第2話

 暫く黒猫の後ろを歩いていると、前方から明かりが見えてきた。サクラはその光を眩しそうに目を細めながら見つめた。

 そして、その光の下に出た時、あまりの明るさに一瞬目の前が真っ白になった。


 目が周りの明るさに慣れてくると、周りの様子が見えてきた。先程の怖い通りとは打って変わり、自然で囲まれた森の中のような場所だった。人の手が全く加えられていないのか、木も雑草もあらゆる植物が自由に生えていた。


「わぁ……」


 サクラはその自然の凄さに思わず恐怖を忘れて声を上げた。サクラはふと気になってその場で後ろを振り返った。サクラが通ってきた道の出口は石出てきたアーチ状になっており、その道は長いトンネルのようだった。

 随分と長い距離があるのか、サクラが最初にいたあの怖い場所の明かりは、ここからでは見ることができなかった。


「にゃあ」


 サクラが立ち止まって周りを確認していると、下の方から猫の鳴き声がした。まるで早くしろと言っているようだった。

 サクラは黒猫の方に視線を戻した。猫はそれを確認するとまた歩き出した。たったっと軽やかに荒れた道を駆ける黒猫に置いていかれないように少し慌てながらその後を追った。


 舗装されていない道を暫く歩くと、その先に小さく開けた場所があった。そこにはこじんまりとした木でできたログハウスがポツンと不自然に建っていた。まるでキャンプ場にある小屋みたいだ、とサクラは思った。


 黒猫は軽やかな足取りでログハウスの入り口に近づき、可愛らしい声で鳴いた。すると中に誰かいたのか、扉が僅かに開いた。サクラは思わず体を硬直させた。先程まで見てきた、ヒトではないものが出てきたらと、思ったのだ。


 しかしその不安は杞憂であった。中から出てきたのは、ちゃんと人間であった。その人はサクラとは違い、短く柔らかそうなくせ毛で、薄い茶色の髪をしていた。そして片眼鏡を右側にかけており、深緑と真紅のチェック柄のストールを肩からかけていた。ストールの下は白いワイシャツで、下は黒いスーツのようなズボンを履いていた。それなのに足元を見ると草臥れた草履を履いており、その格好のちぐはぐさにサクラは知らず知らずのうちに力を入れていた体を弛緩させた。


 その時、足がふらつきその場に崩れ落ちないように足踏みをしてしまい、足元に落ちていた枯れ葉を踏んでしまった。

 くしゃり、と乾いた音がその空間に響いた。僅かに開いた扉が、もう少しだけ開き、その人が扉の向こうからサクラを見た。サクラはその人と目が合うと体をびくりと振るわせた。するとその人は、サクラを安心させるように優しい笑みを見せた。


「アン。今日はまた随分と可愛らしいお友達を連れてきたんだね」


 その人はそう言って体を屈めてアンと呼んだ黒猫を優しく持ち上げた。

 アンと呼ばれた黒猫は小さく応えるように「にゃあ」とまた鳴いた。何故だか、サクラには不貞腐れているように聞こえた。


「ここまで来るのは大変だったでしょう?大したものは出せませんが、中に入ってゆっくりしませんか?」


 その人は扉を限界まで開いて、サクラを中に誘うようにアンを抱えていない方の手を部屋に向けた。

 サクラは、この人が信用できる人なのかどうか判断がつかなかったが、先ほどまでの普通じゃない光景に疲労が溜まっていたこともあり、その人のことを信じてみることにした。


「あの、ここは何処ですか?」


 サクラは男に近づきながら尋ねる。男はアンを撫でながら答えた。


「そのお話はぜひ中に入って、落ち着きながらしましょう」


 男はサクラが近くに来るとさっと身を引きサクラが通りやすいようにした。サクラは男を横目に見ながら、恐る恐る家の中に足を踏み入れた。


 そこは外観からでは想像がつかないほど広い場所だった。その部屋の中は見渡す限り、どこもかしこも本で埋められており、それ以外のものは見えなかった。本は本棚に収められているものもあれば、床や机に積み上げられているものもある。本が好きな人からしたら、ここはまるで天国のような場所かもしれない。

 サクラは入り口で声にならない声を上げ、目の前の光景に唖然とした。天井が文字通り見えないくらい、高く、本で埋め尽くされている。


 そこでサクラははっと我に帰った。サクラはこの小屋の外観を思い出したのだ。どう考えても、サクラが外で見たこの家の高さと、この部屋の高さは釣り合っていなかった。壁に沿うように置かれている本棚は、外観を考えれば五段くらいが限界のはずなのに、今サクラが目にしている本棚は、終わりが見えないほど高く聳え立っている。


「びっくりしましたか?」

「!」


 サクラが入り口で呆気に取られていると後ろから声をかけられた。サクラはそこに男が立っていたことも忘れて、魔法のような空間に魅入っていた。声をかけられたサクラは驚きで肩を震わせながら、ゆっくりと男の方を振り返った。


「あの……これ……」


 サクラは自分が体験している事実をどう表現していいのか分からず、後ろに立つ男と部屋の中を交互に見ることしかできなかった。


「そうやって驚いてくれると、僕も楽しくなっちゃいますね」


 男は小さく肩を震わせ、胸に抱いたアンの頭を撫でながらサクラの横を通って部屋の中に入っていく。そしてサクラの前に立つと振り返ってこう言った。


「彩紙耶堂へ、おいでませ」

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