を開拓しているのか、あの遊び人は?」
「そう言いなさんな。本当の本当に極秘なんだ、絶対に他言するんじゃねえぞ」
他言もなにも、今更そんな情報を言いふらす相手自体いないことは、エリックにもわかっていただろう。
人目を忍ぶためにも専門の御者を雇うわけにはいかず、アルネたちの姿を隠すように荷台が布ですっぽり覆われている。
「タバサさんにお別れの挨拶、できなかったな……」
「はい。お借りしていた服も返しそびれてしまいました」
グレンダは申し訳なさそうに、昨日自分が着ていた青のスカートを紙袋から取り出す。
出発するよりも前に、一度洗ってから返そうと思っていた。
「そのまま持っていけよ。どうせタバサ嬢も使っちゃあいない」
「私だって普段からここまで綺麗な色は……後であなたが返しておいて」
「結構似合っていたぜ」
一瞬、アルネから発せられた褒め言葉かと耳を疑う。
しかし確かにグレンダのスカート姿を称えたのは、懸命に追っ手を振り切ろうと職務に当たっているエリックだったのだ。
気の利いた返しが見つからず、グレンダが口を開閉させているうちにエリックは言葉を続ける。
「俺はあるじに命じられた、どんな手を使ってでもあんたらを逃がせって」
やはり遠ざかっていくスティルクの街並みを振り返ろうともせず、
「あんたやタバサ嬢に宿ったその魔法こそ、あんたたちがこの国ひいては大陸の将来を左右する、なにかしら重大な権利を持っている証明に他ならないって」
「大袈裟だよ。自分のことだけならともかく、僕程度をそんな重要人物みたいに……」
エリックがタバサから受けていた言伝を告げたので、アルネは戸惑うように下を向く。
だがアルネを過剰に評価しているのは、なにもタバサだけではなかったらしい。
「いんや、俺にもわかる。あのお嬢もあんたも、この先、もっとずっと大物になるような気がする」
「えぇ? あっちは遊び人、僕は怠け者だよ? いったい全体どんな根拠で……」
「いわゆる騎士の勘だな。あんたからも、すでにのっぴきならない
「なるほど。それほど公子様を高く買っておいででしたか、優秀な騎士様」
──唐突に。
アルネよりも早く返事したセイディが、荷台から猟銃を抜き取りエリックへ向けて構える。
あまりにも脈絡のない行動に、アルネはもとよりグレンダも気を動転させた。
「セイディ!? あなた、なにして……」
「エリックさん。その席あたしと代わってください」
騒然となった馬車の外で、エリックだけが静かだ。
「スティルク領までだって、ずっとあたしが操縦していたんです。これ以上あなたに手綱を持たせるわけにはいかない」
「いかないって……セイディ、交代するにしたってもう少し穏便な方法が」
「構わねえグレンダ」
エリックは銃口を突きつけられようと、馬を少しでも進ませようと正面を向いたままセイディに応じる。
「言ってみなメイドちゃん。俺に話があるんだろ」
「ええ」
セイディも猟銃を構えたまま、淡々と言葉を続けた。
それは予想よりもずっと早く追っ手が現れたことによる、ある意味で抱いて当然なエリックとタバサへの疑惑だ。
「スティルク領からクロンブラッドまでは、そう遠くありません。正規の道を行けば一日で着ける距離でしょう」
「うぇ……? せ、セイディまさか……」
「だからって、いくらなんでも公爵の耳が早過ぎます。いきなり『
アルネががったんと座席から立ち上がる。
馬車を大きく揺らしてしまい、足元がふらついたのを慌ててグレンダが支えた。
「この馬車、本当に騎士団がいない方角を目指しているのですか?」
「ば、馬鹿言え! タバサさんはもちろん、まさか彼ほど良い奴が……!」
信じ難いセイディの話にアルネがかぶりを振っていると、
「良い読みだな、メイドちゃん」
エリックが平然とそんな返しをするので、グレンダも思わず馬身まで体を乗り出しかける。
急に殺気立ったグレンダが今にも剣を抜かんとし、
「……冗談でしょう?」
詰め寄ってきたのをエリックが冷静にたしなめた。
「メイドちゃんの発想自体は正しい。務めをきっちり果たすためには、近しい人間であればあるほど疑ってかかるべきだ……でもな、メイドちゃん。告げ口自体は俺にも誰にでも容易いが、たかが一日、されど一日だ」
エリックはひどく丁寧に、今起きている状況を少しずつ紐解いていく。
「森を抜けた朝すぐに俺が使いを出したところで、クロンブラッドへ報告が届くまでに丸一日かかっちまう。そこから騎士団が追いついてくるには、早くても後一日は必要だな」
「そ、そうだよな。あぁ確かに!」
「かといって『
え、とアルネが小さく声を漏らす。
グレンダもにわかにはエリックの話を受け入れられず、剣の柄に手を添えたまま呆然とする。
「だってそうだろ? 俺だろうがタバサ嬢だろうが、スティルクにいる人間じゃあ到底間に合わないからな」
「前って……そん、な、まさか」
「なあ、スティルクまでの道筋を考えたのは誰だ? グレンダか?」
今度はエリックが追及してくる。
密告について疑いの目が跳ね返ってきたのは、途端に体を強張らせ黙り込んでしまったセイディだった。
「はあん、それもメイドちゃんが考えたのか」
「エリック。セイディを疑うつもり?」
「そこまでは言わねえよ。でも嬢ちゃんくらいが考え付く程度の道、よそ者はともかく同じ土地で過ごした連中なら、あっさり見当付けられそうだって話さ。そもそも道中で顔を見られた可能性も完全には否定できないだろ? お前ら、誰か町のやつに行き先を教えたりしてないだろうな?」
「侮らないで。私たちもそこまで杜撰な策を練りはしないわ。カイラ様にさえお伝えしていないのに……!」
グレンダは言い返したが、セイディはだんまりを決め込んでいた。
いやあるいは、なにかを黙っているのではなく、エリックの話を聞いてなにか思い当たる節があったのだろう。
セイディの沈黙を気配で察したエリックが、ふんと鼻を鳴らす。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
互いの疑念を晴らす暇もなく。
急に寒気を感じたかのごとく、アルネが顔を青ざめさせる。
グレンダの腕をぐっと掴み、唇をわななかせながら車輪を走らせてきた背中の方角を見つめ始めた。
「アルネ様。どうなさいました?」
「間違いない……風の巡りが悪くなった」
馬車の緊張感が高まる。
まだセイディやグレンダの視界にはなにも映らないが、どうやらアルネにだけ、風伝いで見える光景があったらしい。
やがて鳴り始める、複数の蹄の音。
公国最強の騎士団の脅威がアルネたちに迫ろうとしていた。
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