第5話

 漆黒の闇から逃げるように、高速道路を疾走した。

 同じような景色が続く。

 果たして進んでいるのかさえ疑わしくなる。

 それでも夜の帳をかいくぐるように。押しのけるようにして、前進するしかなかった。

 死という恐怖が、ぼくを加速させる。それは自我の消滅ではなく、彼女との約束を果たせないことへの恐怖。


 ――どこか少しでも遠くへ。


 やがて、常時アクセスするバイタルネットワークからログアウトされた。

 もうネットにもつながらなくなり、ぼくは世界から隔離された。


 不思議なことに喜びがじわりと広がった。彼女と閉ざされた世界を共有している事実が、清々しい満足感を与えた。

 いま管理棟では、AIの暴走とか言って、ぼくを停止させようとしているのかもしれない。ロボットが人間の少女を乗せて、狂走している。そんなネットニュースが流れているのかもしれない。


 トンネルに入ると、オレンジ色のナトリウムランプが彼女の上を走る。ピンクの髪が温かみのあるカラーに変色した。

 寝ているのか、じっと息を殺しているのか分からない。彼女は自ら意思を閉ざしているように思えた。

 

 終夜、走り続けると、リアガラスにうっすらと凍雲が映る。

 陽が一巡してぼくらの後ろを少しずつ照らし始めた。

 雲で覆われた空と、海のシルエットが分断される。海岸線を見下ろしながら高台の高速を走っていた。対向車も含めて、一台の車も見当たらなかった。


「ここ、どこ?」


 独り言のような小さな声が聞こえた。

 彼女が起き上がって、ウイッグを外す。巻き毛の黒髪が落ちて来て、肩にかかった。


「広島県の広島湾、沿岸部です」


 道は東名高速道路から山陽自動車道に変わっていた。


「どうして私を乗せたの。お金、そんなに持ってないわよ」


 ピンクの少女はどこかに消えて、生気を帯びた鋭い目つきの少女に変わっていた。でも瞳の奥にある異様ともいえる煌めきは変わらない。

 普通の乗客と違う危うい煌めきは、幼い子供が放つ底なしの好奇に近かった。


「分からないです。でも、連れ出してほしいとあなたは言いました」

「なるほど」と大きく頷く。「私に恋したってことね」


 きょろきょろと車内を見回すと、窓に張り付き、白み始めた海を眺めて微笑んだ。


「名前は?」

「ケイトです」

「ふーん。私は」

「スズでしょう?」とぼくは先に言った。じつはこっそりと、仕事中にネットで調べておいたのだ。

 彼女は困ったように、眉を山にして、うっすら笑った。

「馬鹿ね。その名前は言わないで。本当の名前は、橋田愛華まなかよ」


 しばらく沈黙していると、スポーツカーがぼくらを追い抜いた。


「どこに向かってるの?」

「西へ向かっています」

「どうして西なの?」

「あなたが、夜は嫌だと言ったからです」


 愛華は少し考えると「なるほど」とつぶやいた。


「ということは、このままだと長崎まで行くのね」


 愛華はシートにもたれた。生き生きとした表情を見て、ぼくは車のAIとして心配性に作り上げられたんだろうと省みる。


「長崎と言えば、ちゃんぽんらしいわね」と言いながら、お腹を鳴らした。

「どこか、パーキングエリアに寄りましょうか」

「どうして?」

「お腹の音が聞こえたので」

「別にお腹が空いているわけじゃないのよ。女性の生理現象みたいなものだから」


 ぼくはパーキングエリアに入る。朝なので誰もいなかった。

 自動販売機で缶コーヒーと肉うどんを買ってきて、フロントライト下のバンパーに腰かけた。ぼくは両手がふさがっている愛華のために開けておいた後ろのドアを閉めた。

 もくもくと湯気が立ち、白白しらしら明けの海と同化している。

 雲間から一縷いちるの光が射して、彼女の横顔を照らした。いつかの夢が初体験のように再現される。枯木こぼくから風になびく青葉のささやきが、ぼくには聞こえた。

 愛華の温もりがボンネットから伝わり、かけがえのないものを手にいれた気分になった。

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