第3話 怯えて泣いて、また泣いて

 夜はベッドで、エルさんと一緒に眠る。私は夢を見ていて、その中で前世の記憶が、断片的によみがえる。私の祖父は剣術家だった。剣術が趣味なのか、もっと本格的な伝承者だったのかは思い出せない。私は祖父からの指導を受けて、おさない頃から木刀などを握っていた。


 私は左利きというか両利きで、そんな私に、祖父は古流剣術の技を教えてくれたようだった。その技を正確には思い出せないけれど、思い出せる言葉があった。「個性を大事にしなさい」と、祖父は私に語り掛けてくれたのだ。


「今の剣道は、型にような、画一的かくいつてきな動きになっている。だが左利きの構えも、昔の剣術にはあったんだ。個性を大事にしなさい。それは神様が、お前に与えてくださった贈り物なのだから」


 個性は贈り物。そう、祖父は言ってくれた。だけど私は同性の子しか愛する事ができなくて、そして私のような存在を受け入れない大人も居て。そして社会や同世代の子からの同調圧力があって、そこに感染症対策による行動制限などが加わって。


 おそらくは耐えきれない程のストレスが、前世の私にはかっていた。きっかけが何だったのかは分からない。失恋があったのかも知れない。真っ黒な絶望。剣で振り払う事もできないものがかって、私はみずからの命をみずからの手で────




 悲鳴を上げて、私はベッドからねる。怖い、怖い、怖い。胸の動悸どうきが止まらなくて、私の顔は涙で、ぐしゃぐしゃ。まだ深夜で、隣で寝ていたエルさんが、さっと私をベッドに寝かしつけてくれた。目覚めたばかりなのに行動が迅速じんそくで、そんなエルさんに私はハグを求める。


 エルさんは私の隣で横になって、まるでまくらのように、私が抱き着くのを許してくれた。「落ち着くまで、このままでよう。話す事で気持ちが楽になるのなら、話し相手になるよ」と彼女が言ってくれて、話したくて私は必死に動悸をしずめようとする。眠る時の私達は全裸で、合わさった胸からエルさんの鼓動こどうが伝わってくる。しっかりとした力強ちからづよいペース。やがて私の鼓動も、エルさんと同調するかのように落ち着いていった。


「怖い夢を見たの……昔の記憶が戻って、そして分かった。もう私は、もとた場所には戻れないって」


「……そうか」


 エルさんは私の言葉を待ってくれる。でも私には、もう話すべき事が思い付かなかった。前世がどうとかいう話をしても、理解されるのか分からなかったし。だから私は、エルさんの話を聞きたかった。子供が眠る前に、母親から子守歌をきたがるように。


「ねぇ、エルさん。この集落に付いて教えて。ここには女性しか居ないけど、それはどうして?」


「……何となくは、クロも理解しているだろう? 此処ここは同性しか愛せない者達の集まりさ。森の奥にあって、クロのような人間族にんげんぞくが多く居る人里ひとざとからはなれている。私達、森の種族は長寿ちょうじゅだが、生殖せいしょく能力のうりょくは低いんだ。これは神が、そうデザインしたのかもな。寿命が長い種族が増えすぎれば、食料がりなくなって社会が維持できなくなる」


 つまり森の種族は、人間族よりも人口は少ないそうだ。私は黙って聞いていて、引き続きエルさんが説明する。


「人口を増やせない種族は、決して社会の主流になれない。だから我々は他種族との争いを避けて、森の奥に小さな集落を複数、作って暮らしている。一箇所いっかしょには集まらない方が良いんだ。他種族からの侵略があった場合、種族ごと全滅ぜんめつしかねないからな」


「……バラバラに分かれるのも危険じゃない? 他の……その、私みたいな人間族が攻めてきたら、少人数しょうにんずうで対抗できるの?」


「できないだろうな、攻め込まれたら終わりさ。だから森には認識にんしき阻害そがいの魔法が掛けてある。他種族が森に攻め込もうとしても、集落の出入でいぐちが外からは分からない仕組しくみだよ。それに私達は、森での戦いにけている。攻め込むほうにも覚悟がるし、こんな辺鄙へんぴな所まで兵が来ても見返みかえりは無いはずだ。少なくとも、ここ数百年の間は平和が続いているよ」


「でも……でもさ。まんいちって事もあるじゃない。もし私が、人間族のスパイだったら? 集落の居場所がバレちゃって、全滅するかも知れないのよ? どうして他種族の私を助けてくれるの?」


 私だって馬鹿じゃない。この集落は良い人ばかりだけど、それでも余所者よそものを受け入れるリスクを避けたがる人も居る事は分かっていた。はっきり言えば、私を殺してしまう事が、集落のリスクを避ける最善の手段なのだ。


「クロが何を考えているかは分かってるつもりだよ。でも怪しいからと言って他種族をあやめれば、それはそれで種族間しゅぞくかん抗争の理由になるさ。それに……この集落は性的マイノ少数派リティーの集まりなんだ。社会からの、あぶれものには、なるべく手を差し伸べたい。それがおさとしての、私の方針だ」


 エルさんが、いとおしむように私の頭をでてくれる。このてのひらに、私は何度も助けられてきた。行き倒れになっていた所をお姫様っこされて、集落に連れてこられて。熱が下がらない私のひたいに、何度もれたぬのせて、取り替えて看病してくれた。「行かないで……」とうなされる私のほほを優しく撫でてくれた、このエルさんの掌。


 おさであるエルさんが、直々じきじきに看病してくれた理由も、その後も必ず私をそばに置いた理由も今なら分かる。集落では、『私を殺した方が良い』という意見が、きっとあったのだ。森に捨ててにでもさせれば、リスクも無く他種族との争いも避けられるだろうと。その案を拒否して、エルさんは常に私を守り続けてくれていた……


 うえーん、と再び私が大泣きする。「どうしたんだ、こまった子だな」と、彼女が優しく笑った。


「だってエルさんが……エルさんが優しすぎてぇ……」


「クロを助けた事か? そんな大した事ではないよ。私達から見れば、人間族の命はあまりにも短い。私の十分の一の年月も生きていない、いたいけな少女が森で倒れているんだ。そんなはかなげな存在をどうして放置できる?……放っておけるわけが無いじゃないか」


 語尾ごびに、強い感情が見えた気がした。私への愛情が感じられて、その声に後押あとおしされて、私は一気に自分の気持ちをまくてる。


「ねぇ、エルさん。私には帰る場所が無いの。だから私をそばに置いて。一生を掛けて、私に恩を返させてください……下働したばたらきでも、何でもいいの。愛人だって構わない。エルさんの一番で無くてもいいから、どうか私に愛を返させてください」


 夜のやみに、言葉が吸い込まれていくようだった。たいするエルさんの反応は、何処どこか悲しげに思える。どうしたんだろうと考えていた私に、エルさんは話しかけた。


「……私だって、クロを傍に置きたいと思っている。だが、それは最早もはや、難しいんだ」


「……どういう意味?」


「明日の正午しょうごに、別の集落からおさが来るんだ。一種の遊戯ゆうぎという建前たてまえだが、好戦的な連中でな。その長が一対一で、木剣の試合を申し込んできている。毎日、クロと私が手合わせをしているようなルールだ。おさ同士どうしで戦って、負けた方の長は相手の集落にさらわれる」


「何それ! 意味が分からない!」


「私も分からないが、そういうものさ。強い者は弱い者から、ときに簡単に大切なものを奪っていく……それに、この集落も一枚岩では無いんだ。私がおさであり続ける事を望まない者も居る。そういう者からすれば、『これは良い機会』なんだろうな」


 エルさんが溜息ためいきをついて、「今まで、試合の事を黙っていて悪かった」とあやまってくる。「いいよ。私に心配を掛けたくなかったんでしょう?」と、一生懸命、私はエルさんの頭をでていた。そんな私にエルさんがつぶやく。


「私は、おそらく試合に勝てない。だがクロが幸せになれるよう、手配を済ませておいた。どうか私が居なくなっても、この世界で強く生きてくれ」

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