第70話 付き合っていないのだから①

「東雲君、めちゃくちゃこめかみに青筋立ってるけど大丈夫?」


 お昼ご飯に夜見さんの美味しいお弁当を食べ終わって自席で次の授業の準備をしている俺に声を掛けたのは暮方さんだった。


 大丈夫かと言われれば大丈夫ではない。昨夜の天国のような心地の耳掃除の後にベッドで夜見さんに密着されるというアクシデントがあったからだ。夜見さんに密着された俺はここで手を出しては絶対にダメだという鋼の理性を以てして、その体勢のまま夜見さんが再び寝返りをうって俺から離れるのをじっと待った。


 最初は三十分もすれば夜見さんが寝返りをうってくれるだろうと思っていたのだが、一向にその気配はなく、すーすーという寝息だけが聞こえてくる。


 夜見さんから伝わってくる体温、寝息、尻尾の感触など全てが俺の理性のATフィールドを打ち破るべく波状攻撃を掛けてくる。


 くぅぅぅっと歯を食いしばって小刻みに震えながら、天国と地獄を彷徨いながら必死に耐えて耐えて耐え続けた。


 そして、どのくらい時間が経ったかわからないけど、俺は我慢と忍耐の限界を迎えていつしか気絶するように眠ってしまった。


 次に気が付いたのは目覚ましのスマホのアラームが鳴った時でいつもよりぐったりと重い身体を起こすともうベッドには夜見さんはいなかった。いつも俺より少し早く起きているようなので今日もそうなのだろう。


 俺が気絶するようにして眠ってしまった後に夜見さんが寝返りをうっていつものところに戻ったのかはわからない。だけど、夜見さんが起きた時に悲鳴をあげていないようなので、とりあえず、俺の評価は下がっていないようだ。


 こんなことが昨夜というか今日の朝方にあったので俺は絶賛寝不足であり、疲労困憊でもある。


「昨日の夜はなかなか寝付けなくて、ちょっと寝不足なんだ」

「ちょっと寝不足って感じの顔じゃないようだけど……、そういえば、今日は美月もなんだか眠そうな雰囲気だったような……、まさか、まさかだったりする?」


 口に手を当ててはっとしたような表情をしたかと思ったら次の瞬間にはニヤニヤした表情になった。いつもならここで夜見さんが暮方さんを静止するところだが、夜見さんは本日日直で、午後の授業の準備のため先生に呼ばれていてここにはいない。


 それにしても暮方さんの観察眼と察し能力高すぎでしょ。半分くらい当たりと言っていい。でも、夜見さんが眠そうに見えたのは昨夜の耳掃除でいつもより寝るのが少し遅くなったからだと思う。


「暮方さんが何を想像しているかわからないけど、俺と夜見さんはそんなんじゃないから」

「そんなこと言って、ちゃんとわかっているんじゃん」


 これ以上話しているとますます暮方さんのペースに飲み込まれて余計なことを話してしまいそうだ。


 俺の机の前に立っていた暮方さんは俺の目線と同じ高さまでしゃがんで話を続けた。


「――でもさ、東雲君はいつまでそんなふうに言ってるの?」

「そうなふうって?」


 俺が冗談ではない様子で返すと暮方さんはぐいっと俺の方に近づいて他の人に聞こえないように声を潜めて話した。


「美月とは付き合っていないってこと。どう見たって傍から見れば付き合っているみたいに見えるのに東雲君も美月も付合ってないって言うからさ。最初は恥ずかしがっているのかなと思ったけど、ずっと、そういうふうに言っているから」


 たしかに俺たちはそこら辺のカップルよりよっぽどカップルぽい日常を送っている。でも、告白もしていないし、お互いに好きという言葉も出ていない。これでは付き合っているとはいえないと思っている。


「そう言われても……」

「そうやって、東雲君が付合っていないって態度でいるから、他の男子がまだ俺にもワンチャンスあるんじゃないかって思って美月に告白するんだからね」

「えっ!? そうなの」


 思わず驚いた声が反射的に出てしまった。


 冷静に考えれば、これまで夜見さんは多くの男子生徒から告白されていたのだから驚くことではない。むしろここ一ヶ月くらいは俺と一緒に登校して、お昼を一緒に食べて、一緒に下校していたから周りの男子も俺たちが本当は付き合っていると思っていたのだろう。でも、俺があまりに付合っていないなんて言ったから暮方さんが言うようにワンチャンスあるかもと思う男子が出てきてしまったというところか。


「ほら、付き合っていないとか言ってるくせに美月に他の男が近づくと焦るんじゃん」


「え、えっと、今のって俺にかまかけたの?」


「どうだろう。そういうことはちゃんと本人に直接聞いたら」


 暮方さんは悪戯な笑みを浮かべながら立ち上がると自席の方へ行ってしまった。


 夜見さんにそんなこと聞けるわけないじゃん。許嫁でも彼氏でもない俺が、今度誰かに告白されるの? なんて聞いたら自意識過剰だと思われる。それに襟巻の件をなしにしてもらったのだって、夜見さんに他に好きな人ができた時に俺のことが足枷にならないようにと思ってのことだ。


 だから、夜見さんが誰かに告白されてそいつのことを好きになったのならそれは仕方のないこと……。


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 次回公開予定:4月6日AM6時です。

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