第14話

「私にしかできないこと」

「そうなのよ。あんたにしかできないことなのよ」

 アンはようやく理解したかと言わんばかりに鼻を鳴らす。

「いい?あんたがやることはたった一つなのよ。この世界の核に当たる原初の本を探すのよ」

「何を探すって?」

 聞き馴染みのない言葉にサクラは思わず聞き返す。

「原初の本、なのよ!」

 話の腰を折られたアンはイライラした様子で繰り返す。サクラは心の中で謝るが同時に仕方がないじゃないかとも思った。こんなわけのわからないことに巻き込まれて、わけのわからないことをたくさん教えられて混乱しない方が難しいだろうと唇を尖らせる。

「原初の本は見ればきっとわかるのよ。その本はあんた達にしか見えない、触れない特別な本なのよ。だけど、原初の本は必ずしも本の形をしているとは限らないのよ」

「本の形をしてないのに本なの?本の形をしてない本なんてどうやって探せばいいの?」

「そこは気合いでなんとかするのよ」

 アンの言葉にサクラは信じられない気持ちでアンを見る。気合いでなんとかできるものなのだろうかと、途端に不安になる。

「見ればわかるっていってるんだから大丈夫なのよ!」

 サクラの不安を感じ取ったのかアンがたしたしと手を床に叩きつける。何が大丈夫なのか正直わからなかった。

 サクラはこの猫の言うことを聞いて本当に大丈夫なのだろうかと思ったが現状他に頼れる人(?)もいないから口を挟まずアンの言葉を待つ。

「原初の本は人がそれぞれ必ず持っているとされる本のことを言うのよ。本来ならその存在に気づくことも触ることもできないけど、不安定な存在になっている今のあんたならその本を探し出すことがきっとできるのよ。そしてその本を見つけたらあんたはその本を壊すのよ。それができて初めてあんた達はこの世界から解放されるのよ」

 アンの説明を聞いてとりあえずその原初の本と呼ばれる本を探せばいいのだなと頭で理解する。アンの説明はサクラにとって突飛なもので全てを理解するのは難しかったから大事そうなところだけ頭の中に入れる。情報の取捨選択は大事だった。

「その本は具体的にどこにあるものなの?」

 姿形がわからないのならせめて場所だけでも絞れればと思い尋ねるが、アンは首を横に振った。

「それは私にもわからないのよ。だけど、あんたなら絶対に見つけることができるのよ」

 先ほどからアンはなんの根拠もないのにサクラなら本を見つけられると繰り返す。その自信がどこからどうして生まれるのかサクラは不思議でしょうがなかった。

「ここから出る道は私が特別に用意してあげるのよ」

「え!?ここで探すんじゃないの?」

 すくっと立ち上がったアンが呆れたようにサクラを見上げる。

「こんなところに原初の本があるわけないのよ。ここは出来損ないの世界のいわば現実と夢の狭間みたいなものなのよ。世界の核になる原初の本は現実にしか存在しないのよ」

「でもさっきここは現実じゃないって……」

「それはこの空間のことを言ってるのよ。まぁだからといって、ここから出たとしてもそこを現実の世界と捉えるかどうかはあんた次第なのよ」

 アンはサクラに背を向けて歩き出す。サクラは慌てて立ち上がりアンの後を追う。

 アンはあるところまで歩くとサクラの方を振り返った。永遠に続いていると思った廊下の先が暗闇で覆われている。真っ暗でその先に何があるのか全くわからなかった。

 サクラはその暗闇を本能的に怖いと思った。

「さぁ行くのよ」

「え?一緒に行かないの?」

 廊下の先をじっと見ているとアンがサクラに道を譲る。サクラはてっきりアンも一緒に行ってくれるものだと思っていた。

「ここから先はあんたとあの子の物語なのよ。おいそれと他人が入っていい場所じゃないのよ」

 アンはどこか不機嫌そうにそうだった。まるでこの先に行けないことをもどかしく思っているようだった。

「繰り返すようだけど、くれぐれも気をつけるのよ。この世界は不安定でいつどうにかなってもおかしくないのよ」

「そんな……アンも一緒に行こうよ」

 サクラは途端に心細くなって縋るようにしゃがみ込む。するとアンは爪を立てていない肉球をポンとサクラの膝に置いた。

「しゃきっとするのよ!あんたがしっかりしないと、誰も救われないのよ!」

 厳しい言葉だったけれどサクラのことを励まし、背中を押してくれるような力強さがあった。サクラはそれでも残る不安を振り払うように頷くとスッと立ち上がる。

 サクラは真っ暗な廊下に足を踏み入れる前に、もう一度アンの方を振り返る。アンはサクラの瞳をしっかりと見て頷く。

 ここから先はサクラ一人だ。そのことがどうしようもなく不安を誘う。わけのわからない場所で、見つかるかどうかもわからない本を探さなければいけないことも、本当に見つけられるのかと不安にさせる要因の一つだった。

(だけど、あの子は、きっと今もひとりぼっちだ)

 サクラは胸の内に居座る"彼女"を思い浮かべる。サクラのようにわけのわからない場所できっと一人なのだろうと思うと、早く助けに行かなければと思う。

 サクラは一歩、また一歩とゆっくり歩き始めた。その足取りはだんだんと早くなり、最後には全てを振り切るように全力で走り出した。もう振り返ることはしなかった。

 廊下の延長線だと思っていたその通路は、真っ暗な道になりあたり一面暗闇で覆われる。その暗闇の道をただひたすら前へ前へと進む。平衡感覚も失われ、自分が本当に真っ直ぐに歩けているのかもわからなくなった頃、遠くの方に一筋の光が差し込む。

 サクラは苦しくなる呼吸をなんとか整えながら走り続ける。その一本に光に向かって、走る。

 走りながらふとサクラは前にも似たような経験をしたような気になった。その時は誰かがサクラのことを導いてくれていたような気がするけれど、あれはいつのことだっただろうか。

 そんな考えが頭をよぎりながらも、サクラはその光の先へと辿り着いた。

 一面暗闇だった世界は一瞬のうちに光に包まれ、サクラの視界は一時的に真っ白になる。やがて光に目が慣れてくると、周りの様子が見えるようになってきた。

 そこはサクラの通う学校に続く通学路の途中だった。サクラは思わず辺りをキョロキョロと見渡す。振り返ってもあの暗くて長い道は見えなかった。当然のように黒猫もどこにもいなかった。

 サクラは絶え絶えの息を整えながら戻ってきたんだと実感した。

 サクラにとっての現実に、サクラは帰ってきた。

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