第6話

「ありがと。ミランダって何組だっけ?」



「えっと……5組」



 ミランダは少しためらってから、言いづらそうにそう言った。表情が浮かない。そんなに知られたくないのかと、少しだけ落ち込む自分がいる。


 けれど、ミランダのクラスがわかったことでいくつか納得がいった。ミランダの教室があるのは2階だ。だからいつも俺より早くこの教室にいるし、廊下でも見かけないのだろう。



「じゃあ、授業が終わったら返しに行くよ」



「え、いや、いいよ」



 いいよ、と言われてしまったが、明日からゴールデンウィークに入ってしまう。課題もあるだろうし、返さなくては困るだろう。



「放課後で、大丈夫だから。私が春の教室に取りに行くし……」



「別にそれでもいいけど、ミランダ6限目は?」



「……数学」



 俺もミランダも、半分意地になっていたように思う。俺は仲良くなれたと思っていたミランダがやたらと距離を置こうとしてくるようで悲しかったし、ミランダも俺に教室に来させまいと違和感のある言動をしている。



「じゃあ、5限目が終わったら私が春の教室に行くから! ね、それでいいでしょ?」



 いつになくミランダが声を荒げるものだから、俺もうんと言わざるを得なかった。なんだか気まずい空気になってしまって。それから予鈴が鳴るまでお互い一言も話さなかった。



 5限目の数学は、どうしてこんなに眠くなるのだろう。けれど教科書を借りている手前、授業を真面目に受けなくてはいけない気がして、俺は彼女の教科書をぱらぱらとめくる。


 ミランダの教科書は特に落書きもなく、重要な部分にピンクのマーカーが引かれているだけだった。時折“次回小テスト”なんてメモ書きを見つけて、こんな字を書くんだと文字の上をなぞる。ミランダの字は小さくて丸っこく、今にも消えてしまいそうな薄さだった。


 その日はきりのいいところで、と授業が早めに終わり、それならと俺はミランダの教室へ向かった。あれだけ拒絶されたのに、と思うが引き下がるのもなんだか嫌だったのだ。ミランダだって、わざわざ来た俺を追い返すことはしないだろう。


 2階に上がり、1-5と書かれた教室の前に向かうと、丁度号令が聞こえてきた。教室の中から出てきた生徒の邪魔にならないように中を伺うと、真ん中の席にミランダがいるのが見える。ミランダは机の上を片づけると席を立った。俺に教科書を返してもらうためだろう。


 ぱっと顔を上げたミランダと目が合った。俺が小さく手を振ると、ミランダは一瞬泣きそうな顔をして、俺に近寄ってくる。そんな表情をするくらい嫌だったのか、となんだか申し訳なくなった。そんな顔をさせるくらいなら、大人しく教室で待っていればよかった。



「ごめん、やっぱ教室にいればよかったな」



「……ううん」



 ミランダの顔がうっすらと青ざめている気がする。俺は、教室の中がなんだか静かなことに気が付いた。教室の面々がちらちらとこちらの様子をうかがっている。


 やっぱり、俺は来ない方がよかったのだ。いくら階が違うとはいえ、俺のうわさはここでも流れているのだろう。俺と仲がいいと言われて、ミランダが教室に居づらくなるのは不本意だった。


 しかし、その静かな動揺は、俺でなくミランダに向けられているようだった。ミランダはぐっと唇を噛みしめている。



「あの、これ……」



 ミランダ、と名前を呼びかけてやめた。その名前では呼ばないほうがいいような気がした。俺が教科書を差し出すと、ミランダは黙って受け取る。その手はわずかに震えていた。



「それじゃ……また」



 ミランダは泣きそうな顔のまま微笑んで、自分の席へと戻っていった。教室の視線は彼女に移る。やっぱり、見られていたのは俺ではなかった。慌てて教室に背を向けて、階段を駆け下りる。


 言葉にできない感情が、胸の中をぐるぐると渦巻いていた。ただはっきりとしているのは、ミランダがあんな表情をしたのは、あんな視線にさらされたのは、俺のせいだということだった。


 このままゴールデンウィークに入るのが不安だった。放課後、下駄箱でミランダを待ってみたけれど、俺が見つけられなかったのか、それともタイミングが合わなかったのか、彼女と会うことはできなかった。


 念のため5組や、他の教室も覗いてみたけれどミランダは見つからない。彼女の連絡先も知らないのだ。ゴールデンウィークが終わるまで、彼女には会えない。


 俺の不安を表すみたいに、空はどんよりと曇っていた。

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