グレンダとアルネ(7)

 それにしても、とグレンダは目を伏せる。


 風の魔法──アルネが持つという特異な力。

 それはもしや人だけでなくモノや、他のもっと大きな動きを読み取ることも可能なんだろうか。

 アルネの話を聞きながら、グレンダは心を忠誠とはまったく別の意味で揺らしていた。


 グレンダの脳裏にあったのは、自分が長年追い求めてきた場所。


(もしかしたら、アルネ様の魔法を使えば……?)


 いまだ自力では見つけることができていない、思い焦がれてきた悲願の終着点。

 自ら秘密を打ち明けてくれたアルネになら、ハルワルドにさえ隠し通してきた私の願いを話せるだろうか。



「……安らぎかあ」


 そんなグレンダの心境を知ってか否か、アルネがじぃと見つめてくるので慌てて集中を取り戻す。


「きみの目も、安らぎを感じる色をしているよね」

「え?」

「とても綺麗だ。容姿だけでなく。どことも知れぬ、果てがない森林を見ているようだよ」

「……そう、ですか」


 急に外見を褒められ、グレンダは思わずアルネから目を背けてしまう。

 可愛いとか美しいとか綺麗だとか、この屋敷へ来てからはやたらと容姿を称える声を聞かされている。孤児院や騎士学校ではそんな言葉を誰かに投げかけられる機会など、ほとんどなかったはずなのに。


(こういう時、どう受け答えれば……)


 褒められ慣れていないグレンダが困った顔を見せると、


「魔法のこともあるし、騎士なんて絶対いらないと意地を張っていたが……きみみたいな騎士なら有りかも」


 調子づいたアルネはへらっと笑いかけてくる。


「もう少し僕に優しくしてくれると、なおありがたいけどね」

「もう少し早く起きてくださるか、本の整頓をしていただければ検討いたします」

「うへぇ。もう怖い……」

「……私も」


 さりげなく投げかけた要望を一蹴され、しかめ面したアルネへ。


「私もひとつ、アルネ様にお願いしてもよろしいでしょうか?」


 グレンダは少しだけ顔を赤らめながら、かねてより望んでいたことを明かす。

 それは長年抱いてきた願いとはまったく違う内容だったが、特に『雛鳥の寝床エッグストック』で過ごしている間で新しく浮上した悩みのひとつだった。



「……歌を、習いたいのです」

「歌?」

「先日、楽器だけでなく歌をお歌いになっている姿も拝見しました。実はたいへん恥ずかしながら、私、音楽だけはどうにも才に恵まれていないようで……」

「えっ。……そっ、そうだったのか!?」


 今度はアルネが仰天する番だった。

 口元を手で押さえ、考え込むような仕草をしながら寝室をうろつき始める。


「なるほど……そうか、道理でいつもきみの反応が悪いと……」

「も、申し訳ありません。本当はもっと早くお伝えするべきだったのですが」

「いや良いんだ。僕の渾身の新曲が滑ったわけじゃないと知れただけでも収穫だ……」

「いえ、その。私はそもそも曲の良し悪しを判定できませんので……」

「こないだの感想はさすがの僕も堪えたよ。『うっかり扉に挟まった蛙が潰れた声を出している音みたい』なんて、もうこのまま窓から飛び降りてしまおうかと」

「とっ、飛び降りないでくださいね!?」


 どうやら余計な心配をさせてしまっていたようだ、とグレンダは反省する。


 グレンダがアルネのヴィオラにどれほど耳を傾けても、常に眉をひそめていた理由はこれだった。

 音楽はなによりも苦手だ。騎士学校の授業でどれほど習っても、楽器は上達するばかりか本体を痛めてしまうばかり。

 合奏を組もうとすればいつも同期たちから仲間外れにされ、在学中に一度だけ公爵の御前おぜんで合唱をお披露目する機会があったが、音痴すぎるあまりにそれすらも名簿からひとりだけ省かれてしまったのだ。


「その、お気が向いたらで構いませんので──」

「喜んで引き受けよう!」


 グレンダが唇を噛んでいると、駆け寄ってきたアルネにぐいと両手を掴まれる。

 遠慮なく近づけてきたアルネの表情は、グレンダがこれまでに見た中でもとびきりに明るく朗らかな笑顔だった。


「ああ良かった。やっと僕も、騎士様のお役に立てそうだ!」


 子どものように、無邪気な感情を剥き出してくるアルネ。

 真夜中の静寂に包まれた寝室で、グレンダは魔法にかけられたみたいに、しばらくはアルネから目を離せなくなっていた。



 今、この胸に抱いている感情。感覚。感性。

 忠誠心とも異なるこれらを、いったいなんと名付ければ良いのか。この時のグレンダにはまだわからなかったのだ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 新天地からはじまった激動の二週間。

 あれからひと月が経ち、時はある初夏のモーニングティーにまで戻ってくる。



 梅雨を控えたボムゥル屋敷の庭で、グレンダはあくびをしているアルネの横顔を眺めた。

 乱暴に藤の花ヒースし止めをはがし、首を傾けさせたまま自分宛ての手紙を読んでいるアルネへ、


「公爵からですか?」


 そう問いかけると、アルネはぼんやりした口調で。


「いいや。公爵よりどうでも良い奴からだ」


 まるで公爵ですら関心がないような口振りにグレンダは脱力する。

 ラフランスをひと切れ頬張り、文面を読み終えるなり机へぽいと投げ捨てたアルネの次の台詞は、グレンダにはだいたい読めていた。


「ああ。……面倒だなあ」



 グレンダはふと思う。

 寝坊癖はともかくとして、アルネの気分屋で面倒くさがりな性格は、きっと魔法のせいなどではないと。

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