第8話

 平日の夕方、卓は背広姿でバスに揺られ、自宅に一番近いバス停で降りた。

 事務職の採用の面接を受けた帰りだった。


 臨時採用で二社と面接を受けたが、どちらもかんばしくない。


 採用担当者の口からは将棋の話が出るだけで、採用の話になると眉間に皺を寄せて「厳しい」「難しいかもしれない」と必ず付け加える。事務職はほとんどが女性で、しかも経験がない中年男性など会社のお荷物になるのではと思われている。


 やはり契約社員か人材派遣か。

 家までの帰り道、ずっとそのことを考えていた。


 早く帰ったので夕食の準備をしながら、パソコンをつけて転職情報を見ていると、さきほど面接を受けた会社からメールが来ていた。

 中身を見ると本文に「誠に残念ではありますが……」の文字。


 今日の今日に不採用通知をだすなんて……。

 卓は菜箸をもったままパソコンの前で固まった。


***


 平日は転職活動にいそしみ、休日になると家の掃除などをした。

 部屋が片付き、随分と広く明るく感じる。本当は小海の部屋も掃除をしたかった卓だが、掃除程度の理由で入ると怒りをぶつけられることを恐れ尻込みする。掃除機をかけるようにと、朝食のときに小海に伝える程度にした。

 最近の小海は朝食に顔を出すことが多かった。相変わらずスマホを見ながらの食事で行儀は悪いが、食卓を囲むことで少しずつ会話の機会が増えていったのだった。


 

 休日の朝、卓は寝ている美沙に声をかける。

 美沙は基本的に夜食しか食べない。夜といっても未明に近い時間帯で、朝になると台所には洗い物が置かれていることから、卓が用意していた夕食を食べているようだった。


「今日はちょっと外に行ってくる。夕方には夕食を買って帰る」


 美沙からは何も返事はなかった。

 



 卓は家を出て駅に着くと、電車で国際フォーラム展示場に向かう。


 ――美沙には、今までも散々迷惑をかけてきた。

 プロ棋士であっても収入は少ない。本職を別にもって、副業として将棋をやっているプロ棋士がほとんどだった。

 美沙に甘えていたと言えばそのとおりだが、新人王戦の決勝まで昇りつめたおごりがあった。

 タイトル戦でも、ずっと優勝はできなかったが、手が届きそうな距離にはいる。

 しかしその距離は、努力して縮めることのできない、近いようで遥かに遠い距離――もう過去のことだ、やめよう。

 卓は流れて消えて行く車窓のビル群に目をやった。



 国際フォーラム展示場に着き、広場で指定された女神の石像に寄りかかる。

 昨日の朝、小海から待合場所を告げられていたのだった。


 展示場は来場者の雑踏と熱気で満たされ、広場から巨大な建物のエントランスに入っていく人もいれば、広場で写真撮影をしている集団もあちこちに見える。

 エントランスの左右には幅五メートル、高さ十メートルほどの大きな垂れ幕が設置され、ゲームショウの文字と、イメージキャラクターのような青い髪の少女が大々的に描かれている。

 これほど大きな大会だと思っておらず、卓は人々の賑わいに圧倒されていた。


 スカーレットに染めた長髪の女性が卓に近づく。


「小海ちゃんのお父さん」

「えっ⁉」


 卓はその女性の瞳をみて、愛華だとやっと気づいた。


「……愛華ちゃん? その髪どうしたの⁉」


「これ、地毛じゃないんです。ウイッグ……カツラなんですよ」と言って頭頂部をおさえた。


 愛華は髪だけではなく、服も白を基調とした海兵隊の制服をきていた。スカートは短めで膝より上に裾がある。

 白のハイソックスと白のスニーカーを履いていて肌も白に近いため、照り返しの強さに卓はまぶしくて細部に目をやれない。

 中学の時から愛華は地味な服で遊びに来ることが多かった。

 首まで隠れるセーターや、夏場でも露出の少ないワントーンカラーの襟付きシャツとズボンを着ていた。

 そのギャップに卓の心臓は否応なしに鼓動を早める。


「小海ちゃん、あそこに来てますから、声かけて中に入りましょう」


 愛華が指さす先に、見覚えのあるツインテールが黒山の間からちらっと見えた。

 卓は人だかりに近づくと、同心円状に拡がるカメラマンの中心に小海の姿がある。

 小海は広場に敷いたマットの上で体育座りをしたり、寝そべったりしている。


「小海はコスプレして、何をやってるんだ?」


「小海ちゃんはコスプレイヤーでけっこう人気があるんですよ」


 小海がコスプレイヤーであることは知っていたが、これほどの人がわざわざ写真を撮るとは思っていなかった。

 自分の娘だと思うと、恥ずかしくなり、怖くもなってくる。

 変な奴に絡まれたりストーカーにあったりしないのか。周囲の男たちを見ていくと、不安は募る。

 小海に注意をしても逆ギレされるのだろうが、ゲームショウとやらが終わればちゃんと言っておこうと卓は思った。


 愛華が小海に手を振ると、それに気づいた小海は周囲に礼をする。あっという間にカメラマンたちは散り散りになり、小海を開放した。


「小海ちゃん、これ、ちゃんと撮ったからね」


 愛華は小海にスマホを渡すと、笑顔で受け取った。


「ありがとー!」と小海はスマホを愛華と一緒に見ながら、二人で歩いていく。


 卓は二人を追うように、音楽が鳴り響く『ゲームショウ』会場に入る。


 するとすぐに二人の足が止まり、その横から小海の彼氏が近づいてきた。

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