第10話
スポットライトや音楽が消え、実況アナが締めくくると、卓は三人が降りた舞台袖に向かった。
遠目からでも三人のギスギスした雰囲気が伝わってくる。
愛華は小海の彼氏を責めていた。今にも胸倉をつかみそうな勢いで、彼氏の前に仁王立ちしている。
小海は試合前と違って、うつむいて二人の喧嘩の仲裁に入る意思はないようだった。
すると、彼氏が愛華の胸元を掴み、地面を殴るように腕を下げる。愛華の赤いウィッグが弧をかいて床に落ち、体が弾かれるようにコンクリートを転がった。
急いで卓が駆けつけたが、愛華の白い制服のボタンが取れ、露わになったブラジャーの上あたりに赤い傷跡がついている。
さっと、愛華はその胸を隠した。彼氏の右手にはメリケンサックが装着されていたため、それが引っかかり傷ができたようだった。
「こらっ! おまえは……何をやってんだ!!」と卓が彼氏に手を出そうとした瞬間、小海のツインテールが卓の顔に当たる。
思いっきり小海が彼氏の顎を突き上げるようにアッパーカットをした。
男はふらついて、舞台袖の照明機材に頭をぶつける。小海は振り上げた拳を痛めたようで、片方の手で撫でた。
「愛華に手を出すなんて信じられない」
ふらつく青年を尻目に、小海は愛華のもとに駆け寄り、必死に謝った。
愛華は笑顔で立ち上がる。
「大丈夫、へいきだから。ちょっと、ひっかいただけ」
卓は着ていた上着で愛華のボタンがとれた部分を隠す。
「……ごめんなさぁい。愛華、嫌がっていたのに。私が悪いの……」
小海は大粒の涙をこぼし、灰色のコンクリートを黒く染めた。
小海が六歳の時、小学校に行けなくなったときのことを卓はふと思い出した。
一人で行けない、と駄々をこねていた小海を厳しい口調で家から追い出した、あのときから変わっていないような気がして、卓は小海の頭を優しくなでる。
愛華と小海は服を着替えて会場を後にした。
帰りに卓たちはドラッグストアに立ちより、傷の手当用品を愛華に買ってあげ、防犯ブザーを二人に手渡した。
「念のために。あいつが仕返しするかもしれない。二人とも、ここしばらくは十分気をつけるんだよ」
あまり怖がらせるのもよくないと卓は思っていたが、もしかしたら今日にでも馬鹿な行動を起こすかもしれない。そうなってからでは遅いと考え、後悔しないようにした。
家に帰って、ほっと落ち着けるのかと卓は思っていたが、全くの逆だ。
イスに座っていても、テレビを見ていても、何かしていてもそわそわし始める。
卓は悔しかった。
勝てる相手に負けた小海や愛華が、不憫でしょうがなく、そして参加できなかったことが悔しい。
意味もなく、玄関とリビングを行ったり来たりしている自分に気づいて、落ち着かないと、と自戒する。
しかしいつの間にか、小海の部屋の戸を叩いていた。
鍵が開いて、小海が顔を出す。
「おっさん、どうしたの?」そのそっけない顔に、卓は内から込み上げてくるものを抑えるのに苦しむ。
「小海、今日の試合どう思った?」
「どうって、……最悪だよ」
「悔しくないんか」
「……え、悔しいっていうか……」小海の返事を待たずに、卓はついに込み上げてくる何かを抑えられなくなった。
「俺は、めちゃくちゃ悔しい。あんな小学生にやりたい放題にされて、あんな大舞台でコケにされて」
卓の脳裏に、将棋で負けた後の控室で壁を拳でぶち抜いた時の光景がよぎり、大きく息を吸う。
「わ、わたしだって悔しいよ! だって、SNSでめっちゃコケにされてんだよ! ないこと書かれてさ、ファン増やすための売名行為だとかプチ炎上してさ!」
「そうか」と卓は身を引いた。「すまん」と言って部屋の戸を閉める。
卓はとりあえず、小海の気持ちを聞いて少し安心する。
たかがゲームだ。こんなことをやっている場合じゃない。
しかしその夜、卓はうなされてほとんど寝れなかった。
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