グレンダとアルネ(4)

 自然発生でもなく、常人が為せるはずもない現象にグレンダが唖然としていると。


「公子様っ!」


 セイディとヨニーが、馬に乗ってようやく二人に追いついてくる。

 セイディは上空で暴れている犬鷲イヌワシを見つけるなり、背中に携えていた猟銃を構えた。



 ────バァンッ!!


 たった一発の銃声がつんざいてから数秒。

 剣も届かないような距離を逃げていた犬鷲イヌワシに異変が起こる。

 あきらかに片方の羽を痛めた様子で、ふらふらと不規則な軌道をしながらも、やはりもう一度馬を目掛けて飛び込んできたのだ。


 グレンダはすかさず剣を抜く。

 不思議な風を起こしたアルネへ襲いくる犬鷲イヌワシ


(愚かな獣ね。よりにもよって、先に狙ったのが私たちとは──!!)


 アルネが再び両手を合わせるよりも、犬鷲イヌワシの鋭い爪がグレンダやアルネに届くよりも早く。

 誰の目にも止まらぬ速さで振り上げられた剣撃が、羽根をもいで地へ落とす。

 飛べなくなった犬鷲イヌワシが咽び泣きながら墜落していくのを、アルネも、後から駆けつけたヨニーも静かに眺めていた。


「ヨニー、ぼさっとしないで!」


 セイディの叫びにはっとし、ヨニーが慌てて大木を見上げる。

 今にも木から落ちてしまいそうになっていた、子どもの真下まで馬を連れていくと、


「下ろすぞ。……tretoen!」


 再び風を起こしたアルネによって、子どもの体躯が宙を舞う。

 ゆっくりとした速度で地面へ落ちていった子どもは、馬から降りたヨニーが抱えたことで無事に着地することができた。


「うえぇえぇ、びえぇええぇえええ〜〜〜っ!!」

「よ〜しよ〜し。泣くな、もう泣くなって……」


 恐怖から解き放たれ、わっと喚き出した子どもをヨニーは苦い顔であやす。


「男がいつまでもみっともない姿を晒すと、女から永久に餓鬼扱いされるぞ。セイディみたいな性悪しょうわるに」

「……誰が性悪しょうわるですって、坊や?」

「それか、公子様みたくセイディやグレンダさんに尻敷かれ続ける人生だ」

「……誰が尻に敷かれているって、ヨニー?」


 馬を降り、目尻を立てたセイディとアルネから身体的制裁を受けているヨニーを傍観しつつ、グレンダはひとり静かに胸を撫で下ろした。

 平穏な町で起きた大騒動は、こうしてなんの被害も起きることなく幕を下ろしたのである。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 グレンダたちが救出した子どもを婦人の元まで帰しに行くと、カイラにずっと付き添われていた婦人はこれまで以上に大声で泣き崩れた。


「坊や。ああ坊や! 良かった、本当に良かった……!」


 子どもをひたと抱きしめ、自身の夫からもなぐさめられながら、婦人は涙声でアルネへ告げる。


「心から感謝します領主様! この子がいない世界など、私には到底考えられないんです……!」

「そうですか。それはたいへん羨ましい」


 アルネは子どもの頭を撫で、とても優しい目と声で言葉を返す。


「ではこれからも、この子をたくさん大事にしてあげてください。子どもは母親の愛を多く受けるほど健やかに成長していくものですから」


 背後からアルネの言葉を聞いていたグレンダは、少しだけ胸がきゅうと締まる感覚に陥った。


(母親の愛……か。きっとアルネ様もあの雨さえ無ければ、お母様の愛を一身に受け続けることができたのでしょうね)


 子どもを送り届け、ヨニーも彼の家まで帰してから、グレンダたちは集落を後にした。

 屋敷へ戻るころには空も茜色に染まっていて、カイラが夕飯の支度を整えている間に日は暮れてしまう。


 四人で食卓を囲み、浴場で身体を洗い、それぞれが自分の寝室に着くまでの間、グレンダはずっと胸中に抱えていたもやを取り払えないままでいた。

 そんなグレンダの心を悟っていたのだろう。アルネは扉前で立ち止まると、


「グレンダ。……ちょっとだけ中で話さないかい」


 自らそう切り出すことで、グレンダを自分の寝室へ招いた。


 アルネの寝室にはグレンダも何度か入ったことがある。ベッドに放られた服や、散らかっていた本を他の部屋へ移すためだ。

 ただ、それらはすべて職務中での入室であり、互いが寝巻き姿で夜も完全に更けた頃合いに、こうして二人きりで寝室を過ごすのは初めてであった。


 グレンダのまだ乾ききっていない長髪は、重力に逆らうことなく下ろされていた。

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