卒業と新しい出会い(3)

 ここまでの話を聞く限り、どうやらグレンダをボムゥル領の専属騎士に指名したのは、アルネではなく伯母のカイラだったらしい。

 とりあえず何かの手違いでなく正式に声がかかっていたなら安心だ、とグレンダは胸を撫で下ろす。


(それにしても、領主になんの断りもなく屋敷の人事を進める身内って……)


 逆転しかかった屋敷内の立場関係に半ば呆れながらも、グレンダはきりっとした目つきでアルネへと向き直す。

 アルネ本人でないにしろ、専属騎士としてきちんと選ばれていたのであればなにも問題はない。


 これで私は遠慮なく、騎士としての使命をまっとうできる。



「アルネ様。どうぞ末長いお付き合いをよろしくお願い申し上げます」


 グレンダが毅然とした態度でそう告げると、アルネはしばらく本棚の周りをうろうろしていたが、


「はあ……わかったよ」


 ついに諦めがついたのか、立ち止まってグレンダへ右手を差し出した。


「屋敷まで来られたとあってはもう仕方ない。……口うるさい給仕きゅうじがひとり増えたとでも思っておくよ」

給仕メイドではありません。騎士でございます」

「……うえぇえぇ……」


 手を握り返している間にもまた言い返してしまった。今度はアルネだけでなくグレンダも苦い表情を見せる。

 グレンダは胸の内で静かに誓った……この悪い癖だけは、早いうちに直さなければ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 グレンダがボムゥル屋敷の空き部屋を借り、住み込みで働き始めてからかれこれ一週間が経過した。

 結論から言えば──グレンダの悪癖は治らなかった。



「私は給仕メイドではないと申し上げたはずです!」


 白昼の屋敷で声を荒げたグレンダが、両手いっぱいに抱えているのはアルネの寝巻きだ。

 寝巻きはアルネの寝室、ベッドの上で脱ぎ捨てられていた。


「え、ちょ、グレンダ」

「お着替えになった服は朝のうちに所定のかごへ入れておくよう、カイラ様から言いつけられていたでしょう!?」


 アルネが判子片手にうろたえているのも構わず、グレンダは糾弾する。


「でなければ、あとから私やセイディが洗い直さなければいけなくなります!」

「き、きみがやる必要はないだろう?」


 アルネが判子を手放しながら、


「セイディに任せれば良いじゃないか。彼女のほうがメイドなんだから……」

「セイディは今追加の買い出しに出ています!」


 言い返すとなおさらグレンダの怒りは増長した。

 つい昨日片したばかりの本棚もたったの一晩で空となり、机や床が本で散らかりまくっているあたりも、火に油を注ぐ要因となってしまっただろう。


「アルネ様が食料庫にあったパンを盗み食いなさったからですよ。あれは明日の朝食のため用意してあったのに」

「盗み食いとは人聞きの悪い! 僕はどうしても腹が減ってだなあ」

「空腹になるのは、朝食を召し上がるべきお時間にきちんと起きてこないからです!」


 ただし朝食の備えもなにも、朝に起きてこなければ意味がないのだが。



 グレンダは書斎まで引きずってきたかごへ寝巻きを放ると、入室してつかつかとアルネの元まで歩み寄る。


 そのまま顔をひきつらせたアルネの手元をじぃと見つめれば、


「……アルネ様。これは本当にもっとも優先すべき書類ですか?」


 判子を押したばかりの書類を指差しグレンダが問いただす。


「昨夜私が、本日中に仕上げなければいけないものを机の隅にまとめたはずですが」

「え、あれっ? ……そういえば、そう、だな……」


 するとアルネは今更思い出したと言わんばかりに、自分でも昨夜確認したはずの書類の姿を探し始めた。しかし、


「……無い……」


 ひどく小さな声で。


「無い……間違いなく昨日はここへ置いたはずなのに……」


 そんなアルネの言葉を皮切りに、もれなく屋敷では紛失した書類の大捜索が行われることとなる。

 伯母のカイラもメイドのセイディも、四人がかりで広い屋敷を探し回った結果、目当ての紙切れが見つかったのは夜も更けたころだった。



「いい加減に……してください……」


 一日中怒り過ぎて大声を出すのに疲れてしまったグレンダが、食卓を囲んでいる間もアルネをくどくどと説教している。


 ちなみに書類の発見場所は、書斎よりも下の階にあるアルネの寝室。

 寝室はアルネが趣味としている弦楽器・ヴィオラの練習場所も兼ねており、その楽譜の間にひょいとアルネ自身によって挟み込まれてあったのだ。


「悪かったよグレンダ。すっかり忘れていたんだ」

「忘れる忘れない以前に、なぜ仕事のものが書斎の外にあるんですか……!」


 はたと気が付いた様子で、


「さては、また職務をサボって書斎を抜け出していましたね!?」


 責め立てられるとアルネはグレンダから目を逸らし、頬をぱりぽりかき始める。


「だって……急に新曲の旋律メロディが浮かんできたから……」

「うるせえ芸術家気取り! あなたの本業は音楽と政治、どっちなんですか!」

「結構イイカンジだよ、今度のは。あとで聴かせるから感想教えてよグレンダ」

「結構です!!」

「まーまーグレンダ様」


 再びグレンダの声が大きくなっていくのを、なだめたのはセイディだった。

 セイディはホワイトシチューにごろごろと転がる白身魚をスプーンですくって、


「公子様は本っっっ当に駄目駄目ですけど、だからこそ音楽くらいしか心の拠り所がないんです。そういうのは大目に見てあげてくださいよ」


 あむ、と大口開けてシチューを頬張る。

 カイラはよほどアルネのしょげた顔がおかしいのか、あるいはグレンダが怒り散らかしているのを面白がっているのか、終始なにも言わずにクスクスと笑い声を噛み殺している。



 晩飯が終わり、入浴も済ませた屋敷の住人たちは、それぞれ自分の寝室へと帰っていく。


「じゃあ、おやすみグレンダ」


 アルネは寝室の扉の前で、姿勢正しく立っているグレンダにへらっとした様子で就寝のあいさつをした。


「明日こそ僕のヴィオラを聴いてほしいな。今書いている曲は本当に自信作なんだ」

「明日こそ予定通りの時刻に起きてください。仕事が滞りなくすべて済みましたら、楽器演奏のひとつやふたつ、いくらでもお付き合いいたしますので」

「そうかい……きみの怖い顔もそろそろ見飽きたなあ……」


 ぼやきながらアルネが扉を閉めるのを、グレンダはぴくりとも動かぬまま待っていた。

 そして扉の奥から完全に気配が消えると、


「…………あぁあああああぁあああぁ……」


 その場に屈み込み、頭を抱えて静かにうめく。



 なぜ、こんな羽目になってしまったのだろう。

 グレンダはここ一週間の、自分の仕事ぶりを振り返る。


 騎士の職務って……私の使命とは、いったいなんだったんだ!?

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