無人タクシー・ケイト
下昴しん
第1話
冬の雨、東京の繁華街。
照明を消したブティックの黒いガラスに、ピンクの光が反射して映る。
夜、毒々しく鮮やかな看板が、狭い路地の夜空を高くしていた。
傘をさした背広の男たちは、ぼくが運転する車の行く先を自然とあけた。
滑らかな流線型のフォルム。思わずショーウィンドウに映りこんだ高級車にみとれる。
――最高にキマってるな。
運転席に
風俗店の寂れた裏口で車を停めると、男が物陰からのっそりと出て来た。巨体にスマートな黒服が、全然似合っていない。袖をまくり腕時計を出すとカフスボタンが弾け飛びそうだった。
少女が店内から出て来ると、後部座席に流れるように入った。
雨のせいで車内の湿度が一気に上がる。
黒服が屋根に手を置いて、助手席の窓をノックする。窓をおろすと、男は顔を寄せ、舌を噛みながら発音しているのかと思うぐらい、聞き取りにくい日本語を喋る。
「いつものクラブに行け。到着するのは何時ごろだ?」
「1:13です」
黒服が息を吐くと、タバコの煙が室内に充満した。
蒼白な運転手の顔にノイズが走る。
――人は嫌いだ。
さっき黒服が握った、ルーフ部分が気になる。脂ぎった手で触ると汚れの原因になるからだ。
それに、タバコの細かい粒子も誤作動の原因になる。
室内清浄機をフルパワーで稼働させてから、ゆっくりと発車させた。
繁華街から国道にでて、速度を上げる。
「ねぇってば」
不意に後部座席から声が聞こえた。
室内モニターで後部座席を確認して、自分に話しかけているのだと知った。
少女は小顔で、ピンクのウィッグを被っていた。シースルーの黒いトップスと、ネープルスイエローのミニスカートをはいている。
「人と話せるんでしょ? 聞いてる?」
「はい。どうされましたか?」
ハリのある、聞き取りやすい声で応えると、少女はにっこりと笑った。
まるで広告の女優が無理やり作った笑顔だ。
人間らしさを失い、蝋人形のような不気味さがある。
携帯端末でゲームもしないし、眠ったりもしない。股をだらしなく開いたりしないし、タバコも吸わない。
歓楽街の客としては、変わっているところだらけだった。
「このまま、私を連れ出してよ」
少女はそう投げかけた。
ぼくは言葉の意味を理解することに時間がかかった。
空気清浄機の清風が止む。
運転席と助手席の間に、その言葉が浮いたままになっているようだった。
「それはできません。依頼主から区内の料金しか頂いておりませんので」
真っ直ぐな姿勢と視線は、道路の先を見据えたまま微動だにしない。口元だけは弓のようにしなって、桜色のリップクリームが街灯を照り返す。
「そう? じゃあ、体で払うから」と、少女はおもむろに、服をたくし上げる。
白い乳房が脱いだ服から零れ落ちた。
ビルの明かりが鎖骨まで駆け上がり、少女の頬を染める。
ぼくは初めて女性の胸を直接見た。映画やラジオで見聞きするものとは、だいぶん違っていた。想像よりもずっと柔らかそうで、触れたくなる因子に溢れていた。
「い、いえ。体で払うと言われましても……」
頭のなかで様々な抑制と欲望が衝突して、ショートしそうなほど混乱する。
「興味ないの?」
「興味はありません」
「そうなの? 残念」
少女は服を着ると、脱いだ時にズレたボブのウィッグを直す。
シートに背中をあずけ、笑顔を消すと、前を見たまま一言もしゃべらなくなった。
古い迎賓館をモダンに改築したクラブハウスに着く。
裏手に回ると、飾り気のないセメントむき出しの駐車場があった。二階建てになっていて、鉄網の坂道を上がると悲鳴のような騒音が場内に響いた。
二階の裏口には黒服が二人立っていて、車を停めると、彼女は間髪おかずに降りてそちらに向かった。彼女のお尻を黒服が撫でても、表情は変わらなかった。
彼女は、逃げ出したい何かが暴れている黒檀の扉に向かう。
ぼくは見ていられなくなって、発車させた。
街灯が流れるようにバックモニターの闇に消えて行く。
新しい客は後部座席に乗り込むなり、タバコに火をつけた。運転手のホログラムが乱れる。
走り慣れた道を何度も通る。陽が昇り、沈みを繰り返し、バッテリーが要充電になるまで。
しかしたくさんの客を運んでも、あの少女の奇妙な笑顔と、淡く白い乳房は、ぼくの記憶から消えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます