第3話

 たくさんの本に囲まれた中に、小さな机と椅子がその景観には似合わずにちょこんと中心に置かれていた。小さな丸い形をした机は中心に白いレースでできた敷物が敷かれており、机の脚はアンティークショップなどで見るような机と同じで外向きに丸く曲がっていた。


 それに対して、その机に向かって配置された椅子は手作りで造られた椅子のようで、脚の長さが合っていないのか座ると少しぐらついた。重心がうまく定まらず思わず椅子と一緒にその場にひっくり返ってしまうかと思った。


 机の雰囲気はこの本にまみれた空間に合っているのに、グラグラなこの椅子が全てを台無しにしてしまっているようだった。


 サクラは本の隙間から奥の部屋で何かを準備している男をじっと見つめた。カチカチと、皿と皿がぶつかるときによく聞く高めの音が静かな空間に響く。男は鼻歌でも歌いそうな様子でサクラに背をつけている。男をじっと見つめながら、無意識に椅子を前後に揺らす。コツコツと床にぶつかる鈍い音が、男の手元で響く陶器の音に重なる。


 男とサクラの間に積まれた本の山の一角でアンと呼ばれた黒猫は丸くなっていた。そして時折、大きく口を開けて欠伸をしていた。


「ねぇ、アナタ、アンっていう名前なの?」


 男の準備がなかなか終わらない。段々手持ち無沙汰になって暇になってきたサクラは、小さく丸まっている猫のアンに小声で話しかけた。アンはサクラの声なんて聞こえていないようで身動き一つしなかった。


「なによ。ちょっとはこっちを向いてくれたっていいじゃない」


 コツっとまた椅子を揺らす。サクラはアンに反応してもらえず口を前に突き出す。サクラが不貞腐れたように小さく文句を口に出すと、ようやくアンは少しだけ反応を示した。


 アンは少しだけ顔を持ち上げ、サクラの方を見ると鼻で鳴いてまた元の姿勢に戻った。その仕草はまるでサクラをバカにしているようだった。しかしサクラはそのことには気が付かず、アンが反応してくれたことに嬉しくなる。


「今、こっち見たよね……!かわいいなぁ!」


 身を乗り出す勢いでアンの方を見つめる。その時また重心がズレたのか、コツっと鈍い音が鳴った。そしてそれに共鳴するかのようにカチャと高い音も鳴った。同時にサクラの上から覆うように影が落ちる。


 はっと顔を上げると本の向こうにいたはずの男がいつの間にか目の前に立っていた。そしてサクラの目の前にティーカップを置いていた。


「あ、ありがとう、ございます」


 サクラがおずおずとお礼の言葉を伝えると男はにっこりと笑った。男はサクラの反対側にも同じ柄のティーカップを置くと、サクラの反対側に置かれていた椅子に腰を掛けた。手に持っていたお盆は椅子と本棚の間に置いていた。


「猫が好きなんですか?」

「えっ?」

「アンに、すごく興味があるみたいでしたので。違っていたらすみません」


 男がサクラとアンを交互に見て優しく言う。サクラは隠し事がバレたみたいになんだか居心地が悪くなり、顔をほんの少しだけ赤く染めた。


「あんまり、猫と触れ合ったことがなくて…つい」

「いいんです。恥ずかしがらないでください。アンも久しぶりのお客さんに嬉しそうですから」


 男がそう言うから思わずアンの方を見たが、男とサクラを睨みつけるように見ているアンが目に入り、本当に喜んでいるのか怪しく思った。


「アンは照れ屋さんなんですよ」


 男が補足するように言うと、アンが否定するかのように男の背中に飛びついた。


「いたっ…いたたた。痛いよ、アン」


 サクラからは見えないが、どうやらアンに爪を立てられているようで、男が背中からアンを剥がそうとする。


 アンは男に捕まる前に気が済んだのか、軽やかに男の手を避けて男の背中から地面に着地する。そして、これまた重力を感じさせないかのようにバラバラの高さに積まれた本の山を登っていった。男はアンの様子を見ながら苦笑する。


「お願いですから、本の山だけは崩さないでくださいね」


 男の言葉に返事をするようにアンがにゃあと応えた。男とアンのやり取りを見ていると、まるで二人(一人と一匹)は会話をしているようにも見えた。


「あの、あなたは誰なんですか?それにここはどこなんですか?この部屋だって、外の大きさと比べると高すぎるし……もしかして私、夢でも見てるんですか?それならさっきの化け物だって説明がつくし。それに……」


 一度口を開けば堰き止められていた水が流れ出すように聞きたいことが溢れ出てきた。男はそれに直ぐには答えず、湯気が上るティーカップを口につける。


「まずは、自己紹介をしましょう」


 そう言って手に持っていたカップを机に戻す。


「僕はノエ。ノエと言います。この彩紙耶堂の店主をしています。お嬢さんの名前はなんて言うんですか?」

「……私は、松宮サクラっていいます。中学二年生です。中学は豊西中学です。あの、その……あやしやどうってなんなんですか?」


 サクラには聞きたいことも知りたいことも沢山あったが、ノエに出鼻を挫かれたことで少しだけ冷静になれた気がした。


「このお店の説明をする前に、ここが何処にあるのかについてからお話ししましょう」

「はぁ……」


 サクラはノエの言葉に生返事を返す。正直、これがサクラの夢であってほしいと心の片隅で思っていた。

 それでも、ここが夢でなく現実であるのなら、今サクラがいるのがどこで、どうすれば元の世界に戻れるのか教えてもらわなければならない。だから、大人しくノエの言葉を待った。


「サクラさんが住んでいる場所のほかに、サクラさんが普段認知していないだけで妖、つまりサクラさんがここに来るまでに見た化け物達が住む世界があります。本来、この二つの世界が直接交わることはありません」

「ここに来るまでに見たやつ……ていうと、あの黒くて大きいやつのことですか?」


 サクラは先ほど追いかけてきたそれらを思い出し身震いした。ノエはサクラの言葉に小さく頷いた。


「そうです。それで間違っていません。それらを僕らは妖と呼んでいるんです」


 妖、とはよくサクラが漫画や小説の中の設定として聞く名前だった。あの化け物たちに出会う前だったら、妖は想像上のものだと一蹴することもできたが、実際に目にしてしまった以上否定することも笑うこともできそうになかった。


「二つの世界は直接的には干渉し合うことはありません。その代わりに、この二つの間には"境界線"と呼ばれる空間があります。その空間を介して、二つの世界は繋がることができます。ここまでは大丈夫ですか?」


 ノエがサクラに聞く。サクラは聞いたこともない話ばかりで頭がパンクしそうだった。とても理解するところまで整理できそうになかった。


「線なのに空間なんですか?」


 混乱した頭のまま、思いついたことを口にする。


「ええ。線だけど、空間なんです」


 そう言いながらノエは懐から一本のペンと一枚の紙を取り出した。


「たとえば、このように二つの丸を描きます」


 白い髪に隣り合わせの二つの丸を描く。


「この丸はこの一点で交わっています。本来ここは線であり点でありますが、正確にはここに空間があるのです。そしてその空間のことを僕らは便宜上"境界線"と読んでいるのです」

「はぁ……やっぱりちょっと、難しいです。ごめんなさい」


 ノエが紙を使って説明してくれたが、サクラの頭では直ぐに理解できそうになかった。


「大丈夫ですよ。この仕組みは僕も最初は理解できませんでしたから。だから、簡単に、これだけ知っておいてください。ここは"境界線"と言う空間で、妖と人間が交わる最初の場所です。そしてこの彩紙耶堂は、その中にあるんです」


 ノエが小さい子供に言い聞かせるように言う。サクラはいろんなわからないことを一度頭の隅に追いやって、ノエの言葉を余計な思考をつけずにそのまま飲み込むことにした。


「それじゃあ、あの黒くて大きいやつらは妖で、ここはその妖と人間が初めて出会う場所……あれ?それじゃあ、ここ以外にもそういうところがあるってことですか?」


 何度思い出してもあの異形の者たちの姿はサクラにとっては恐怖でしかなかった。

 サクラは口に出しながら整理しているときに、ふと疑問に感じたことを口にする。ノエはティーカップを持ち上げて、そっと口につける。


「妖はここにやってきて人間の世界にいくものもいます。また逆の場合ももちろんあります。ここで妖達は人間を知り、人間は妖を知ります。そう言った意味の"境界線"はここだけになりますが、ここはとても曖昧で不安定なところなんです」

「つまり?どういうことですか?」

「サクラさんが通ってきた道からここは外れたところにあります。"境界線"の基本の場所はサクラさんが最初に迷い込んだあの通りになるんです。ですが、この店のように少しだけ外れた場所もまた、多く存在するんです。だけど、人間が迷い込むときは必ずあの大通りに迷い込み、妖もまたあの大通りに迷い込むんです。だから、双方が出会う初めての場所、になるんです」

「わかったような、わからないような……」


 眉間に皺を寄せながら一生懸命頭を働かせ理解しようと努力する。その顔が可笑しかったのか、ノエはくすくすと笑った。


「無理に理解する必要はないですよ。ここは曖昧な場所であることもあり、大半の方は元の場所に戻ったらここのことを忘れてしまうんです」


 人の良さそうな顔でニコニコ笑っているが、そう言ったノエの顔は少しだけ寂しげであった。サクラはきっとノエは自分でも想像がつかないほどの出会いと別れを経験したのではないかと、その顔から想像した。


「あんなに怖い思いをしたのに、忘れちゃうんですね」


 ポツリと呟いてしまった心の声を聞いたノエはきょとんとした顔をする。その顔を見ると、大人の男性というよりどこか小さい子供のような印象を受ける。サクラもつい口をついて出てしまった言葉を取り戻すように口元を押さえた。


「まるで、忘れたくないみたいな言い方ですね」

「いやっ……そうじゃなくて。……そうじゃないんですけど」


 自分の中にある感情をどう表現したらいいのかサクラには分からなかった。怖い思いは確かにした。できることならあの通りには二度と戻りたくはない。それでも、この短い間でもこうしてノエと出会えて良かったと思っている。ノエがどういった人物なのか、そもそもこんなところにいるノエは人ではないかもしれない。それでもサクラに優しくしてくれた彼のことをサクラは忘れてしまいたいとは思わなかった。彼のことを忘れてしまうのはなんだが嫌だと思ったのだ。


 サクラはノエの方を少しだけ見る。ノエはサクラの言葉の続きを待っているようだった。

 できることならこの気持ちをノエに伝えたかったが、自分の中の言葉では正しく伝えられる気がしなかった。だからサクラは無理矢理話題を変えた。


「わ、私のことはいいので!今度はこのお店のことを教えてください!」


 両手を体の前で慌ただしく振って、ノエにつぎを促す。ノエはサクラの心のうちをわかっているのか頷きながら、サクラの希望通り話題を変えてくれた。


「それでは、このお店について紹介しますね。このお店、彩紙耶堂は、紙に彩られた世界を売る店となります」

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