第5話

 今日も今日とてミランダはいつもの席に座り、俺だったらデザートにしかならないような菓子パンを机にのせて座っていた。俺が教室に入ると一瞬こちらに視線を向け、菓子パンの袋を破る。


 もしかして、待っていてくれたのだろうか。俺が隣に座ってもミランダは気にする様子もなかったが、この状態が当たり前になっているみたいで嬉しかった。



 最初はほとんど会話をしなかったが、段々お互いの存在に慣れてきた俺たちは、他愛もない世間話をするようになった。あの先生の授業がおもしろいだとか、課題が多いだとか、そんなことだ。クラスメイトが教室で何気なく話す、次の時間には忘れているようなこと。


 けれど俺は、それからきっとミランダも、そういう話をする相手がいなかった。だからなんてことない会話がやけに楽しく、貴重なものに感じる。


 何より、今まですこし遠い存在に感じていたミランダと友達になれたような気がしたのだ。彼女は話してみれば、普通の女子高生だった。表情は相変わらず固いし、あまり笑うこともないけれど、和らいだ表情を見せてくれることも増えた。


 昼休みをこの空き教室で過ごすようになって、3週間が過ぎた。5月に入り、環境に慣れたからか制服を着崩す生徒もちらほらと出てくる。


 俺も暑くてワイシャツだけで登校するようになったが、ミランダはまだグレーのセーターを着こんでいた。暑くないのかとも思うが、彼女の周りだけはなんだか涼しい風が吹いていそうだった。


 そんな学校に慣れ始めた雰囲気と、居場所ができたことへの安心感が裏目に出た。昼休み、俺は廊下を走り、いつもの空き教室に向かう。ミランダのクラスはいつ授業が終わっているのか、相変わらず俺より先にいつもの席に座っていた。



「どうしたの、そんなに慌てて」



 俺が息を切らして教室に入ってきたのを見て、ミランダが目を丸くする。こんな風に驚いた顔を見るのは初めてかもしれない。いや、今はそれどころじゃなかった。



「ミランダ、数学の教科書、持ってない?」



 そう、俺は今日うっかり数学の教科書を忘れてしまったのだ。隣のやつに見せてもらえばいいやと思ったものの、今日に限って休み。俺は他のクラスに友人もいないので、ミランダが持っていなければ終わりというわけだ。わざわざ教師に教科書を忘れたと申告して注目を浴びたくもない。


 ミランダは借りられなかったら死ぬとでも言い出しかねない俺の雰囲気に気圧されてか、目をぱちくりとさせて、それからふっと笑った。



「持ってるよ」



 ツボに入ったのかしゃっくりをあげるみたいに笑い続けるミランダを前に、俺は深く安堵のため息をつく。そんなことで、と思われるかもしれないが、俺にとっては重要なことだったのだ、



「よかった……ごめん、借りていい……?」



「いいよ。お昼食べたら取りに行ってあげる」



「ありがと」



 俺は息を整えてミランダの隣に座る。弁当箱のふたを開けると、走ったせいで少し中身が混ざっていた。ミートボールのソースがほうれん草の和え物と混ざって不思議な味になっている。


 隣に視線を向けると、ミランダは菓子パンをほとんど食べ終えて、席を立とうとしていた。



「今のうちに教科書取ってくるね」



「え、いや、戻るときにミランダの教室寄るよ」



 さすがに一度教室に戻ってまたここに帰ってくるのは面倒だろう。しかし俺がそう言うと、ミランダはちょっと困ったように微笑んで、首を横に振る。



「暇だし……気にしないで」



 ミランダはそう言って、俺の返事を待たずに教室を出て行ってしまった。俺は一人取り残され、することもないから黙々と弁当を食べる。


 彼女が教室を出て行く前の、複雑そうな表情が気になった。よっぽど俺に教室に来られたくないのだろうか。確かに、俺も教室にいるときに自分をミランダには見られたくない。もしかしたらそういう気持ちなのかもしれない。


 数分後、俺が弁当を食べ終わると同時にミランダは教室に戻ってきた。手には見覚えのある教科書。青色とよくわからない図形で構成された表紙のそれは、いつも見ているもののはずなのに、他人のものだとなんだか違うもののように感じた。

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