第2話 ブリーフィング



「あっはっは! 美人にゴミって言われて感じちゃったかぁ」

「ちが……げほっげほっ」

「わかるって、あの銀縁眼鏡ね。ササトーシュの回収屋じゃ有名だよあの子」


 爆笑と共に背中を叩かれ咳き込んだ。

 久しぶりに食ったまともな食事を吐き出したらもったいない。胸を押さえて首を振るが、パーティリーダーのモーリッツはわかっていると言うように大きく頷いた。

 飲み物の酒精が強かったらしい。言わなくていいことまで喋ってしまった気がする。


 実際、たいそうな美人だった。

 白金色の真っ直ぐな髪。鋭い印象の切れ長の瞳に丸い銀縁眼鏡。

 染みひとつない肌は透き通るようで、淡く色付いた唇は潤いを帯びたまま淡々と言葉を紡いでいた。

 眼鏡をくいっと上げていた指も印象深い。

 ルフスの知る村娘のごつごつした荒れた手と違い、すらりと細く滑らかな指先。


 若く健康なルフスとすれば、こんな美女と仲良くなってエッチなことをしたいと思ったのも事実だ。

 冷酷な性格を知った今ではだいぶ萎えた。消え去ったとは言わない。




 数日前、回収屋の銀縁眼鏡が提示したダンジョンは三つ。世界中に数多のダンジョンがあるわけだが、近場で選べるところという範囲で。


 ルフスでも聞いたことがある有名な大迷宮。エルシラ地下宮。

 ハーディソンのほとりと呼ばれている近年発生したダンジョン。

 逆に、古くからあるけれど訪れる者が少ないらしい古迷宮マフカンタック。


 有名な場所には引け目を感じたし、古く人気のないダンジョンと言うのもあまり良い感じがしない。

 最近見つかったと言うのなら、その分だけチャンスも大きいのではないか。そう考えて『ハーディソンのほとり』を選んだ。


 王都ササトーシュから歩いて五日半ほどの町ハーディソン。

 奴隷なのか奴隷候補なのかわからない人々と一緒に、回収屋に連行されてきた。ついでのように荷車を引かされて。

 借金の回収と合わせて色々な商売をしているらしい。

 同行監督してきたのは銀縁眼鏡の美女ではなく、屈強な体格の戦士風の男と小太りなおっさん。道中だって危険を伴うのだから当然か。


 町に到着してルフスが引き合わされたのは、モーリッツという男が率いるパーティだった。



「若いもんな、ルフス。十六だっけ?」

「そう、だけど」

「俺の半分かぁ。年寄りになった気分がするぜ」

「もう三十四になったはずだ、モーリッツ」

「細けえってアイヴァン。だいたい半分ってことでいいだろ」


 適当な換算をしたモーリッツに突っ込みを入れたアイヴァンが、咳き込んで涙目だったルフスのコップに水を注いでくれる。

 今度は酒ではない。気を遣ってもらったのだろう。一息に飲み下すと少し腹が落ち着いた。


「ありがとう、ございます」

「悪かったな。成人して間もないなら飲み慣れていないだろう」

「俺がこのくらいの時には――」

「その物言いが年寄りくさいのよ」


 労る言葉をくれたアイヴァンに反論しかけたモーリッツだったが、三つの食器を器用に持ってきた男が卓に並べて割り込んだ。

 三人目の仲間。ジエゴ。

 ルフスの前に出された皿には、香ばしい匂いを立てる骨付き肉。


「あんさん若いんだから、もっと肉食いなさい。ほらほら」

「俺だってまだまだいけるぜ」

「リーダーは粥がほしいって言ったんじゃないの」

「おぉ、さんきゅ……けどなんか年寄っぽいなぁ」

「食いたいものを食えばいい」


 下らないことで悩むモーリッツを軽い調子でいなすジエゴ。呆れた様子のアイヴァン。

 ダンジョン選択の結果、俺が身を寄せることになったパーティメンバー。皆が三十代男。

 オネエっぽい喋り方をするジエゴが年長で三十六だとか。


 一度のダンジョン探索には早くても十日はかかる。数十日、半年、一年とかけるパーティもあるらしい。

 出発前に町で最後のメシだから遠慮するなと大衆食堂に連れてきてもらった。

 危険な旅をするにはお互いを知ってなきゃいけない。お互いを知るにはメシ食って話すのが一番だと。

 借金を抱えたルフスにはとてもありがたい提案。これも気を遣われたのかもしれない。



「あいつ……ヨナタンも銀縁眼鏡ちゃんの紹介だったっけか?」

「忘れっぽいのはやっぱり年のせい? 銀縁眼鏡ちゃんが連れてきたでしょうが」


 誰のことだろうか。

 ルフスの顔を見たアイヴァンが軽く頷いて、


「お前の前の荷物持ちだ。少し前に借金を返し終わった」

「そうなんだ……へぇ」


 すぐに疑問は解消。

 ルフスの境遇と同じ人間が借金を完済したことを知る。

 それと同時に、彼らが人手を募集していた理由も。


「前に潜ってたダンジョンも行ける範囲はだいたい探索して行き詰っていたからな。新しい荷物持ち募集のついでに場所を変えることにしたってわけだぜ」


 何度も同じ場所に行っても仕方がない。

 ハーディソンのほとりを新しい目的地として、人員の補充にルフスがあてがわれた。

 そんな経緯だったらしい。

 借金の回収屋として働く銀縁眼鏡は、こうした人員手配を以前からやっているのだろう。



「……」


 改めて、楽し気に飯を食うモーリッツ達を眺める。

 ルフスも探索者への憧れたことがあった。

 家の跡取りでない男子はよく探索者を夢見るものだ。


 ルフスは兄に何かあった時の代役として――あるいは農作業の人員として育ってきた。

 銀縁眼鏡にも言ったが、そのまま家に残っても労働力として一生を終えることになる。


 ルフスに限らず多くの場合、嫡子でない者は私的財産を持てない。

 当然、結婚もできない。

 好いた相手と結ばれて幸せに、なんて未来に希望を抱いてもむなしいだけ。ただ労働力として日々を過ごし老いていく。


 高い教養もなければ芸術的な才能があるわけでもない人間が、もしダンジョン探索者になったらと夢想する。

 華やかで贅沢な暮らしができるんじゃないかと。

 成功すれば、野暮ったい地味な村娘なんかじゃなくて、指の先まで絹のような肌のお嬢様を抱くことも叶うかも。



 モーリッツ達の様子を見れば、夢見たことも間違いではない。

 今食べてる食事にしても、ルフスはこんな風に支払いを気にせず飲み食いできたことはない。そもそも外食など贅沢できるのは金があればこそ。

 腕っぷしに自信があれば兵士から成り上がる例もあるかもしれないが、誰かに命令されるわけではない探索者の方が望ましい。

 そうして死んでいく人間も少なくない。


 家を出る際に少しだけ考えたのだ。

 商売をするのとダンジョン探索者を目指すのと。

 何も知らない上に命の危険が多い探索者よりも、村に出入りの商人から聞いた商売をすることを選んだ。

 農村で仕入れた食料を町でもっと高く売るだけだから難しい話じゃない。そんな言葉を頼りに。



「でもさ。ハーディソンのほとりだって、他の探索者が先にお宝回収しちゃってるんじゃない?」

「ははっ! 普通はそう思うよなぁ、あははっ」

「笑うことはないでしょリーダー」


 ルフスの質問に、酔いも回って大笑いするモーリッツといさめるジエゴ。

 ずっと疑問だったのだが。何か変なことを言っただろうか。


「ダンジョンは普通の場所とは違う」


 二人をよそに、アイヴァンが低い声で教えてくれる。


「神の恩寵、悪ふざけ。遊戯盤」

「?」

「ダンジョン内で他の探索者と出くわすことは普通ない。絶対ではないんだが、同じ日に入ったとしても……神の見ている夢の中と言う説もあったな」


 同じダンジョンに同じ日に入っても、他の探索者と鉢合わせしない?

 入るたびに構造が変わる……とか?

 だとすると、前のダンジョンを探索し尽くしたというさっきの話と噛み合わない気がする。


「実際に入ってみなければわからないだろう。詳しい話はそれからだ」


 不思議な力を持つ秘宝などをもたらすダンジョン。

 同時に、地上にはいない危険なモンスターが徘徊する場所でもある。

 人知の及ばない神の何かしらの意図や、アイヴァンが言ったように悪ふざけみたいな悪意があるのかもしれない。



「まあ今回は初探索だ。様子見で無理はしない。俺らは星付きステルラじゃないからな」


 星付き。ステルラ。

 探索者の中でも特に優れた、人間の限界を超えた戦士。選ばれた英雄。

 そうした異常な才能があるわけではないのだから無理はしない。アイヴァンの言うことは正しい。


 けれど。


 ――ルフス、あなたに三つのチャンスを与えましょう。


 夢で聞いた女神の言葉。

 それを信じて商売を始めたけれど失敗した。

 だが、結果としてダンジョン探索に向かうことになったとすれば、もしかして。


(俺にはダンジョン探索者の才能があるのかも……)


 これこそ神の導きなのかもしれない。

 借金を返して余りある結果を出せば、あの銀縁眼鏡を見返してやることもできる。名前も聞けなかったけれど。

 伝説級の秘宝を手にして帰れば彼女の見る目も変わるはず。


「心配することはないぜ、ルフス」


 骨付き肉を手にしたまま考えてしまったルフスにモーリッツが声をかけるが、心配しているわけではない。

 頷いて、肉にかぶりついた。


「ああ、大丈夫」


 これから始まる冒険はルフスの人生を最高に彩ってくれるに違いない。

 商売を始めた時も同じように考えたことを、ルフスはすっかり忘れて笑った。



    ◆   ◇   ◆

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