偏愛の末路(4)
アルネは数秒、いや数十秒ほど固まっていた。
グレンダの手首を離さないまま黙りこくっているアルネへ、いよいよしびれを切らしかけた時。
「────っ!? ちょ、アルネ様──」
がばりと。
アルネの図体が重くのしかかってきて、カイラとセイディの目前で抱きつかれたグレンダが、その両腕の中で慌てふためく。
「ありゃ〜あ。お熱いことでぇ」
「やっ、やめてくださいアルネ様! そんなっ、おふたりの前で──」
「命令だグレンダ。クロンブラッドへの出向はやはり認めない」
耳元で鳴り響いた力強い声に、グレンダは腕を振り解くのをやめる。
「
「あ、アルネ様……」
「僕のために戦うことがきみの務めだって? いいや違うね。きみの仕事はこの僕と、僕の心の安寧を守ることだ!」
──心の安寧?
グレンダが幾度もアルネの言葉を
「きみは歌も随分と上手くなってきた。剣の稽古は案外楽しいし……朝は苦手だけれど……きみと一緒に紅茶が飲めると思えば、ほんの少しだけ早く起きられる心持ちになってきた気がする」
「え……そうですか? 今もさほど早くには起きてないでしょう。剣筋も以前とあまりお変わりないような──」
「うるさいっ! とにかく、おじさんやら公爵やら、誰に臆病者と罵られようと構うものか。
「だ、いじ」
今度は聞き逃さなかった単語を、グレンダは自ら口に出す。
「大事な人……え……わた、しが?」
「きみを
気持ちの整頓が付かなくなっていく。
グレンダにとって、あるじたるアルネは確かに大事な人だ。この国で誰よりも。
当然だ。自分はアルネに仕える、騎士なのだから。
(アルネ様にとっても……騎士の私が、国より領土よりも大事……?)
戸惑いを隠せないグレンダの顔を自身の腕から剥がしたアルネは、次第に深みを増していく緑色の両眼をじぃと見つめた。
なにかを固く決心したような表情で、ついにアルネは、グレンダにとってまったく予想だにできない提案を持ちかけてきたのだ。
強く気高い、あるじに忠実な騎士であったからこそ、まるで考えも付かなかったことを。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「グレンダ。──こんな争いにとち狂った国からはもう出よう!」
「はい?」
「逃げるんだよ、ここから! 他のすべてを投げ打ってでも構わない。きみを失うくらいなら、僕は領主も公子も辞めてやる。誰も僕らを知らないような公国の外側、海でも山でも地の果てでも、気兼ねなく音楽を奏でられるような、争いのない遥か遠い場所まで……!」
なにを言い出すんだ突然、とグレンダは口を半開きにした。
初めて屋敷を訪れた時の「騎士なんかいらない」とかいう言葉の暴力にも遥かに勝る、にわかには信じ難いアルネの提案が、グレンダの脳をぐわんぐわんと揺さぶっていく。
出る? ……どこから?
逃げる? …………なにから?
辞める? ……………………なにを!?
「ご自分がなにを仰っているのか、わかっておいでですか!?」
「当然だ!!」
事の深刻さに気がついたグレンダが荒々しい声をあげると、アルネはさらに強い言葉尻で。
「帝国がなんだ! 魔女がなんだっていうんだ!! いい加減辞めてやるよ、こんな僕に不向きな仕事。どうせ僕が放っておいたって領民たちは、自治団とやらでイイカンジに好き勝手暮らしているんだ。どうしても公爵の命令が僕の願いよりも優先されるっていうなら、こんな無茶苦茶な公国は今すぐに出てやる!」
「そんなご命令は無理にも程があります!!」
それこそ不可能だ、とグレンダは焦りと苛立ちを両立させる。
そもそも国とはどうやって出るのだろう? 他の領主や騎士団の目をかい潜り、あてもなく大陸をさまよえば良いというのか。
(いいえ……あてなら、ある。私にならひとつだけ……)
グレンダは急に喉を詰まらせる。
脳裏から決して離れない、離すことができない、使命とは別に抱き続けたグレンダにとってただひとつの願い。
(でもそれは……いえまさか。あり得ない! たとえアルネ様の魔法ありきでも、そこまで都合良く辿り着けるはずがない!!)
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