自分と悪夢
次の日から、私は部屋の外に出れなくなった。自分がゆうではないと、周りにバレてしまうのが怖くなったからだ。
母親が声を掛けにくるも、扉に鍵をかけ完全に外界との接点を断った。
母親は気を使ってくれたのか、ご飯をお盆に乗せ部屋の前に置く。
「お腹空いたら食べなね。じゃあ、仕事行ってくるから…」
部屋に籠もり始めた昨日、私はリンスタのアカウントをすぐさま消しアプリも消した。
学校の人間に、バレるのが怖かったから。
それからはずっとネット小説や漫画にのめり込み、現実から目を背け続けた。
そんな日が続き、引きこもりと化してから1週間が経った頃――。
母親が仕事に出かけたのを見計らい、1週間ぶりに外出を試みた。行き先は羽菜の家。つまり、元の実家である。
「たしかこの道を真っ直ぐ行けば……」
幸いこの身体の持ち主であるゆうの家は、私の家から近い地域に建っていた。
なのである程度道がわかるため、実家に行くのは特別難しいことではないのだ。
家に行こうと思ったのは、本当の母親が恋しくなってきたから。気心しれた友達が恋しくなってきたから。
ゆうの記憶上でしか知らない、羽菜にとって知らない人との毎日。それは少しずつ、少しずつ、ストレスという形で、私の中に積み重なっていたのだ。
あと少しで家に着くというところで、私の目の前に、信じられないものが姿を見せた。
「――私……?」
こちらに向かって歩いてくるのは、 『羽菜』だったのだ。
しかし、本人である私はここにいる。ならあの少女は誰だと言うのか。
茫然とする私を他所に、彼女を一瞥しそのまま素通りしていく。
「あのっ!」
私は彼女の手首を掴み、思わず呼び止めてしまった。話しかけたはいいが何を言えばいいのかわからず混乱していると、彼女は訝しむ視線を向け口を開く。
「な、なんでしょうか?」
「えっと、あなたの名前は羽菜ですよね?」
「そうですけど……なんであなたが知ってるんですか。私はあなたを知らないんですが……」
本当にわからないといった表情を見せる彼女に、私は混乱しているからかバカらしいことを口走る。
「私はあなたなの。今の名前はゆうだけど本当の名前が羽菜で、怪しい男に話しかけられてこうなっちゃってたの。だから私は元々羽菜で、あなたは私で……あれ? えっと……」
「すみません。言っていることがよく分からないのですが、用事があるので私は行きますね」
引き攣った表情でそう告げ、彼女は早足に目の前から去っていった。
私が置かれている状況、今の状態に頭が追いつかず、ただただその姿を見つめていた。
すると突然、背後から聞き覚えのある声が響く。
「――おや、お久しぶりですね」
急いで振り返ると、そこには例の怪しい男が立っていたのだ。
その男は今日も黒スーツで、ニコニコとした笑顔も健在だった。
「あなたは……! あの、早く元の身体に戻してください! お願いします!」
手を合わせ必死に男に懇願する。だが、その願いが届くことはなかった。
「それは無理ですよ。始めに言ったじゃありませんか。『別人の人生をプレゼントする代わりに、あなた様の人生を頂戴いたします。尚、返品は不可能なのでご注意を』とね。それを了承したのはあなたですよ?」
「うっ…………ですが…!」
それでも私は食い下がるが、男はニコニコとした笑顔を崩さず首を横に振る。
「どう言われようとも無理なものは無理です。どうしようもありません」
最初良いと思っていたその笑顔は、今では恐怖にしか見えない。貼り付けたような笑みで、現実を突きつけてくる。
今後一生自分ではない自分を生きなくちゃいけないのか。そう考えると、意識が遠のきそうになる。
私は膝から崩れ落ち、大粒の涙を零す。
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…! もう自分を見失いたくない…! もう…嫌だぁ……」
私は消え入りそうな声で、呟く。
「羽菜に……羽菜に戻りたいよぉ…………」
◇◇◇
「はっ…?! はっはっはっ…はっ……」
気づくと、見覚えのある天井があった。私は急いで起き上がり、キョロキョロと辺りを見回す。
「はぁ……はぁ……私の、部屋……?」
それは私の――
私は肩で息をしており、汗や涙でベッドも私もぐっしょり濡れていた。
元に戻れた、のかな?
それとも、今までのが夢……?
混乱する私の元に、ママが扉を勢いよく開ける。
「羽菜、遅刻するわよ! ……ってどうしたの!? そんな真っ青な顔をして…」
ママの顔を見た瞬間、私の瞳に涙が溢れてくる。
突然泣き出す私にママは最初は戸惑うも、優しく抱き締めてくれた。
「悪夢でも見たの? よしよし、大丈夫よ。大丈夫。大丈夫だからね、羽菜」
その温もりが、呼ばれる私の名前が、その声が。全てが温かく、大切なものだと思うことができた。
「ありがとう、ママ。本当に、本当に……」
私の溢れる涙は、しばらくの間止まることはなかったのだった。
ディファレット・ライフ 天羽ロウ @tenba210
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