第6話

 パーキングエリアを出て下関へ向かう。

 名称のとおり、山陽自動車道に冬の柔らかな日差しが降り注ぎ始めた。数台の車が流れ始めて、陽気なハイウェイを走る観光バスを追い抜く。


 ラジオをつけると、ラブソングが流れた。


「この歌。恥ずかしいよね」


 愛華は白肌の脚を伸ばして、助手席に移動した。「危ないですよ」と注意しても無視された。


「ああ、こっちのほうが、ずっと景色がいい」


 たしかに、関門海峡がカーブから少しずつ見えて、壮大なクライマックスを示唆するように焦らしていた。

 九州が見えて来た。

 まさかぼくが九州に上陸するなんて、予想にさえできなかった。


「……ねぇ、聞いてる?」

「すみません。聞いてませんでした」


 ぼくはすぐに謝ると、愛華はなぜか笑った。


 ラブソングはサビが終わり、二番になる。フルで流す古い定番の曲のようだ。


「ほら。バイクのメット五回ぶつけるなんて」ラジオを再生しているセンターパネルを指さす。「私なら、合図とか決めない」


「恋人たちの世界観でしょう」

「私なら、やめて、って言うね。だって、恥ずかしすぎるじゃない」

「サインとは、昔から符牒や秘め事として、分かり合える者同士でより親密になる行為だったと思います」

「ふーん。なるほど」


 愛華の口癖なんだろう。もう視線は蜘蛛の巣のように幾重にも伸びた関門橋のケーブルに移っていた。渡り終えるとほぼ同時に、愛華の携帯端末から着信音が流れた。派手でロックな曲で、愛華が選びそうのない音楽だった。


 電話に出ることもなく切ると、顔を伏せた。黒服からの電話だったのだろう、すぐにメッセージが飛んできて愛華は読むと青ざめる。

 奴らは九州に上陸したことを知らせたのだ。


「逃げられない」


 からめ捕られた虚ろな愛華に「大丈夫です」とぼくは言った。


 九州自動車道に変わると、コンソールから大きなビープ音が鳴る。愛華は反射的に脚をピンと張って、胸に手を当てた。

 エラーで高速料金の決済ができなくなっていた。

 このままだと料金所で止められてしまう。

 慌てふためく愛華をどうにか落ち着かせて、道路点検の無人車が出入りする通用口を探した。

 鉄扉で固く閉ざされた向こうに山の斜面を登るような道が見えた。

 あれぐらいの門なら。


「身を屈めてください。高速を少し強引に降りますから」

「え? え?」


 サービスエリア横の鉄柵に車の進路を合わせる。

 速度を上げた。

 走行音が変わると高圧電流の甲高い音が車内に響く。愛華が金切り声を上げると、フロントバンパーに格子がぶつかり、鉄板が弾け飛んだ。

 爆発したような衝撃音がすると、何度も車体を宙に浮かせて、細い林道に着地した。

 砂利道が途切れて、お辞儀するキャラクターの立て看板をよけると、いつもの道路に合流する。


「一般道に降りました。大丈夫ですか?」


 愛華は乱れた横髪をかきあげて、「大丈夫なわけないでしょ!」とヒステリックに怒った。


 車の渋滞に、何食わぬ顔で並んで停まる。愛華の呼吸も平時に戻りつつあった。


「一つ、いい案があるのですが」


 愛華にはだいぶん信頼性を裏切る行為だったようで、無言で眉間に皺を寄せた。

 ――でも、これが一番良い降り方に違いなかったのだけれど。


「パスポートを持っていますか?」

「……何をする気? 絶対、あんなことする前には私に相談しなさいよ」

「分かりました。電子パスポートを登録していますか?」


 愛華は口をつぐんで、不承不承と携帯端末に登録されている電子パスポートを運転席のホログラムに見せた。


「ありがとう」


 ホログラムが親指を立てる。笑顔を添えて。


「もう、不意に死にそうになるのは嫌だから」愛華は念を押す。


 ぼくは密かに急いでいた。

 充電率が十パーセントになろうとしていた。 

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