第2話
充電の残量が十パーセントを切ると、インパネからアラートが鳴った。
最後の客を下ろして、管理棟へ向かう。
港に併設された巨大なドーム。そこが都内を走る何千台もの無人タクシーの宿になっている。
一台に一つずつ、灰色のポストが立っていて、ぼくらの命をつなぎ留めるようにコードで繋がれていた。
指定された定位置に来ると、お気に入りの作業員が駆け寄ってきた。
ジーンズに紺の作業服と帽子を被っている。テキパキと動いて、給電口にポストから伸びたコードを挿す。
インパネの充電率が少し回復するのがわかった。ぼくは充電されているという実感はないのだけれど、メーターが上がっているということはそういうことなのだろう。
「ケイトお疲れさん。随分走ったね。今から汚れを落として、新車みたいにしてあげるよ」と作業員は言った。
彼はぼくのラッキーボーイだ。ぼくの名付け人でもある。
彼もぼくのボディや内装に興味があるらしく、いつもこの管理棟に入るなり、走って近づいてくる。
「こんな車に乗れる客なんて、いったいどういう暮らしをしているんだろうな」
彼はぼくが自由にしゃべれることを知らない。たぶん、ぼくが彼に好意をもっていることも知らないだろう。それは彼の空想の話ではなく、リアルな自我としての話で。
誰も触ることのないハンドルを念入りに拭いて、「ブーン」と口でエンジンの音真似をした。実際はエンジン音なんてしないのだけれど。
そうしてひとしきり独り言を言い終えると、彼は外に出て親指を立てる。
ぼくはホログラムのドライバーに親指を立てさせた。
充電率が100パーセントになるころ、ぼくは初めて夢を見たことに気付いた。
うろ覚えのまま管理棟を出たころ、はっきりと輪郭が重なり像になる。
海岸沿いのどこかの高速道路なのだろうか。
遥か先で青空と海が水平線で交わり、太陽光が走るボンネットにチラチラと反射していた。助手席には彼女がいた。その奥は傾斜のキツイ斜面で、緑が萌えるように丘を覆っている。
不思議な気分だった。
あの場所がどこなのか全く分からない。
いま思い返せば、彼女のピンクのショートヘアは、ウィッグではなく地毛になっていた。間抜けな虚構の粗ばかり目立って、むなしくなってくる。
夢は欲望の現れだと、人間の精神科医が言っていたけれど、そうだとしたらぼくはなんのために夢をみたのだろうか。
――自分の脚さえも自由にならないこの世界で? 欲望なんてただの単語だ。この世界に実在するはずがないんだ。
管理棟のゲート横に、廃車になった車の行きつく墓場が目に入った。
塗料が剥げて、錆びついた車が
管理棟のどこかの誰かが、ボタン一つでぼくを殺すことだってできるのかもしれない。それは何の確証もないのだけれど、十分な抑止力になっている。
欲望なんかに一ミリでも自由を与えたら、もうこの世界には居られないかもしれない。
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