本文
「ねぇ、ちゃんと手繋いでよ~」
「も~分かったって。ほら」
「やった! ねー、ちゅーは?」
「さすがに外だからしない」
――いいなぁ。
目の前では、電車という公共交通機関であるにも関わらず、堂々と人前でいちゃいちゃするカップル。
完全に二人の世界に入りきっている。
幸せオーラをぷんぷん放っているカップルを前にして、俺はため息をつきたい気持ちをこらえた。
(あんな時代、俺にもあったんだけどな)
こういういちゃいちゃするカップルを見て真っ先に頭に浮かぶのは元カノのことだ。
中学二年生――俺の人生の幸せ絶頂期だった頃に、付き合っていた元カノ。中二というあの全能感のあった時期だったからこそ、授業中にメールを送りあったり、はたまた隣の席になったときにはこっそり手を繋いだりしていた。くぅ~、甘酸っぺぇ~。
しかし、甘酸っぱい時間は無情にも突然終わりを告げることになる。
中学生というのは多感な時期だ。誰かに自分の存在を知らしめたいし、逆に自信が全くなくなったりもする。これは後から知ったことだけど、思春期の頃に非行に走ったりするのは、大人になった時に罪悪感を覚えて社会に貢献するようになるためにらしい……というのは置いておいて。
ともかく、中学というのは、そんな複雑な時期であるせいで人を傷つける行為――いじめが盛んに行われたりする時期なのだ。
俺の元カノも、その毒牙にかかってしまった。ちょうど中三になって、クラスが離れてしまってすぐだ。
悪いところなんて一つもなかったのに、女子たちのくだらない無視に始まり、最終的にはクラス全員からいじめをうけるまでになった。たぶん、クラスの中でも飛びぬけて美人だったからだと思う。
俺は、その事実をしばらく経ってから知った。
言い訳にはならないけど、クラスが違ったから、すぐには分からなかったのだ。知ってすぐ、俺は教師たちに訴えた。だけど、全く効果はなし。みんな自分のクラスでいじめが起こっているという事実から目を逸らしたかったらしい。何度も訴えはしたけど、最後には顔すら合わせてくれなくなった。
まぁ、この時の反省点を挙げるとすれば、いじめの主犯格たちに自ら止めるように言いに行かなかったことだ。あのときは、俺もいじめられるからかもしれないという臆病な怯えがあった。
彼女は精神的にかなり落ち込んだ。それはもう、見ていられないくらいに。
そんな彼女に対して俺が唯一できたのは、話を聞いて励ましたり、一緒にいることぐらいだった。中学生というのは思ったよりも非力だ。どうにもできなくなって彼女は結局、他の地域の病院に通って、転校することになった。
その選択は正しかったと思う。
だけど、それをきっかけに別れることになってしまったし、それに……もっとできることだってあったと思うのだ。辛そうにしている彼女にかけるべき言葉はもっとあったと思うし、元はと言えば、いじめにもっと早く気づけばよかったのだ。
「次は~〇〇。〇〇です」
最寄り駅の名前が放送され、俺は目の前のカップルたちから目を逸らした。
考えても仕方ない。次は。もしまたそんな機会があったら……あってほしくはないけど、次こそは救えるようにもっと尽くすだけだ。大切な人の手が自分から離れていかないように。
頭から元カノの話を振り払う。
それに今日から、同居人が増える。
そのことを父から聞かされたのは約一カ月前のことだ。
どうやら俺の遠い親戚の女の子をうちで引き取ることにしたらしい。何でもその子は幼い頃に両親を亡くしてからというもの、親戚の中でたらい回しになっていて、そのことを知った父が、もしよければと一緒に暮らすことを提案した、ということなのだそうだ。
今までなかなかそれができなかったのは、父が海外出張していて家にいないから。俺は一人日本に残ったからその子と二人暮らしになるわけで。母親は離婚したから一緒には暮らしていないし。
さすがに思春期の男女二人きりの生活はよくないだろうということである。
けれど今回の家を出たら、行く場所もないようで、俺は父親に頼まれたのだ。
絶対に手は出さないこと。
傷つけないこと。もし傷つけてしまっても、誠心誠意謝ること。
――それから、その子を大事にしてあげてほしいということ。
その子が来るのは今日の夜七時。
それまでに晩御飯を準備して、すぐに食べれるようにしないと。
俺は伸びをして、家までの道のりを急いだ。
――ピンポーン
料理を作っている最中、チャイムが部屋に鳴り響いた。
この家に人が来るのは久しぶりだ。友達とかもめったに呼ばないし。確実に同居人だろう。
「はーい」
インターフォン越しに返事をして、ドアを開ける。
そしてその少女の姿を目に入れた瞬間、俺は立ち尽くした。
「お久しぶりです。
目の前の少女が深々と頭を下げる。
濡れたようにツヤのある髪。人形のように整った顔。透き通るような白い肌。
本当に絵に描いたような、天使のような美少女が立っていた。
「あっ、お、お久しぶりです」
思わずドモりつつ、急いで俺も頭を下げる。
「これからお世話になります。よろしくお願いします」
美少女――もとい桜羽 さやかさんがまた頭を下げる。
頭を下げるのに従って、ロングの髪が肩を滑り落ちる。それさえもがこの世のものではないくらいに綺麗だった。
「こ、こちらこそよろしくお願いします。あっ、それと、たしか同い年だったよね。敬語外さない?」
「確かにそうかも。じゃあ、敬語、外してみる」
「寒いでしょ。とりあえず中に入って」
「うん」
まだ十一月上旬とは言え、夜になるとかなり寒くなっている。
外から部屋に冷気も入ってきてるし。
桜羽さんは頷くと、玄関にそっと入ってきた。
「いい匂いする」
「あぁ、今、オムライス作っててさ。もしかしてもう晩御飯とか食べた?」
「食べてない」
「じゃあ良かった。もしアレルギーとかあったらあれなんだけど……」
「ない。大丈夫」
うーん。さっきからなんというか……
声にあんまり抑揚が感じられないっていうか、それこそ明るいところでちゃんと見たら無表情だし。
それになにより。
――瞳が、元カノのものとそっくりだ。
もちろん物理的な意味じゃなくて。
元カノが病んでた頃の、何かに絶望したような、ガラスのようなあの瞳。よく見ていたから分かる。
親戚の中でたらい回しにされてたって聞くし、きっとそこで何かあったんだろう。だけど、俺にはまだ聞く権利がない。小さい頃は一緒に遊んでたりもあったみたいだけど、ほとんど初対面に等しいから。
でももし心を開いてくれるくらいになったら、いつか聞いてみよう。一緒に住むからにはできるだけ仲良くなりたいし、この子の心が救われることがあったらいい。
「えーっと、じゃあ、桜羽さんの部屋はこっち」
「ありがとう。荷物は部屋に置いていい?」
「うん。そしたらとりあえずご飯食べよう。今日はパーティーにしようかと思ったんだけどさ、夜だし平日だからちょっとあれだなと思って」
「オムライス好きだから嬉しい、かも」
「良かった」
パーティーと聞いて少し驚いたような顔をした桜羽さんが荷物を置きに部屋へ向かった。どうやらかすかに表情はでるらしい。本当に気をつけたら分かるレベル。
俺は急いで調理途中で置いていたオムライスの続きに取り掛かる。
「手伝おうか?」
「いや、もうできるし大丈夫だよ。ありがとう。テーブル、座ってて」
そっか、と納得したような顔をして、桜羽さんは椅子を引いて腰かける。そのタイミングで、ちょうど卵が良い感じに焼けた。皿に盛りつける。この工程、けっこう難しいんだよな……よしっ、上手いこといった。
俺の分は残念ながら失敗したけど、美味しそうにはできている。
桜羽さんの前に綺麗な方を置くと、彼女はまた驚いたような顔をした。
「ん?」
「あっ、いや、なんでもない」
桜羽さんは首を振った。
「いただきます」
「いただきます」
テーブルに着き、手を合わせた。
どちらからともなく食べ始める。
「……美味しい」
「マジ? 良かった〜。オムライスめっちゃ練習したかいあったわ」
心の底から安心する。うん。でも我ながら今日のは上出来だ。オムライス作れるやつはかっこいいとかいう謎の信条があってよかった。
「この町に来たことはある?」
「ううん。ない。初めて」
だろうな。
「もし行きたいところとかあったら言ってよ。俺どこでも案内するから」
「うん。ありがとう」
「高校とかは……?」
「転校することになった。あっ、その高校の手続きのためにここに来たことならある」
「なるほどな」
じゃあ高校までは案内する必要、ないのか?
俺も桜羽さんがどの高校に通うのかは知らないんだけどさ。
これ以上何を聞こうか迷っているうちに、二人とも食べ終わってしまった。うーん、仕方ないんだろうけど、まだ気まずいな。
とりあえず今日のところしようと思っていたことは一つだけ。
「家事とかさ、どうする?」
尋ねると、桜羽さんは当然とでも言うように頷いた。
「私、全部やる」
「いや、さすがにそれはだめだから。うーん、どうしよう。買い出しとかの力仕事は俺がやるよ。あとは曜日ごとに決めようか」
「でも、私が……」
「でもお互い勉強とかもあるじゃん。それに俺が楽ばっかりするわけにいかないから」
「本当に、いいの?」
「いいっていうか。それが当たり前だと思う」
言い切ると、何かを考えるような素振りをする。納得はしていないようだ。
もしかしてだけど……今までの家で家事全部、してたのか?
「分かった。家事、分担しよう」
「うん。得意な家事とかある? 俺、料理はそこまで得意じゃないからだからできればやってほしいんだけど」
「たぶん何でもできる。美味しく作れるかどうかは、分からないけど」
「じゃあ、週四でお願いしてもいい? 俺、他の日に作るから」
「分かった。他は何したらいい?」
「洗い物は料理のないときにしようか。後はどうしよう」
二人でもともと用意していた表を覗き込み、少しずつ埋めていった。できるだけ平等になるように。
「じゃあ、これでいいか」
「うん。よろしく」
天使のような美少女はまだ無表情だ。
だけど……これから新しい生活が始まる。
俺はカップルを見ていたときに思ったことを思い出した。
そう、次こそは。
次こそは、ちゃんと支えて、救ってあげたい。自分勝手というか、調子に乗ったような考えかもしれないけど。
ガラスのような瞳の天使は少し俯いたまま、少し興味深そうに、表を手に取った。
②無表情な天使と同棲したら、俺にだけ笑ってくれるようになった話 時雨 @kunishigure
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