第21話

 スーツケースを抱えながら駅の階段を下りて、タクシーをつかまえると、3つもあるスーツケースをトランクに2つ、後部座席に1つ載せる。卓はそれとは別に自分用の大きなリュックを抱えて、運転席の後ろに乗り込んだ。

 助手席には愛華、その後ろには小海が乗る。スーツケースの3つのうち2つは二人の衣装だ。移動中はスーツケースの管理が大変だった。衣装はレンタルで、髪飾りなど壊れやすいものも入っていると小海から注意されると、階段でも手で持ち上げて降りなければならず、卓は今のうちに筋肉痛にならないよう腕を揉みほぐした。


 タクシーは緩やかな坂を進むとヨーロッパ風のホテルが見えてきた。

 ロータリーに入りタクシーのトランクから荷物を降ろしていると、真っ赤なスポーツカーが爆音を鳴らして、ロータリーに入りこむ。

 スピードを落とさず、タクシーの後ろに突っ込むように前進してくると、タクシーとスポーツカーの間に挟まれるのではないかと、荷物を降ろしている卓と愛華は肝を冷やした。

 車はブレーキ音を鳴らして急停車した。

 卓はプレーリードッグのように固まり、丸い目で赤い車から降りてくる男を追う。長身のスーツの男は、サングラスを取るとホテルマンに鍵を投げてエントランスに消えて行く。「なんなのアイツ!」と小海はスーツケースを片手に、恨みのこもった眼差しを向けた。



 ロビーに入ると、吹き抜けの天井から光が差し込み、フロアー全体を柔らかく彩っている。見上げると海外の教会で拝むようなステンドグラスが張り巡らされ、大海を進む船の人々が描かれていた。

 中央には水槽に囲まれたバーがあり、日中は締まっているようだが、カウンター横にあるピアノが自動演奏をしている。


「わぁーお」と愛華は外国人風にリアクションをすると「私、こんな豪華なホテル初めて!」と小海とはしゃいで撮影会が始まる。


 卓たちは大会出場が決まり、前泊のために豪華なホテルを主催者側が用意したのだった。交通費も宿泊費もすべて主催者のアシアーが持つことになっている。

 愛華の父・店長にも出発前に話をしており、店長としては店を休むこともできず、ゲーム大会にわざわざついて行く気もなかったようだ。「申し訳ないが、愛華をよろしくお願いします」と店長はパートの控室で頭を下げていた。


 卓は黒の大理石で作られたフロントに向かった。


北々きたぎた卓様ですね、3部屋を用意しています」


 フロントのスタッフは電子キーを三つ渡すと、食事の説明などをする。


「あと、北々様。こちらをお預かりしております」と封筒を卓に渡した。


 チェックインを終えるとポーターが荷物を部屋まで運んでくれる。やっとスーツケース地獄から解放されて、腕力のない卓は安堵の溜息をつく。


 三人の部屋は並ぶように取られており、部屋に入ると卓は驚きの声をあげた。一人部屋だというのにリビングと寝室が分かれて、サロンのようなテラスまでついている。ボタンを押して、ブラインドを上げると、およそ60階下のビルがジオラマのように視界いっぱいに広がった。窓際に立って眺めると、気分が晴れ晴れとして疲れが吹き飛ぶ。


 卓はリビングソファーに腰かけ、さきほど受け取った封筒を開封した。

 一枚の紙とカードが3枚入っている。紙には、卓たちを歓迎する一文と、本日ホテル内のコンベンションルームで説明があるので、集合してほしいという内容だった。


 卓は小海と愛華に声を掛けて、コンベンションルームに向かい鉄扉のドアを開けると、思っていた以上の広さに目が点になる。

 全然、『ルーム』のレベルじゃない、まるで披露宴や、舞台稽古でもできそうな広さで、実際に片方の壁一面が鏡になっている。卓は部屋を見渡すと、中央に長机とパイプ椅子がいくつかおいてあり、ホテルに来て久しぶりに見慣れた物品をみて妙に安心した。


 長机の横にスーツ姿の女性が立っている。長いウェーブのかかった髪を首辺りで留めて、深緑のインナーと茶色の靴を履いていた。年齢は卓より少し若いぐらいで三十後半に見える。


「こんにちは、アシアー社の繋鳥けいちょう怜美です。竜王チームの方ですよね?」


 繋鳥と名乗った女性は「こちらへ」と言って三人を中央のイスに案内した。


「長旅、お疲れさまでした!」繋鳥は笑顔を見せると頭を下げ、三人ともそれに続いて頭を下げた。


「私、アシアー社の広報を担当しておりまして、大会出場にあたり、竜王チームの皆様のサポートをさせていただきます。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」卓は丁寧に頭を下げると、小海と愛華も「よろしくお願いします」と頭を下げた。


「分からないことがありましたら、何でも私に聞いてください」


 繋鳥はあらかじめ卓から郵送された書類をカバンから出し、机に広げ、プロ契約の話をする。


「今大会は、優勝者に一千万円の賞金が贈られます。優勝した時点で、プロ契約を結んでいただきたいと思いますが、仮に契約を結ばない場合は、賞金を受け取ることはできません。ちなみに、代表のどなたかが一人だけ契約をして受け取る形でも問題ありません」


 卓は事前にプロ契約についての資料に目を通していた。

 プロ契約後は、一年間に何十試合かの出場もしくはオンラインによる参加をしなければいけない。棋士であった卓は、「その部分」については当たり前だと考えていた。

 しかし、仕事内容に「写真撮影」「対面のインタビュー」「テレビ・ラジオ・ネット番組の収録」が記載されていることを発見して、少し気にはなった。ただ賞金のことを考えると悩むほどではない。

 

「それと、明日の大会の段取りについて、打ち合わせをしたいと思います」


 繋鳥は慣れた様子で、舞台の鳥瞰図を広げ待機場所や入場位置、タイミングを説明した。


「それでは、もし分からないことがありましたら、こちらに連絡をください」


 一通り説明を終えると、三人は繋鳥を名刺を受け取り、部屋を出る。

 すると出入り口の向かいに、壁にもたれかかった長身の男が立っていて、出てきた三人と目が合った。

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