翠眼の秘密と騎士団の追手(1)

 エリックが手配した宿は、タバサの商会本部からは目鼻の先ほど近い建物だ。

 無駄に気を利かせたのかセイディだけが個室で、アルネとグレンダには同じ部屋があてがわれていた。


「彼は本当に仕事のできる騎士様だったね。きみと仲が良いだけのことはある」

「特段仲が良いわけでは……たまたま扱いやすい同期が居たというだけの話で」

「そういう気苦労しない間柄のことを仲良しって言うんだよ。あぁ羨ましい」


 アルネもグレンダも、部屋ではすでに屋敷から持ってきた寝間着と替えていた。

 腹がじゅうぶんに満たされただけでなく、タバサに注がれた酒の酔いが回り始めたことで、グレンダの意識は少しだけふわふわしている。


「……グレンダ。僕も甘えて良いかい」


 そんなグレンダの隙を狙ったのだろう。

 現状でも存分に甘え倒しているはずのアルネが、わざわざ断りを入れてくるのでグレンダも軽率にうなずいてしまった。

 するとまもなく腕を強く引かれ、グレンダはアルネが寝るはずのベッドへ体ごと誘われる。


「──え。い、いやっ、アルネ様!」


 そのまま布団の上で横になり、背中からぎゅうと抱きすくめられればグレンダはびくりと体を強張らせる。

 ついさっきまでタバサやエリックに淫らな話を聞かされたばかりで、余計に警戒心を高めざるを得なかったのだ。


「今晩はこうしていたいな。エリックくんや客の男たちばかり、きみと遊んでもらってずるい」

「は、恥ずかしいです……」

「こ〜ら、逃げるな。ご主人様の命令だ」


 やはり飲み過ぎてしまったのか、グレンダの抵抗はいつもよりも弱々しい。


「僕は決めたよ」


 アルネが下ろされた亜麻色の香りを嗅ぎながら、


「きみが僕の背中をいつでも守ってくれるように、こうしてきみの背後を取るのは、僕だけに許された特権とする」


 そんな取り決めをしてくる。

 グレンダはアルネの体温を後ろで感じたまま、静かに感慨にふけった。

 自分が剣であらゆる脅威を退けている間、アルネもまた自分の勇姿を背後で見守っていてくれる……。


「……はい。とても頼もしいです」


 グレンダが頬を緩ませ、


「体張って剣を振る甲斐があります」

「だろう? ふふ、僕ってば天才かも」

「そうですね……特に音楽の才に関しては。良かったですね、町の皆さんに喜んでいただけて」


 そう称えるとアルネはとても嬉しそうに、グレンダを抱きしめる腕の力を強めた。

 グレンダにとっても、自身が感性に恵まれていないぶん大衆からアルネのヴィオラが受け入れられた事実は、自分のことのように喜ばしかったのだ。


 同じ毛布を体へ掛け、アルネの腕の中で眠りにつこうとした時。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「これで国を出る動線は整った」


 アルネが少しだけ重い声で、


「セイディが前に提案してくれた通り、僕たちはこのまま南へ進む。海渡ウミワタリたちと同じように、大陸の向こう側を目指して」

「……はい」


 改めて確認をとってきたので、グレンダは返事だけで了承する。

 しかし、アルネから受けた旅路への言及はまだ終わらない。


「グレンダ。きみからはなにか提案はないのかい」


 静かに。

 夜の閑散とした空気よりも静かに、アルネが言葉を紡ぐ。


「僕たちはどこへ向かえば良い? 魔女の出所は? 伯母さんやボムゥル領のみんな……この国の人たちを護るため、僕になにかできることは?」

「……アルネ様」

「なにをすれば僕もみんなも……きみも、幸せになれるかな」


 グレンダは逡巡してから答えた。


「申し訳ありません。私にも、必ずこれが最良と言い切れるような道筋は図りかねています」


 少しの間黙っていたアルネが、グレンダの腰をするりと、添えていた手で服越しに撫でてくる。

 とうとう服の中まで手を忍ばせようとしてきたので、グレンダはたまらずその手を押さえた。


「か、勘弁してください。その、私は……」

「きみは僕が来いと言ったからここまで付いてきたのかい」


 挙動だけでなく、声色からもアルネの不満が伝わってくる。


「僕はきみのおかげで、あの屋敷から出る決心が付いた。きみにはとっくに感謝しているんだ。ああ、本当に」


 店内でタバサと交わしていた愛人云々という会話から、最初はアルネも色めかしい営みを自分に求めているのだとグレンダは警戒した。

 しかしアルネの言葉尻が強まっていくことで、劣情をも建前にしたまったく別の意図が、その仕草には含まれていると次第に悟る。


「だからこそきみには……いや、きみにこそ誰よりも幸せになってほしい。できれば僕と一緒にいて欲しいけれど、仕事のためと嫌々付いてこられるくらいなら、僕だって今の関係を無理に続けさせたいとは思わないよ」

「嫌々なんてまさか。私もアルネ様と……末長く、お付き合いしたいと願っております」

「だったら答えて欲しい。きみはただ忠誠心とやらを貫くために、僕と半島を渡っていたのか?」


 あたかもグレンダを問い質すような口調だった。

 夜はなぜか公子らしい傲慢さを隠さなくなるアルネが、今もグレンダの胸中になにか秘められた事柄が残っていると勘付いたがゆえの、半ば尋問だ。



(……まさか)


 グレンダは動揺を悟られないよう努める。

 先ほどタバサも指摘していたが、アルネは普段はぼんやりしているようで、時折妙な鋭さを垣間見せることがあった。


 誰にも明かしていない、グレンダ自身が抱える願い。

 アルネにも隠し通せていると思っていた秘密が、もしかしたらとうの昔から彼には見透かされていたのかもしれない。


 あの日、ボムゥル領の丘でアルネが見せてくれた秘密。

 風に乗った幻想上の青い景色。

 あんな別世界を知る彼であれば、他の皆とはまったく違う視野で、グレンダの心を、この翠眼を見つめていたのかもしれなかった。

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