第12話 骨折り損



 落とし穴のような仕掛けの罠ではなかったが、罠だった。

 青ゴブリンの群れ。もろい印象をこちらに植え付け、足を進めれば敵の攻勢が弱まって、気が付けば奥へと誘い込まれている。


 そこにきて、倒してから進んだと思っていたモンスターが動き出す。

 どっと疲れを感じさせる展開。

 踏み込んだ探索者に対する罠。これがダンジョンというものか。


「戻るぞ!」

「仕方ないわね」

「……」


 モーリッツの指示に悔し気な気配が返された。

 苦労が無駄になるのは誰だって苛立つ。

 畑仕事だって、手間をかけてやったことが無駄になれば気が滅入った。八つ当たり気味に不機嫌になることも珍しくない。

 まして危険なダンジョン探索。命を懸けて無駄骨ではやっていられない。


 けれど、モーリッツの判断は正しい。

 ここで踏ん張ってもジリ貧。仮に全てのモンスターが動かなくなるまで叩き潰したとしても、その労力に見合うだけの結果が見込めるのか。

 それどころか一番大事な命を失うことになりかねない。

 挟み撃ちの形で襲ってくる敵に、苛立ちと疲れはさらにその脅威を増す。青ゴブリン相手に油断して死ぬことだってあるわけだ。


 状況を見誤った。だから一度引き返す。

 先に見た幻影は、この判断が遅れた為に散々な目に遭ったのではないか。

 一度退くのは順当なのだろうが、指示したモーリッツが続けて苦々しく呻いた。


「ここで出直しだとまるっきり赤字だぜくそったれ」

「……」


 赤字。

 探索に色々な道具を使っているわけで、その購入費は半端ではない。

 前にも言われたが、ルフスの借金程度は簡単に越える道具もある。

 赤字ということになれば、借金返済はさらに遠のいてしまうか。



「もうけが出ない道に続けていやらしいモンスターの配置。人の嫌がる構成してくれるじゃない」

「後ろに積んだゴブリンの数が多い」


 安全確保のつもりで、出入り口近くに多くのゴブリンを転がしていた。

 回り込もうとしても仲間の死体に足を取られる。そんな風に。

 瀕死、もしくは完全に死んだと思ったそれらが動き出して再び襲ってくる。

 やったことが裏目に出るというか、本当にいやらしい構造だ。


「知ってりゃ他のやりようもあるってのによ。ジエゴ!」

「前の方は任せたわよ。アイヴァン、周りをお願い」

「おう」


 毒づいていても状況がよくなるわけでもない。

 モーリッツは前方から迫ってくる新たな群れを迎え撃つ。

 いつもより力を込められたこん棒が先頭のゴブリンの腹を捉え、そのまま横の数体を一緒に薙ぎ払った。


 アイヴァンの鉄盾が、後ろから寄ってくる半壊したゴブリンの体を思い切り吹っ飛ばす。

 苛立ちで力加減が出来ないのかと思ったがそうではない。

 すぐさま逆方向、ジエゴに迫る敵に右手の手甲を構えて体ごと突撃した。


「ぶびゅぇっ」

「うぃぃ!」


 変な悲鳴を上げながら吹き飛ばされるゴブリンども。

 アイヴァンが作ってくれた余裕で、ジエゴは自分の水筒に白っぽい塊を入れて高く掲げた。そのまま頭上で振り回す。



「あぐりと祈らば天空そらが下すは己が血のみ。透いる自恃ベッラヴェネウム


 聖句を唱えながら水筒を振れば、溢れてくる水が周囲にまき散らされる。

 ルフスにもかかるし、寄ってくるモンスターにも。


「わっ」

「簡易な聖水だ。ゾンビ相手ならば――」


 水がかかるのを嫌がったルフスにアイヴァンが説明をくれた。

 人間に害はない。ただこのゴブリンゾンビに対しては特別な効果がある。

 そう言いたかったのだろうと理解は後で追いついてきた。


 アイヴァンの足にゴブリンが食らいついたより後で。


「うぐぁぁっ!」

「なんなのっ!?」



 ジエゴが聖水を振りまいたから、という心の隙間。

 モンスターの動きが弱まるとかゾンビが浄化されるとか、そうなるはずだった。

 なのに、聖水をかけられたゴブリンがなんの反応も示さず襲ってきた。ルフスに説明しようとしたアイヴァンに。

 小柄なゴブリンで、片腕が千切れかけていて変なバランス。ただ後ろ脚で飛びかかってアイヴァンの足に食らいついた。


「く、そっ!」

「ぶぃぃ」


 無理やり引きはがすアイヴァンだが、腿の当たりの肉が食い千切られる。

 噛みつく力は強い。それが青ゴブリンの最大の武器なのだから。


「聖水が効かない?」

「あぁっ? っておいアイヴァン!」

「平気……だ」

「なわけない、でしょっ!」


 モーリッツもジエゴも、まだ襲ってくる他のゴブリンを殴り飛ばしながら、アイヴァンのフォローまではできない。

 膝を着いたまま、飛びかかってきたゴブリンを盾で受けるアイヴァン。その額に一気に汗が拭きあがった。


「うあぁぁぁ!」


 見ているわけにもいかない。

 何か考えたわけではないがとにかく必死だった。

 いつの間にか荷物を下ろして、木盾を体に密着させるくらいぎゅっと握り込みながら突進した。


「やめろこの野郎!」

「ギュエッ」


 アイヴァンの盾にへばりついたゴブリンを叩き落す。

 転がったその矮躯わいくを蹴飛ばして、反対から飛びかかってきたゴブリンにまた木盾で突撃した。

 敵の攻撃は単調。真っ直ぐ。工夫がないからルフスでも対応できる。


「ルフス!」

「アイヴァンを! 治して!」


 次々に襲ってくる青ゴブリンだが、武器を持っているわけではない。

 まがりなりにも盾を構えていれば貫かれたりはしない。

 ゴブリンの体格が小さいこともあって、正面衝突すれば相手の方が吹っ飛ぶ。


「わかったわ!」

「すまん」

「大したもんだぜルフスよぉ! はっ!」


 言いながらモーリッツは二体、三体とゴブリンを打ち払った。

 ジエゴが癒しの奇跡を唱え、アイヴァンが痛みのせいかくぐもった声で呻く。

 ルフスは振り返り、また突っ込んできたゴブリンにぶつかった。

 衝撃で木盾が中ほどで折れた。


「くっこのっ」

「十分よ、荷物持ちクン」


 弾き返せなかったゴブリンをどうするか迷ったルフスに、奇跡の詠唱を終えたジエゴの声が弾んだ。

 救いあげるようなスイングでメイスを振ると、吹き飛んだゴブリンは石柱にぶつかって落ちた。

 岩に巻き付いていた花が一緒に潰れて散る。



「壊れた盾じゃ危ないから下がんなさい。助かったわよ」

「あぁ」


 後ろからアイヴァンの声。

 まだ痛むのか、けれどちゃんと両足で踏ん張るように立ってジエゴと逆方向に鉄盾を構え直した。

 とりあえず態勢は整え直した。ジエゴの言う通り、折れた木盾でこれ以上何ができるわけでもない。


 ただ、アイヴァンの足は万全ではなさそうで、すぐさま撤退というわけにもいかなさそう。

 敵の数は、減っているのか増えているのか。

 まだ死体の山になっているところも見え――



「……?」


 三人に囲われ守られる場所で、周囲を見回して気が付いた。

 瀕死よりひどい状態で襲ってくるゴブリンとは別に、動かない山がある。

 入ってきた方向の斜め前。今いる場所からみると斜め後ろ側。その方向だけ動くゴブリンが少ない。死体のまま。


「いや……ゾンビじゃない、のか」

「そうかもね! だったらなんなのかって聞かれてもわからないけどっ!」


 聖水の奇跡が効果がなかった。

 アンデッドとかそういう類ではない。

 明らかに致命傷を負ったゴブリンもいたけれど、まだ息があったのではないか。


 大怪我、致命傷でも構わずに動いて襲ってくる。

 まるでゾンビのようだけれど、ゾンビではない。

 生きたまま……利用されているみたいに。奴隷みたいに。


「あの柱のところは――」



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