第27話

 ハーフタイムに入ると、また小海が頭を小刻みに動かした。卓の監督席から二人の後ろ頭が見えるのだが、小海の見慣れない動きが気になる。


「小海、どうしたんだ?」


「……ん、おっさん。なんでも……ゴホッゴホッ!」


 体を揺らすと、小海はマイクを手で覆って音を消す。

 前半の守備のときも、咳の音が聞こえないように隠していたのだと卓は気付いた。


「お前、もしかして体調が悪いんじゃないか?」


「ええっ! そういえば……耳が赤いような……⁉」愛華がヘッドセットを外して席を降りると、小海の額に手を当ようとする。


「大丈夫だから」と手を払おうとするが、愛華も強引なところがあり、片手で後頭部を固定して逃がさないようにすると、小海は諦めたようだ。


 愛華は卓と目を合わせて頭を振った。


「熱があります、どうしましょう」小海のマイクから愛華の声が聞こえる。


「やるに決まってるでしょ。……さぁ、こんな会話してないで、後半どうするか決めないと」小海は語気を強めた。


 卓が目で合図すると、狼狽える愛華は自分の席に戻っていった。


 そうこうしているうちに、後半戦のキックオフがコールされる。

 一閃のキックから始まった。


 卓は淡い期待を抱いていた。

 ハーフタイムで戦法を練り直し、一点を守るような方針に変えてくれることを。

 しかしその期待は終ぞ消えた――敵のミッドフィルダーがドリブルで上がると、一気に守備ラインも上がる。サッカーフィールドのハーフウェイラインまで進行する異常な戦法。

 戦法を変えなかった浜入チームとは明らかに違う。

 相手が嫌がっていることを理解しており、最善の戦法という自負が、ハーフタイム中の腰を据えて堂々としているアイノの態度からも垣間見えた。


 卓はペナルティエリア前へオフェンスのセンターを守備として配置する。ただしオフェンスエース8番と攪乱用のサイド11番だけは敵の陣地に置いた。

 敵が『攻撃こそ最大の防御』とするならば、その諸刃の剣を逆手にとるしかない。ボールをカットできれば、確実に一点を取る算段だ。


 愛華がセンターを操作してアタッカーになりつつ、卓はペナルティエリア内のディフェンダーをピンを打って調整する。そして小海はパスラインをつぶすように、頻繁に選手を切り替え、ペナルティエリア内への進入路を塞いだ。


 目を離すまいと、視線だけは画面にくぎ付けにして、小海は背中を押し出すようにまた咳をする。


「大丈夫か、小海」卓は心配そうにつぶやくと「おっさん! 今集中してんだから!!」と小海が喚いた。


 愛華がちらりと小海を不安そうに見る。


「サイドの11番も守備に回しましょう」センターから敵陣地のウイングに居る11番に切り替えた。


「愛華! だめ!」小海はなおも画面から目を離さず、眉をしかめる。


「私、風邪で負けたなんて、自分に言い訳したくないの……!」


 哀れんで背を丸めていた愛華もコクリと頷き、背筋を伸ばした。「了解!」



 たしかに今の守備で守り切らないといけない。卓は冷静になって考えていた。


 数が劣るなかで鉄壁の防衛ラインを築くことは不可能なのだ。ゴールに近い場所でリスクを持ちながらも、守るしかない――しかしそれは、一閃も同じリスクを抱えている。

 不利な試合ではない。追い詰められているようだが、実際はそんなことはないのだ。

 将棋では初めの形が『良』とされる。一手一手打つたびに、少しづつ形はくずれ、敵の攻め入る思考の隙をつくっていく。

 一閃は基本的な形を大きく変えている。決してこれは『良』という陣形ではない。


 卓はボールを持つ敵の選手に合わせて、想定した攻めのラインを頭の中で描いた。少しずつコツを掴みかけている。

 いくつかのラインを中継する選手のスタミナを合計し、ライン上の守備選手のパワーが下回らないようにする。

 攻め上がる際のスタミナ減少などは考慮しない。細かい計算は間に合わないので省いた。



 一閃がボールをパスすれば、竜王チームの守備が目まぐるしく配置を変える。

 攻めきれない一閃のオフェンスは、ペナルティエリアまで強引に入ると、シュートを放った。

 ボールはゴール枠をとらえきれず、大きく後方に飛んで行く。


「愛華ちゃん! 速攻だよ!」卓が叫ぶと、小海が後半初めて、画面から愛華に目移りした。


「カウンターですね!」愛華は8番に切り替える。


 一閃の守備ラインは全速力で後方に戻るが、ゴールキーパーはクイックスタートで間断なく愛華にパスをすると、もはや独走状態になりゴールに迫る。

 サイドの11番もペナルティエリア内に入り、詰め寄ると、ゴールキーパーをサイドから挟んだ。

 ゴールキーパーは棒立ちになったまま、最後は8番がシュート。


「ゴーーーーーーール!! 竜王1点返した!」


 愛華は生き返ったかのように大きく息をした。呼吸を忘れるほど集中していた。

 後半戦の中盤、竜王は1点を入れ1-1の同点となった。

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